第二十一話 冬の間の仕事
「大分積もったなあ」
窓の外を見ながらアキラが呟いた。
年末を控え、積雪量は多いところで2メートル近くになっている。
「寒暑は人を休ませる……だったっけな?」
「なんですか、それ?」
独り言を聞きつけたミチアが尋ねた。
「昔読んだ小説にあった言葉だと思う。……寒い時と暑い時は無理して動かずに身体を休めよう、ということだと思う。そういう天の配剤、という意味合いもあるんじゃないかな」
「そうですね。休める時には休んだ方がいいかもしれませんね」
「うん。だけど、何もしないというわけには行かないからな。室内でできる仕事をこなすしかないよ」
「領主ですものね、大変ですね」
「うん、領主は大変だ」
アキラとミチアは顔を見合わせて笑いあった。
* * *
さて、冬の間の仕事として、ハルトヴィヒもいろいろとやっている。
今彼が手掛けているのは『馬車のブレーキ』だ。
これまでの馬車にも『ストッパー』と『ブレーキ』は付いているにはいた。
ストッパーは駐車時に馬車が動き出さないよう、車輪と車輪を繋いでしまう棒のようなもの。
ブレーキは鉄製の鍬のようなフックで地面を擦って速度を落とすものだ。
車輪のリムを挟んで止めるようなブレーキはまだ存在していない。
なにしろ馬車の車輪は、ほとんど全てが木製だからだ。
「金属製の車輪というかリムを作ってゴムタイヤをはめれば乗り心地もよくなるし、リムを挟んで止めるブレーキも作れるな」
「丈夫なゴムは作れると思うわ。でも、そのゴムの原料が足りないのよね」
「うーん……それは雪が溶けてからだな」
ハルトヴィヒとリーゼロッテ夫妻はそんな検討を行っている。
「金属を真円に加工するのは簡単じゃないけどね」
「ハルの『formen』でも難しいの?」
「難しい。そもそも『formen』は、手で粘土をこねる感覚なんだよ」
「ああ、だからきちっとした形は難しいのね」
「そうなんだ。真円とか真球とかね。薄板だって厚みが一定しないし」
「そうなのね……あんまり詳しく聞いたことがなかったから、なんだかちょっと新鮮だわ」
「それはいいが、何かいい方法、あるいはいい魔法はないかなあ」
「魔法に詳しい人がいるといいわね」
「まったくだ。……誰か、いないかなあ」
「ほんとね」
魔法は主に『武芸』の範疇に分類されており、攻撃魔法を使える『魔導士』が最も多い。
その次に多いのが『治癒系』だが、これはほとんどが国家に属するため、まず民間で見かけることはない。
それ以外の『生活魔法』はそれほど重要視されてはおらず、比較的見かける機会があるはずだった。
フィルマン前侯爵が使う雷魔法『tonnerre』は攻撃魔法だ。
リーゼロッテが使う『sauber』は治癒系ではなく生活魔法に分類される。
「ならいっそ、ハルが新しく作っちゃえばいいのよ」
「それも考えたけど……」
魔法を新しく『作る』ことは可能。
リーゼロッテも『sauber』を改良して使っている。
とはいえ、並大抵の技術力ではできない。
「私も手伝うから」
「そうだな……それが今、一番の早道だな……」
鍵となるのは『formen』だ。
「これだと、『一品物』を作るにはまあまあ役立つんだけど、同じものを大量に作るのは無理なんだよ」
「ええ、それはなんとなくわかるわ」
「見本を複製する……見本と同じ形にする、ということができるといいんだがな」
「それならイメージを思い受かべるのではなく、見本を参照する、というように改変できるといいわね」
「確かに」
とはいえ、言うほど簡単なことではない。
魔法がどういう過程を経て発動するのか、使えない者には理解できない。
それは、象を見たことがない者に象という動物を理解させようとするよりも困難である。
魔導士同士の話は深淵で、魔法を使えない者には理解し難いものがあるのだ……。
* * *
一方で、アキラとミチアは本を書いていた。
先日、息子のタクミとハルトヴィヒ夫妻の娘のヘンリエッタに語って聞かせたおとぎ話が好評だったので、『異世界おとぎ話集(仮題)』を出版してみようかということになったのだ。
一部は『携通』に『大空文庫』(著作権切れの作品を無料で読めるサイト)からダウンロードしていたもの。
残りはアキラが昔読んだことがあるものだ。
『大空文庫』の方は翻訳だけ(とはいえ、微妙なニュアンスを異言語に翻訳するのはかなり大変だが)。
しかしアキラの記憶の方はかなり曖昧なものが多かった。
特に登場人物の名前。
これに関してはこちらの世界によくある名前で置き換えることで対応することにした。
「面白いけれど、大変ですね」
「でもまあ、やり甲斐はあるよ」
「そうですね。これで子供たちが喜んでくれれば」
「いずれは絵本も作りたいな」
そして識字率の向上を、とアキラは夢を語ったのである。
* * *
さて、ド・ラマーク領きっての凄腕工芸職人、レティシアもまた、『冬の仕事』に励んでいた。
彼女の場合は元々室内作業がほとんどなのであるが、冬でなければできないこともいくつかあるのだ。
その1つが『サブゼロ処理』である。
『サブゼロ』とは『0以下』の意味で、氷点下つまり摂氏0度以下のこと。
具体的には、『焼入れをした鋼の刃物』を『氷点下の温度にする』ことだ。
これにどんな意味があるかと言うと、焼入れをした際に『焼きが十分に入り切らなかった組織』を『焼入れ組織』に変化させることができる。
これにより経時変化による変形を防ぎ、かつ切れ味を増すことができるわけだ(学術的に言うと『残留オーステナイト』を『マルテンサイト化』する)。
冷却温度は低いほどよく、現代日本ではドライアイス+アルコール(マイナス78度C)や液体窒素(マイナス196度C)を使う。
が、レティシアは氷+食塩で実験していた(せざるを得なかった)。
この場合は最低温度がマイナス21度Cなので十分とは言えないが、それでも効果はあったようだ。
「……凍結魔法を使える人に協力してもらえたらな……」
とちょっぴり残念そうなレティシアであった……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は7月8日(土)10:00の予定です。
20230701 修正
(誤)それ以外の『生活魔法』はそれほど重要視されてはおらず、比較的見かけること機会があるはずだった。
(正)それ以外の『生活魔法』はそれほど重要視されてはおらず、比較的見かける機会があるはずだった。
(誤)リーゼロッテが使うsauberは治癒系ではなく生活魔法に分類される。
(正)リーゼロッテが使う『sauber』は治癒系ではなく生活魔法に分類される。
(誤)リーゼロッテもsauberを改良して使っている。
(正)リーゼロッテも『sauber』を改良して使っている。




