第五話 風属性魔法と運動の第3法則
「うーむ……」
「あなた、どうなさったのですか?」
執務室で唸っているアキラに気が付いたミチアが不思議そうに尋ねた。
「何か問題でも起こったのですか?」
「いや、そうじゃない。執務は終わったんだ」
「では何か、別の問題でも?」
ここでアキラはミチアに心配をかけまいと、笑いながら説明をする。
「いや、北の国のことを考えていたんだよ。山越えにしても海路にしても、距離がありすぎるし、確認だけでもできないかなあと思って」
「まあ、そうでしたの」
「そうなると気球かなあって」
「気球……ええと、軽い気体を大きな袋……『気嚢』でしたっけ……に入れて浮き上がる乗り物……ですよね?」
「そうだよ」
「でも、本当に空に浮かぶんですか?」
さすがに『空を飛ぶ』ことが想像しづらいらしいミチアである。
「飛べるよ。もといた世界では、熱気球は娯楽の1つとして定着していたから」
「娯楽……ですか」
空を飛ぶという、奇跡に近いことが娯楽だと聞いて、ミチアは困ったような笑ったような、不思議な顔になった。
「そうさ。きちんと危機管理していれば、危険も少ない」
「ないわけじゃないんですね……」
「そりゃあな。空に浮かぶんだから落ちることもあるさ。……船だって沈むことはあるし、馬車だって事故を起こすこともある、歩いていたって転ぶことがある」
「それはそうですけど」
「とにかく注意して、慎重にやってみたいな」
「気を付けてくださいね? というかご自分で飛ぼうとしないでくださいね?」
「あ、ああ……」
* * *
ミチアとそんなやり取りをした後、アキラはハルトヴィヒと話し合っていた。
「なるほど、『気球』……それも『熱気球』か……!」
ハルトヴィヒも興味を惹かれたようだ。
「『携通』で読んだ気がするな。丈夫な布の袋に温めた空気を溜めて浮かぼうというのだよな?」
「そうだ。俺のいた世界ではバーナーっていってガスを燃やして空気を温めていたみたいだけど、こっちならハルトコンロがあるからな」
「うっ……まあ、そうだな」
「燃料がいらない分軽くできるから、浮くには有利だと思う」
「なるほどな。……袋……『気嚢』と言ったっけ? ……は何で作るんだ?」
「絹だよ」
ナイロンが発明されるまでは、気球の気嚢は絹製が多かったようだ。
絹は糸が細く、丈夫なので軽い気嚢を作ることができる。ゆえにパラシュートも絹。
今はナイロンをはじめとする化学繊維に置き換わったが、元々ナイロンは絹の代用品として開発されたのである。
それはともかく……。
「品質が今一つの絹織物ならかなりストックがあるから気球の1つや2つ作れるぞ」
糸の太さのばらつき、織り目の美しさといった基準で評価した場合の2級品は王侯貴族に納められないので、自分たちで使うためにストックしている。
それが相当量溜まっているのだ。
「糸もかなりあるからロープにすることもできるよ」
化学繊維のロープができるまでは、登山用のロープ(ザイル)は綿や麻、そして高級品は絹だったという。
天然素材は合成素材に比べ保存製が悪いのと高価なのとで、今ではそういった用途は化学繊維全盛であるが……。
とにかく、材料と熱源は問題ないことがわかったわけである。
問題は……。
「推進機だな」
「推進機? ……僕の記憶によると『気球』って推進機は付いていないんじゃなかったかな?」
「いや、まあ、そうなんだけど、今回の用途を考えると、自力で移動できたほうがいいかなって」
「まあ、アキラの言うとおりだね」
ハルトヴィヒもアキラの意見に同意した。
気球の移動方法は基本的に『風まかせ』である。
事前に風の吹く方向を予測しておき、その風に乗って空を移動するのだ。
移動用の動力を持っていたらそれは『飛行船』である。
とはいえ、呼び方にこだわらず、アキラは安全性を重要視しているわけである。
「まあ使うなら風属性の魔法だろうね」
「うん、俺は魔法は使えないけどそうだろうなと思う」
「すると……『《ウェントゥス》』(風よ吹け)あたりかな」
「名前からして、風を吹かせる魔法かな?」
「そうなるな」
「ハルトは使えるのか?」
「まあ、なんとか。これは初級だからな」
この返答にアキラは興味を持った。
「ちょっと使ってみてくれるか?」
「いいけど……外に出よう」
風で調度品や書類がめちゃめちゃになったらまずい、とハルトヴィヒは言った。
それでアキラとハルトヴィヒは『絹屋敷』の裏庭へ出た。
そして2人は10メートルほど離れて向かい合う。
そしてハルトヴィヒは右手を差し出し、手のひらをアキラに向ける。
「いいか、行くぞ。……『《ウェントゥス》』」
詠唱が終わると同時に、差し出したハルトヴィヒの手のひらから強風が吹き出し、アキラに吹き付けた。
「お、これは凄いな」
風速15メートルほどの強風が吹き付け、アキラは少しよろめいたのだった。
気象庁の風力階級表では、風速15メートルというと、『風力7』であり、呼び名は『強風』、『木全体がゆれ、風に向かって歩くのが困難になる』となっているほどの風だ。
よろけながらアキラはハルトヴィヒを見た。微動だにしていない。
「……やっぱり、というか、こういうものか、魔法って」
その風は3秒ほどで止んだ。アキラは体勢を立て直す。
「どうだい、アキラ?」
「うん、参考になった。……ハルトは全くよろけないな?」
「術者がよろけたらまずいだろう?」
「いや、それはそうなんだが……仮にもっと強い風を起こしてもよろけないのか?」
「そうだと思うよ」
「凄いな、魔法」
アキラが感心したのは、風魔法が運動の第3法則を超越していたからだ。
つまり『作用・反作用の法則』を無視したような働きをしていることに注目したわけである。
「これを使えば、気球を動かすことができるぞ……」
アキラの脳裏に1つの計画が形をなしつつあった。
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次回更新は3月18日(土)10:00の予定です。
20230311 修正
(誤)「気球……ええと、軽い機体を大きな袋……『気嚢』でしたっけ……に入れて浮き上がる乗り物……ですよね?」
(正)「気球……ええと、軽い気体を大きな袋……『気嚢』でしたっけ……に入れて浮き上がる乗り物……ですよね?」
(誤)事前に風の吹く方向を予測してお来、その風に乗って空を移動するのだ。
(正)事前に風の吹く方向を予測しておき、その風に乗って空を移動するのだ。
(旧)「すると……『《ウェントゥス》風よ吹け』あたりかな」
(新)「すると……『《ウェントゥス》』(風よ吹け)あたりかな」
(旧)「いいか、行くぞ。……『《ウェントゥス》風よ吹け』」
(新)「いいか、行くぞ。……『《ウェントゥス》』」




