第二十話 ある冬の日
「今年は雪が多いなあ」
『絹屋敷』の窓から外を見ながら、アキラが呟いた。
外は夜だが、窓から漏れる明かりに照らされ、一面の雪景色であることがわかる。
「俺のところじゃ『雪の多い年は豊作』なんてことわざがあったっけ」
「え? どうしてなんです?」
書類仕事も終わり、今はもう休憩時間。一緒にお茶を飲んでいたミチアが首を傾げた。
「はは、これは『携通』にも載っていなかったっけ。……ええとな、雪……特に山に雪が多いと、夏の水不足の心配がないから、ということだったな」
日本では『稲作』のために田んぼに大量の水を必要とする。
日照り……つまり『干害』は『冷害』と並んで、最も忌むべき自然災害なのだ。
「なるほど、そういうことなんですね」
「その土地その土地でしか通じないことわざだよ」
「他にもあるんですか?」
「あまり知らないけど……ああ、『雪の翌日は晴れ』なんてのもあったな」
「え? どうしてです? そんな馬鹿なことが……」
「ああ、これは『関東』……特定の地方でしか通じないけどな。……『関東』の冬には『南岸低気圧』っていう、雪を降らせやすい低気圧が通ることがあるんだ」
「ええ」
「で、雪が降る……つまり低気圧が通った後は『西高東低』の気圧配置になる。これは関東地方では晴天になりやすい気圧配置なんだ」
「ああ、そういうことなんですね。……面白いですね。もうないんですか?」
「ええと……」
茶飲み話としてミチアは気に入ったようだ。アキラは思い出してみる……。
「ああ、こんなのがあった。……『ツバメが低く飛ぶと雨』ってな。ツバメっていうのは主に虫を食べる渡り鳥さ」
「ええと、それも根拠があるのですか?」
「あるよ。雨雲が近付いて湿度が高くなると、ツバメが餌にしているような小さな虫はあまり高く飛べなくなるんだ」
「ああ、それで低いところばかりに虫が集まるから、ツバメも低く飛ぶんですね」
「そうそう。……それで思い出した。『トンビが高く舞うと晴れ』ってのもあったな」
これは天気がいい日は地面が温められて上昇気流が起き、トンビはそれを利用して空高く舞い上がる……という意味である。
「それじゃあ、『晴れた日はトンビが高く舞う』じゃないんですの?」
「はは、そっちの方が因果関係がはっきりするよな」
そんなゆったりした時間。
そこに来客があった。
「ははうえ……」
アキラとミチアの息子、タクミである。
「あらあら、どうしたの? 怖い夢でも見たのかしら?」
「ううん……おしっこ……」
「はいはい、こっちですよ」
ミチアに連れられてトイレへ向かうタクミを見送り、アキラは優しげな微笑みを浮かべたのだった。
* * *
ハルトヴィヒとリーゼロッテ夫妻もまた、『ハルトストーブ』のそばで談笑をしていた。
リーゼロッテの横には2人の娘、ヘンリエッタが眠っている。
おとぎ話を聞かせているうちに眠ってしまったのだ。
「そろそろベッドに寝かせてやるか」
「そうね」
リーゼロッテはヘンリエッタを抱き上げ、ベッドにそっと横たえ、毛布を掛けてやった。
そしてソファに戻り、ハルトヴィヒの隣に腰を下ろす。
「静かね」
「そうだな。……アキラに言わせると、積もった雪は音を吸収して反射しないから静かなんだそうだ」
「なるほどね。こだまが返ってこないってことね」
「そうそう」
理工系夫婦の会話である……。
* * *
翌日は快晴だった。
「わあ、『雪の翌日は晴れ』ですね!」
「いや、偶然だろ」
「ふふふ」
久しぶりの青空の下、タクミとヘンリエッタは雪だるまを作って遊んでいる。
アキラとミチアは目を細めてそれを眺めていた。
「これだけ積もればかまくらもできそうだな」
「かまくら……って、雪で作った小屋みたいなものでしたっけ?」
