第四十二話 宴
夏の終わり。
ド・ラマーク領に秋風が吹き始める頃。
『絹屋敷』の前庭では宴が行われていた。
領主アキラ・ムラタ・ド・ラマーク男爵の長男誕生、そしてその腹心であり親友でもあるハルトヴィヒ・ラグランジュ準男爵の長女誕生のお祝いである。
主催者はフィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵。前侯爵は、このリオン地方一帯を治めるレオナール・マレク・ド・ルミエ侯爵の父親である。
そして赤ん坊の命名も行われることになる。
名付け親はフィルマン前侯爵だ。
元とはいえ、侯爵が男爵・準男爵の子供の名付け親になるというのは破格の出来事である。
せいぜいが1階級上の子爵が、ということであればままあることといえる。
もう1つ上の伯爵が名付け親になるということでさえかなり稀有なことなのだ。
出席者は、主催者のフィルマン前侯爵、アキラとその奥方ミチア、ハルトヴィヒとその奥方リーゼロッテ。もちろん彼らの息子息女。
そして『絹屋敷』の使用人たち、さらに前侯爵が連れてきた『蔦屋敷』の使用人たちである。
加えて近隣の住民たち。
辺境のこととて、他の来客はない。
昼過ぎから支度を始め、宴が始まったのは午後3時。
「アキラ殿、ハルトヴィヒ殿、まずはおめでとう」
手にしたワインの入ったグラスを掲げ、前侯爵が祝いの言葉を口にした。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「うむ、まずは2人の子供の誕生、そしてその健やかな成長を願って、乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!!」
祝いの席なので、使用人たちにもワインが振る舞われている。一杯ずつだが。
皆が飲み干した頃を見計らい、前侯爵家の家宰であるセヴランがよく通る声で宣言を行う。
「これよりアキラ様、ハルトヴィヒ様のお子様方への命名の儀を執り行います!」
短い拍手の後、アキラとハルトヴィヒ、それに赤ん坊を抱いたミチアとリーゼロッテが前へ進み出る。
この場合の『前』とは宴会場の上座に当たる場所、すなわち前侯爵の前である。
「アキラ・ムラタ・ド・ラマークとその妻ミチア」
「ハルトヴィヒ・ラグランジュとその妻リーゼロッテ」
4人、いや腕の中の赤子を入れて6人がフィルマン前侯爵の前に立った。
「よく来た」
前侯爵のバリトンボイスが響く。
「我が領地に住み、我が領地の一部を治め、また我が領民を支えてきた、そしてこれからも支えていくであろうそなたたちに祝福あれ」
厳かな声である。
「新たに生まれた命にも、土地の祝福と守りのあらんことを願う」
ここで親たち4人はお辞儀をし、頭を垂れる。
そこへフィルマン前侯爵からの言葉が掛かる。
「アキラ・ミチア夫妻の長男には『タクミ』。ハルトヴィヒ・リーゼロッテ夫妻の長女には『ヘンリエッタ』の名を授ける」
「ありがたき幸せ」
「光栄にございます」
4人+2人は1歩下がって前侯爵に深くお辞儀を行ったのである。
……と、形式と伝統に依るのはここまで。
「元気そうな子らだな」
「はい、閣下。おかげさまで」
「うむ。今日は顔を見るのを楽しみにしておった。1ヵ月で随分育つものだな」
そう、今日はアキラの息子が生まれてから1ヵ月が経っていた。
少し遅れてハルトヴィヒの娘も生まれたので、前侯爵はこうした大規模な祝いの宴を開くことにしたのである。
それには、さすがに生まれたばかりの赤ん坊を外に連れ出すのは憚られたため、この時期になったのである。
とはいえ生まれてから一月ではまだ首も据わっていない。
一方、目の方は1週間もすると動くものに反応するようになると言われており、今の2人は周囲の物ごとに対し目をキョロキョロさせて反応している。
「最初に見た時はまだもっとずっと小さかったのにのう」
「このくらいの子の成長は早いそうですから」
