第二十三話 大晦日
1年の最後の日。
アキラ一家とハルトヴィヒ一家は、共に『絹屋敷』の居間でこたつに入っていた。
「あー、ぬくぬくしていいなあ……普段から出してほしいよ」
「普段は出さないけどな。年末年始はいいだろ」
ハルトヴィヒが気の抜けた声を出し、アキラが応えた。
「ふう…………ですね……一度入ったら出るのが嫌になってしまいます」
「ミチアがそれですもんね。こたつには魔力があるに違いないです……」
ミチアとリーゼロッテも気の抜けたやり取りをしている。
こたつの上には醤油せんべいとみかん……みかんによく似た柑橘……がツルを編んだカゴに盛られている。
アキラの膝にはタクミが、ミチアの膝にはエミーが座り、うつらうつらしている。
そしてリーゼロッテの膝にはヘンリエッタがすやすやと眠っていた。
時刻は午後11時。
もうすぐ真夜中である。
普段は早寝早起きの両家であるが、今夜は大晦日ということで年が改まるまで起きていようとなったのだ(子供たち除く)。
ちなみに、年が変わる少し前に、108回ではないが鐘を鳴らすことになっている(アキラが)。
それまでの時間、どう過ごしていたかというと……。
まだタクミやヘンリエッタが起きていた時間帯には、アキラとミチアで作った『かるた』をやって遊んだ。
あいうえおではなくローマ字に似たアルファベットなので、読み札の単語を読み上げて、文字と絵の描いてある取札を取る、というやり方だ。
わかりやすく言えば『Apple』と読んで『A』とリンゴの絵の描いてある取札を取る、といったやり方。
遊んでみたところ、幼児に文字を教える取っ掛かりにはよさそうだとアキラたちは感じていた。
その他に『双六』も作ってあるが、それは翌日……お正月のお楽しみに取ってある。
「あと30分か」
巨大な置き時計を見てアキラが呟いた。
高さ1.2メートル、幅50センチ、奥行き30センチもある。
これはハルトヴィヒが『趣味』で作り上げたもの。できあがったのはつい最近だ。
* * *
機械式時計の最も難しいところは、『一定周期』の運動を行わせることだ。
これは『振り子』だったり『テンプ』だったりする……が、『携通』に載っていたのはそこ止まりで、詳しい構造はわからなかった。
振り子が一定周期で揺れることはわかっており(等時性)、その周期を利用すればいいのだが、それだけでは駄目なのだ。
何が駄目かと言えば、振り子はいずれ止まってしまうからである。
つまり、振り子の周期を利用しつつ、同時に振り子に弾みを付けてやらねばならないわけだ。
これを実現しているのが『脱進機』という機構なのだが、そこまでは『携通』に載っていなかったのである。
そこでハルトヴィヒは時間がある時にいろいろと試行錯誤して実験を行い、試作を繰り返していたのだった。
思い立ってから3年の月日を掛け、ついに『脱進機』を完成させたのがついこの前だったわけである。
「すごいぞハルト。なにもないところから脱進機を作り上げてしまうなんて」
「いやあ、概念を『携通』で知ることができたからさ。先人の知恵の積み重ねを横取りしてしまったようで申し訳ないよ」
「何を言っているんだ。ほんの僅かな情報からこれを作り上げたんだ、誇っていい偉業だよ」
「はは、ありがとう」
そしてできあがったのがこの巨大な置き時計だ。
巨大になったのは、歯車の精度がまだ今一つで小型化ができなかったためである。
脱進機の次に苦労したのは動力。
こちらはゼンマイ動力ということがわかっていたのだが、焼入れした鋼の薄い帯を作るのが難しかったのだ。
これはド・ラマーク領一の職人、レティシアにも頑張ってもらった。
「やりがいがありました」
「うん、いい出来だよ。しかもこれがあれば、他の機械も動かせるぞ」
アキラはレティシアを労うと共に、ゼンマイ動力の応用方法を考えていた。
真っ先に思い付いたのはオルゴールであるが、これはこれで技術的に越えるべきハードルは高い。
* * *
閑話休題。
いろいろなことがあった1年が暮れようとしている。
「あと15分か。そろそろ鐘を鳴らす準備をしようかな」
アキラはもそもそとこたつから出ていく。
「外は寒いので気を付けてくださいね」
「うん、厚着をしていくよ」
「来年は『絹屋敷』の中から鐘を鳴らせるようにしてみせるよ」
「楽しみにしてるよ、ハルト」
そしてアキラは表へ出る。
雪は止んでおり、雲は少しあるものの星が瞬いていた。
「明日の朝は初日の出が拝めそうだな……しかし冷えるな」
外気温計はマイナス10度Cを示していた。
「この分じゃ明日の朝はマイナス15度くらい行きそうだな」
吐く息が白い。
足元の雪は半ば凍ってザクザクと硬い音を立てていた。
そして『鐘撞塔』の基部へ。
ここから鎖を引くと、鐘を鳴らすことができるわけだ。
ゴム引き手袋を嵌めた手で鎖を掴み、ぐっと体重を掛けて引く。
冬の夜空に鐘の音が響いた。
アキラの知る『除夜の鐘』ではないが、静寂の中に鐘の音は厳かに響き、邪気を払ってくれそうだ。
「来年もいい年になるといいな」
鐘の音が響く中、独り言ちたアキラであった。
* * *
「おお寒い」
数分表に出ていただけだが、むき出しだった顔と、鎖を掴んだ手が冷たくなってしまった。
鐘を鳴らし終えて部屋に戻ったアキラを迎えてくれたのは、湯気の立つ湯呑み。
「ご苦労さまでした」
ミチアの手によって、温かなお茶が用意されていた。
「ああ、ありがたい」
冷えた手を湯呑で温めつつ、熱いお茶を飲むと、身体の中から温まるのが感じられた。
時計を見れば、もう午後11時58分。
「あと2分で新年か」
いろいろ忙しかった1年が終わろうとしていた……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は7月22日(土)10:00の予定です。
20230715 修正
(誤)みかんによく似た柑橘……が竹で編んだカゴに盛られている。
(正)みかんによく似た柑橘……がツルを編んだカゴに盛られている。