「ああ、そうそう。半球状に盛り上げて中をくり抜くんだ。中にはロウソクで明かりをともし、水の神様を祀って……」
アキラは知る限りの知識を披露する。
「長い冬を、少しでも楽しもうという発想でしょうか」
「それはあるだろうね」
『お祭り』とかその土地独自の『風習』には、そうした背景もあるかもしれないなあ、とアキラは答えた。
「民俗学者とか文化人類学者ならもう少し何かコメントできるんだろうけどなあ……」
「いいんですよ、そんなこと。あの子たちが健やかに育ってくれれば」
「そうだな。……よし、かまくらを作ってみるか」
というわけで雪かき用のスコップを持ち出したアキラは、タクミとヘンリエッタに応援されながら、庭に大きなかまくらを作り上げた。
積雪は既に1メートル50センチを超えていたので、大人2人が楽々入れる大きさのかまくらができあがった。
中はきれいにくり抜かれ、水神様を祀る神棚まで作ってある……が、御札もなにもないのでちょっと寂しい。
そこで、手書きの御札を祀ってみることにした。
それらしい大きさの木の板に『水神』と黒いインクで書いたのである。
火鉢の代わりにハルトコンロを持ち込んだ。これなら一酸化炭素中毒の心配はない。
明かりは雰囲気を出すためにロウソクにした。
かまくらの内部は雪の反射で結構明るいのだ。
地面……雪面にはゴザを敷いた。これで腰を下ろせる。
「わあ、ちちうえ、これ、なに!?」
「おじさま、これ、なあに?」
「『かまくら』さ。」
「かまくら?」
「そうさ、こうやって中に入ってのんびりするんだ」
「ぼくもはいる!」
「わたしも!」
「よしよし、さあおいで」
「はい」
「うん!」
夕方になるとロウソクの明かりが幻想的だ。
ハルトヴィヒとリーゼロッテもやって来て、代わる代わる中に入って雰囲気を楽しんだ。
「そういえば、昔『蔦屋敷』でも作ったっけな」
「ああ、雪がくっつかないような『合成樹脂』を作ろうとしたっけね……」
「いまでも前侯爵閣下のところではやっているのかな」
「冬でも娯楽が必要だと仰ってましたね」
* * *
このかまくらが次第にド・ラマーク領にも広まり、冬の風物詩になるのはもう少し先である。
* * *
「……あー、こりゃあ明日は筋肉痛だな……」
かまくら作りで張り切ったため、腕、肩、腰に鈍い痛みを覚えたアキラであった……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は7月1日(土)10:00の予定です。
20230624 修正
(誤)「あまり知らないけど……ああ、『雪の翌日は晴れ』なんてものあったな」
(正)「あまり知らないけど……ああ、『雪の翌日は晴れ』なんてのもあったな」
(誤)雨雲が近付いて湿度が多くなると、ツバメが餌にしているような小さな虫はあまり高く飛べなくなるんだ」
(正)雨雲が近付いて湿度が高くなると、ツバメが餌にしているような小さな虫はあまり高く飛べなくなるんだ」
20230627 修正
(旧)
「これは面白いな」
「意外と暖かいんですね」
「風が抜けなれば結構暖かいよ」
大人も楽しんでいる。
* * *
このかまくらが次第にド・ラマーク領に広まり、冬の風物詩になるのはもう少し先である。
(新)
「そういえば、昔『蔦屋敷』でも作ったっけな」
「ああ、雪がくっつかないような『合成樹脂』を作ろうとしたっけね……」
「いまでも前侯爵閣下のところではやっているのかな」
「冬でも娯楽が必要だと仰ってましたね」
* * *
このかまくらが次第にド・ラマーク領にも広まり、冬の風物詩になるのはもう少し先である。
第5章六話七話でかまくらを作ってました……orz




