第十一話 水素
アキラはまず、『熱気球』とは別の気球について説明することにした。
「『熱気球』は温めて軽くなった空気を詰めて浮かせたけれど、最初から軽い空気を詰める方法もあるんだ」
「ああ、何か……『携通』の資料で読んだ気がするな」
ハルトヴィヒが応じた。
「それは『水素』という気体で、空気の14分の1くらいの重さなんだ」
「ほう、そんな空気……いや『気体』があるのか」
フィルマン前侯爵も興味を持ったようだ。
「はい。ですが、大きな欠点があるんです」
「それは?」
「燃えます。下手をすると爆発します」
「何だと!?」
「水素2と酸素1を混ぜた場合が最も強力に爆発します」
『携通』からのメモを見ながらアキラが答えた。
「そうでなくても、水素は燃えます。酸素と混じった状態で火花でも飛ばしたら……」
「なるほど、危険なわけだな」
「はい。ですので有人用には使いたくないのです。……俺の世界でも、過去に大事故が起きています」
「そうなのか……」
「巨大な気球……ある程度空を自由に飛べるものにしたので『飛行船』と呼びますが、燃えて墜落し、大勢の犠牲者を出しました」
「うむう……」
「ですので水素気球や水素飛行船は有人では作りたくないのです」
「……」
切々と説くアキラに、ハルトヴィヒも前侯爵もその思いを察したようだ。
「……わかったよ、アキラ」
「うむ、アキラ殿の思いは察するに余りある」
「だが、有人でなければ使いようがあるのかい?」
「うん、なんとかな」
アキラは説明する。
まずは上空の気流を知るため、風船を飛ばすやり方。
中学や高校で、気象観測の入門編として稀に行われている。
この時、『トランシット』という、望遠鏡で対象物の角度(大抵は北を基準とする)を測定する器具を使うことでより正確な観測ができ、データの比較ができるようになる。
数値化することで、上空の風向きや風の強さを比較できるようになるからだ。
「とりあえず、目視で風向きや風の強さを把握できればいいと思います」
最初から精密な観測をするのは無理がある、とアキラは思っている。
「うむ。……で、その『水素』というのはどうやって作るのだ?」
「ええと、……鉄を酸に浸けると水素を出して溶けますので、それを集めるか、水を電気分解すればいいんですよ」
発電機があるので電気分解の方がいいでしょう、とアキラは言った。
「電気分解?」
これは、ハルトヴィヒの予備知識にもなかったようである。
「ああ。水に電極を刺して直流を流すと、プラス側に酸素、マイナス側に水素が発生するんだ」
「あれ? 水って電気を通さないんじゃなかったっけ?」
アキラの説明に、ハルトヴィヒが疑問を提示した。
「当然の疑問だ。ええと……」
アキラは『あんちょこ』をチラ見しつつ答える。
ちなみに、『あんちょこ』とは『安直』から来ており、手軽な参考書、くらいの意味である。
「ほんの少し、水酸化ナトリウムか硫酸を加えることで通電しやすくなるんだよ」
どちらもハルトヴィヒとリーゼロッテの研究室にある薬品だ。
「そうやって集めた水素をポンプで密閉容器に詰めて圧縮してためておけば、風船を膨らませることができるだろう」
「なるほどな」
ハルトヴィヒは早速ポンプと密閉容器の構造を考え始めたようだった。
が、前侯爵は別のことを考えていた。
「アキラ殿、その風船というのはどのくらいの高さまで昇るのだ?」
「そうですね……5000メートルくらいはいけるのではないでしょうか」
実際のところ、風船のゴム被膜から水素が少しずつ漏れ出して浮力が落ちる、あるいは気圧が下がって風船が膨らんでいき、ついには破裂するという可能性がある。
が、前侯爵の腹づもりは違ったようだ。
「うむ、それなら十分に合図に使えるな」
「合図ですか?」
「そうだ。例えば戦場で、遠くの部隊に指示を出す時には便利そうではないか」
「ああ、そうですね」
風船の色や数で指示の内容を表せば、複数の命令を伝達できることになる。
「これも王都行で発表すべきだな」
「はあ」
狼煙と同じような使い方をするわけだ。そして情報量は狼煙よりも少し多い。
「ああ、熱気球の前進基地を作る際に目印にもなるかもしれないな」
ハルトヴィヒが思いつきを口にした。
「確かに、空からでは地表の目標地点を探すのは難しそうだからいいかもな」
アキラもその有用性には納得である。
「その場合、丈夫な紐をつけて地上と繋いでおく必要があるけどな」
「麻紐でなんとかできるだろう。50メートルもいらないだろうし」
「そうだな」
熱気球での探検時にも風船は役に立つ……かもしれなかった。
が、アキラには1つ、懸念があった。
「閣下、風船を戦争に使うこともあるのでしょうね」
「残念だがな。風船の用途は広い。……しかし、戦争そのものが、ここ数年、十数年、数十年起きておらぬ」
むしろ未開地の開拓に使いたいものだ、と前侯爵は言った。
「それでしたら大歓迎なんですけどね」
水素を爆弾として使うことも可能だ。
が、アキラはそこまで教えるつもりもなかった。
平和利用ならどんどんやってもらいたいが、戦争への利用は極力防ぎたかったのだ。
だが、現実にはそうも言っていられないことを、アキラは悟っていた。
なので来年の王都行でも、そういった意見を出すだけは出しておこうと決めたのである。
結局、技術を使うのは人間なのだから。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は4月29日(土)10:00の予定です。
20230422 修正
(誤)「酸素2と水素1を混ぜた場合が最も強力に爆発します」
(正)「水素2と酸素1を混ぜた場合が最も強力に爆発します」
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