第十五話 エボナイト
気球・風船の開発は、水素気球が実用化するところまでで時間切れとなった。
ド・ラマーク領に冬将軍が訪れたのである。
こうなっては遠出は不可能だ。
「初雪か……」
窓の外を一面白く染める雪を見て、アキラはぽつりと呟いた。
「野良仕事はもう終わりだな」
「そうですわね、屋内での仕事が主になりますね」
すやすやと眠る長女エミーの顔を見ながらミチアが応じた。
「タクミは?」
「雪を見て外へ飛び出していきました」
「はは、子供はいいなあ」
そのタクミが、降ったばかりの初雪に足跡をつけて楽しんでいるのが窓越しに見えていた。
「雪を楽しめなくなったら、もう子供とは言えないよな」
「ふふ、それは言えますね」
大人になると、素直に雪を楽しめなくなるものだ、とアキラは思っている。
そして、最後に雪を喜べたのはいつだったかな、とも。
「あら、タクミが呼んでいますよ」
「え?」
アキラが窓の外を見ると、大きく手を振ってタクミがアキラにアピールをしていた。
「仕方ない。行ってくるよ」
口では仕方ないと言っていても、アキラの足取りはこころなしか弾んでいた。
「行ってらっしゃい、ふふ」
そんなアキラの後ろ姿を笑って見送るミチアであった。
* * *
「……きちゃない……」
「はは、仕方ないな」
タクミにせがまれて『雪だるま』を作ったアキラであったが、その成果はというと、茶色い雪だるまが1つ……。
「初雪だからな。3センチくらいしか積もらなかったんだ」
なので雪だるまは泥が付着しまくってしまい、茶色くなったというわけである。
「そうだなあ、あと2回、雪が降ったら、大きくて白い雪だるまを作れるようになるぞ」
そう言ってタクミをなだめるアキラであった。
* * *
『雪だるま』作りから戻ってきたアキラは執務を開始した。
「さて、1つ思いついたことがある」
「何ですか?」
「折り畳み式のバケツがあると便利じゃないかな?」
雪を運ぶことから思いついたのだ。
「バケツを折り畳むのですか?」
「そうだ。……『携通』にも載っていたと思うぞ」
「ええと……はい、確かにありましたね。布製でぺちゃんこにできるものが」
「麻で作って、ゴム引きにするんだよ」
「ああ、そうすれば水が漏らなくなりますね」
そしてもう1つ、流通するゴムの量が増えれば、価格が下がるだろうという目算もある。
「どうだろう? 需要はあるかな?」
こういうことは『異邦人』の自分よりも、この世界で生まれ育ったミチアに聞く方がいいだろうとアキラは考えたのだ。
「ええ、あると思います」
布製なら、金属製よりも若干軽くできるだろう。
それ以上に、使わない時には折り畳んで嵩張らなくできるのがいい、とミチアは説明した。
「そうか、これも王都に持っていけるな」
元々がキャンプ用品であるから、行軍時の水くみに重宝しそうである。
これで1つ、王都行の献上品が決まった、とアキラは安心した。
そもそも、毎年行う王都行にアキラは何かしら新しい発明品を持っていくものだから、王族たちからの期待値が上がってしまっているのだ。
半分は自業自得とも言えるのだが、それでもアキラはこの国、この世界を便利にできたらいいなあと思っているので毎年苦労しながらも新たな『何か』を考えているのである。
「ゴム引きができるならレインコートもできるしな」
蒸れやすいという欠点はあるが、雨水を通さないゴム引きのレインコートは使い道は多いだろうと思われた。
「あとはテントか」
幕営用の天幕は、ロウ引きのものがほとんどで、初日はいいが日を経るごとに防水性が低下していく。
ゴム引きなら耐久性は遥かに高いのだ。
こうしたゴムの利用法を示すことで、ガーリア国内におけるゴムの輸入量を増やし、価格を下げ、また利用しやすくする。
さらには国内南部でのゴムの木の栽培もできたらいいのだが、と期待するアキラであった。
そしてもう1つ。
* * *
「アキラ、できたよ!」
「おお、いい感じじゃないか」
「しかし、硫黄を増やすとこんなになるなんてねえ。軟らかかったあれがカッチカチだよ」
アキラがリーゼロッテに依頼していたもう1つのゴム製品。
天然ゴムに硫黄を30パーセント程度混ぜて長時間じっくり加熱し、『架橋』(ゴムの高分子同士をつなぐ)したものがエボナイトである。
地球では万年筆の軸や木管楽器のマウスピースに使われている。電気絶縁性も高いので絶縁材としても使われたことがある。
が、今では合成樹脂にその座を譲っている(エボナイトは天然ゴムが原料であるが、木材のように土に還らないので天然樹脂に含めない人もいる)。
で、アキラがリーゼロッテに作ってもらったのはそのエボナイト棒で、これから『ペン軸』に加工しようというのである。
もちろん加工はド・ラマーク領一の職人、レティシア・コルデーである。
「任せてください!」
エボナイトは切削性、研磨性が悪く、加工に時間が掛かる。そのためアクリル樹脂やポリエステル樹脂にとって代わられてしまっているのだ。
が、その独特の、しっとりした質感は根強いファンが多いという。
アキラとしては、王侯貴族向けにこの樹脂を売り込みたいと考えていたのだ。
もちろん天然ゴムの普及のためである。
「あとは普通にゴム紐だな」
これは硫黄分を15から20パーセントに抑えることでできあがる。
「ゴム紐ができれば、衣服への応用ができる」
袖口の絞りや、自然なギャザー(ひだ)、それに下着のウエストなどだ。
「そしてタイヤだな」
馬車の乗り心地を大幅に改善できるはず、とアキラはゴム工業の将来に期待するのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は5月27日(土)10:00の予定です。
20230520 修正
(誤)こうしたゴムの利用方を示すことで、ガーリア国内におけるゴムの輸入量を増やし、価格を下げ、また利用しやすくする。
(正)こうしたゴムの利用法を示すことで、ガーリア国内におけるゴムの輸入量を増やし、価格を下げ、また利用しやすくする。
20230524 修正
(誤)アキラとしては、王国貴族向けにこの樹脂を売り込みたいと考えていたのだ。
(正)アキラとしては、王侯貴族向けにこの樹脂を売り込みたいと考えていたのだ。




