第十話 気象観測
熱気球の公開飛行、その予定当日。
「……駄目だな」
「駄目だね……」
雨だったのである。しかも風も強い。
「こういう事がありうるからな」
天候にはかなわない、無理は禁物だとアキラは皆に言った。
「無理は絶対に駄目だ。万に一つも事故を起こしてはいけない」
アキラは自分のいた世界、すなわち地球での過去に起きた事故の例を挙げて安全には気を付けすぎるほど気を付けるべきだと説明した。
「うむ、残念だが明日以降だな」
「閣下、申し訳ないことになってしまいました」
「いや、天候だけはどうにもならんからな。アキラ殿が気に病む必要はない」
「おそれいります」
フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵は前日に『絹屋敷』を訪れており、今日の朝、熱気球の飛行をみるのを楽しみにしていたのである。
『絹屋敷』も改装が加えられ、フィルマン前侯爵一行を数日泊めることも問題なくできる建物となっていた。
* * *
「しかし、昨日はあれほどいい天気だったのにな」
「そうですね。……それも今後、少しずつ改善していければいいですね」
『絹屋敷』の食堂で桑の葉茶を飲みながらアキラが言った。
「……天候を変えることができると?」
「あ、いえ、そうではなく、天気を予測する技術のことです」
「ほう? 聞かせてもらおうではないか」
予定が潰れたので時間はたっぷりある。前侯爵はアキラの言葉に興味を持った。
「僕も聞きたいね」
同席したハルトヴィヒもまた、興味を持ったようだ。
「自分のいた世界では、天気は西から移ってくるのが普通でした。それは、上空には常に強い西風……『ジェット気流』というものが吹いているからなんです」
「ほう」
「ですので、西の地域の天気が分かれば、その天気がこちらへ移ってくることが予想できます」
「おお、なるほど」
「そのために必要なのが『通信網』です」
「そうつながるわけか。『電信』の出番というわけだな」
「はい」
この説明を聞いたフィルマン前侯爵は少し考えてから口を開いた。
「まずは王都で実験的に行うとしたら、王都の西の地域と電信でやり取りできるようにし、天気の情報を送らせればいいというわけだな?」
「はい。最初はそんなところでしょう」
もっと高度な測定もあるが、いきなり全てを導入するのは無理でしょう、とアキラは言った。
「うむ。参考までに、どんな方法があるかだけは教えてもらえるか?」
「はい、もちろんです。そうですね、まずは気象データの蓄積ですね」
「それはどういうものだね?」
「定点観測です」
「定点観測?」
定点観測とは読んで字の如し。同じ場所(定点)で観測を行うことである。それも毎日、決まった時刻に。
「天候、気温、湿度、気圧、風向、風速、降水量、雲量などを測定します」
このデータを蓄積していくことで、風向きと雨の関係や、春の気温が夏の天候にどう影響するか、また秋の天候と冬の降水量(降雪量)との関係などが見えてくる。
もちろん1年2年では大したことはわからない。何十年、何百年も続けることに意義がある。
「気圧……は以前ちょっと聞いたからなんとなくわかる、水銀柱で測るんだったよな?」
ハルトヴィヒが質問する。
「そう。俺のところでは1気圧は760ミリメートル水銀柱だった」
片側を塞いだ1メートルのガラス管に水銀を満たし、それをひっくり返して水銀溜まりに浸けると、水銀の重みで真空ができる。
水銀溜まりには大気圧が掛かっているから、それと釣り合った高さで水銀柱は止まる。つまり気圧によって水銀柱の高さは変わるわけだ。
そうして気圧を測定するわけである。
「雲量っていうのは何だね?」
今度は前侯爵の質問である。
「ええと、凸面鏡に空を映して、雲が占める面積の割合をいう……らしいです」
この話をするために『携通』で調べておいた知識である。
「1以下が快晴、2以上8以下が晴れ。9以上が曇り……らしいです。基本的に目視観測です」
「ふむ」
「風向は風向きだろうが、風速なんてどうやって測るんだ?」
「あ、風力かもしれない。……風車を回させてその回転で決めるようだ」
「なんとなくわかるな」
ハルトヴィヒにはおぼろげながらイメージができたようだ。
「降水量は降った雨の量だろうが、どうやって測る?」
「寸胴の容器に雨を受けて、『何ミリ』という表現をします」
「あ、なるほど。寸胴、というのが鍵だな」
これもハルトヴィヒは理解できたようだ、さすがである。
* * *
そうして、気象観測についてひととおり説明を終える。
「なるほど……そちらは国内各地で可能だな」
「はい。それを定期的に王都で集計すればいいと思います」
「ふむ……わかった」
フィルマン前侯爵はアキラを見据えて言う。
「予算と人員はこちらが出そう。とりあえず『絹屋敷』と『蔦屋敷』でその『定点観測』を行おうではないか。そして、そのデータを持って来春の王都行に臨もう」
「わかりました」
アキラには前侯爵の目論見が予想できた。
国内の統治のため、人民の生活向上のために気象観測を行いたいわけだ。
そのための、短期間ではあるが観測データを携えての説明を来春の王都行で行おうというわけである。
「夏の天候の傾向が予想できるとよいな」
作物の収穫量が予想できるし、場合によっては作物の種類も変えることができる。
「はい。ですがそこに辿り着くにはまだまだ越えるべき壁が存在します」
実際の長期予報は現代日本でもなかなか当たらないのだから。
「うむ。だが一歩一歩進むしかなかろう」
「はい」
* * *
「ついでですから、もう1つ思いついたことがあります」
「それはなんだね?」
「観測気球です」
「つまり、気球で……おそらく天気か何かを観測するのだな?」
「はい」
「高さは?」
「できるだけ高く」
「いやアキラ、それは無茶じゃないか?」
ハルトヴィヒが反論した。
「危険だよ。だから有人ではなく無人で行う」
「む?」
「つまり……」
アキラは、これも『携通』から得た知識を披露していく……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は4月22日(土)10:00の予定です。
20230415 修正
(旧)それも毎日、決まった時間に。
(新)それも毎日、決まった時刻に。