「うむうむ」
フィルマン前侯爵は、誕生の知らせを聞いてから一度『絹屋敷』にやって来て2人……タクミとヘンリエッタの顔を見ている。
それから1ヵ月近くが過ぎた今、2人の成長ぶりに驚くのも無理はない。
「倅の時もこうだったのだろうか……忘れてしまったわい」
そんなことを思った前侯爵であった。
* * *
この祝いの宴は周辺地域にも知らされており、振る舞い酒が飲めるということで近隣住民も大勢訪ねてきている。
アキラは領主としては気さくなので、領民たちからは慕われており、近所の住民は皆こぞってお祝いにやって来ていた。
「アキラ様、奥様、このたびはおめでとうございます」
「お子様誕生、おめでとうございます」
「ありがとう」
ハルトヴィヒも『ハルトコンロ』をはじめとした道具類の開発で名が知られており、大勢から祝いの言葉をもらっている。
「ハルトヴィヒ様、奥様、おめでとうございます」
「娘さんお誕生、おめでとうございます」
「ありがとう」
領民たちからのお祝いの言葉を受け、アキラもミチアも、ハルトヴィヒもリーゼロッテも嬉しかった。
「ミチア……あ、もう呼び捨てにできないわね。ミチア様、おめでとうございます!」
「やめてくださいよ。昔のように呼んでほしいです」
「それじゃあ……ミチア、おめでとう」
「おめでとう」
「ありがとう」
「赤ちゃん、かわいいわね」
「あたしもいい人いないかなあ……」
ミチアのところに集まってきたのはかつての侍女仲間。
リュシル、リリア、リゼット、ミューリらだ。
彼女らはその技術を活かし、今は侍女ではなく職人として『蔦屋敷』直営の工房で働いている。
彼女らはミチアとは久しぶりの再会で、話も弾んでいた。
* * *
日が暮れかければ、篝火と共にいくつかの電灯が灯る。
タングステンが手に入らないので、カーボンフィラメントの電球である。
電球のケースはレティシアが、全体の組み立てはハルトヴィヒが。
まだ発電量が少なく、蓄電池の容量も小さいので『煌々と』というわけにはいかないが、明らかに火とは違う明かりは、集まった者たちの目を惹いた。
「おお、さすが領主様だ」
「領主様、万歳! ハルトヴィヒ様、万歳!」
そして料理も振る舞われる。
お米を使ったお粥、おじや。醤油味の焼きおにぎりも出された。
「いい領地ですね」
「王都に帰りたくなくなってきたな」
「ほんとにね」
王都からの技術者、ジェラルド、ヴィクター、ベルナデットらは談笑しながら焼きおにぎりをぱくついていた。
「アキラ様、奥様。ハルトヴィヒ様、奥様。おめでとうございます」
ガラス職人のレティシアは用意していた『銀のスプーン』を2組の親子に贈った。
「ありがとう、レティ」
「大事にするわ」
「使っていただければ嬉しいです」
レティシアも、気が付けばこの地が大好きになっていた。
「これからもよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
* * *
日が暮れても『絹屋敷』の庭は、篝火と電球でまだまだ明るい。
それはド・ラマーク領、そしてこの国の未来を示しているかのようであった。
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次回更新は2月11日(土)10:00の予定です。
20230204 修正
(誤)振る舞い酒が飲めるということで近隣住民も大前訪ねてきている。
(正)振る舞い酒が飲めるということで近隣住民も大勢訪ねてきている。
20230205 修正
(誤)とはいえ生まれてから1月ではまだ首も座っていない
(正)とはいえ生まれてから一月ではまだ首も据わっていない。
20230206 修正
(誤)前侯爵はこのリオン地方一体を治めるレオナール・マレク・ド・ルミエ侯爵の父親である。
(正)前侯爵は、このリオン地方一帯を治めるレオナール・マレク・ド・ルミエ侯爵の父親である。




