第三十六話 玉繭
残酷な描写があります
蚕たちはすべて繭となった。
いよいよ『殺蛹』である。
王都からの技術者たちも職人たちに交じって作業をしていた。
職人たちは手分けをして『蔟』から繭を外していく。
その際、繭の周りには『毛羽』……繭を蔟に固定するための糸……がたくさん付いている。
これはこれで、くず繭と共に処理すると質は落ちるが『真綿』として使えるのだ。
蚕の吐いた糸を無駄にしないこと、また品質は落ちても絹は絹、ということで廉価版・普及版の真綿として使ったりもする。
「真綿、ですか……」
この世界では綿といえば『羊毛綿』である。
読んで字のごとく、羊毛から作った綿で、保温性の他、吸湿性、放湿性にも優れている。
現代日本でも最近使われ始めたというが、この世界では昔から使われていた。ただし富裕層と貴族・王族に限るが。
庶民は藁を叩いて柔らかくしたものを麻の袋に入れた藁布団が多かった。更に言うと藁そのものに寝る家も多い。
ところで最近は木綿の流通量が増え、木綿の布団や綿も庶民の手に入るようになってきてはいる。
ただ、木綿は暖かく乾燥気味の土地を好むため、ガーリア王国では南部でのみ栽培されており、まだ庶民に行き渡るまでには至っていない。
ちなみに、アキラたちの布団は木綿である。
「アキラ様、変な形の繭があります」
「どれどれ」
ベルナデットが差し出したのは普通の繭の倍近い大きさで歪な繭だった。
「ああ、玉繭か……」
「たままゆ、ですか?」
「うん、これも『くず繭』になるんだ」
「そうなんですか」
「どうしてもくず繭は出るんだよな……」
繭の形がひどく悪く、生糸をうまく引き出せそうもないものや、蚕の具合が悪く、非常に小さいものは『くず繭』という扱いになる。
今回の『玉繭』は、2匹の蚕が1つの繭を作ったものである。同功繭ともいう。
2匹で1つの繭を形成したわけであるから、見た目も大きいし、普通の繭と違って糸を引き出すのは楽ではない。
また、糸に節ができやすく、丈夫ではあるが太さが一定にならない。
「大量に出たならそれだけで糸を作って織物にする、ということもするんだがな」
そうしてできた糸は『紬糸』と呼ばれ、『銘仙』という織物の素材となる。
『銘仙』とは、高級な絹織物には向かない屑繭や玉繭から引いた太めの絹糸を緯糸に使って織ったもの。
絹織物としては丈夫で安価である。
輸出用生糸が増産された幕末以降に大量の規格外繭が生じたことで、これを有効活用するために関東の養蚕・絹織物地帯(後述)で多くつくられた。
その結果、銘仙の着物が大正から昭和初期にかけて大流行したという。
秩父銘仙(秩父)、伊勢崎銘仙(群馬)、桐生銘仙(群馬)、足利銘仙(栃木)、八王子銘仙(東京)などがそれである。
「というように、俺の世界では、この玉繭だけを使った織物もあるんだ」
「深いですね……」
とはいえ、今のド・ラマーク領ではそこまで繭の生産が多いわけではない。
なので今のところ低品質の真綿に使うしか用途がないのである。
閑話休題。
『殺蛹』とは、文字どおり繭の中にいる蛹を殺すことである。
やり方としては、乾燥させることになる。
その昔は日光に当てることで乾燥させたようだが、不十分な場合、繭を長期保存すると中の蛹が腐敗することがあった。
現代日本では『布団乾燥機』を使うとちょうどよいとされる。
が、アキラは『ハルトヒーター』を使って乾燥させていく。
「十分に乾燥させることで中の蛹も腐りにくくなるから、ある程度保存できるようになるんだ。そうやって一定数の繭が揃ったら『繰糸』を行うことになる」
繰糸とは、繭から糸を引き出すこと。数個から十数個の繭を使うので、数が揃わないと作業効率が悪いのである。
「せっかく繭を作ったのに、ちょっとかわいそうですね……」
王都からの技術者、その紅一点のベルナデットがぽつりと漏らした。
「うん、それはそうなんだが、お蚕さんが完全な家畜となっていることは前に話したろう?」
「はい」
「それは肉を食べるために牛や豚などの家畜を絞めるのと同じなんだよ」
「ああ、言われてみればそうですね」
「だから我々はお蚕さんとそのもたらしてくれる絹糸を大事にするんだ。……それに俺の国では石碑を建ててお蚕さんを祀って感謝することも行われていたよ」
『蚕神社』や『蚕霊供養塔』、『蚕玉さま石碑』などが日本各地に残っているという。
「そうなんですね」
「自然の恵みに感謝、ということだな」
「わかりました」
* * *
午後、アキラの執務室をレティシアが訪れた。
「アキラ様、できました!」
レティシアは『ハルト砥石』を使い、新作の『切子細工』を作り出していた。
「おお、これはいいな」
「自信作です!」
差し出されたのはタンブラー・グラス。
夏の盛りの今にマッチした、薄い青色のグラスに笹の葉のような模様が彫り込まれており、涼し気な見た目である。
江戸切子でいう『笹の葉紋』によく似ている。
というか、アキラが携通で見せた画像を参考に作ったのだという。
それだけでなく、レティシアが言うだけあって今回の切子細工は以前のようなU溝ではなく、エッジの立ったV溝でできている。
そのため、光の屈折度合いが違うのだ。
つまり『きらめき』が増した、ということである。
宝石のカットと同様、ガラスのカットも角度や屈折率がものを言う。
入射した光が散乱せずに目に届くと、きらめきを感じるわけだ。
「とはいえ、まだ『習作』の域を出ませんが」
習作とは読んで字のごとく、練習のために作る作品である。
今回の場合は、技術を磨くためにデザインを参考にさせてもらった、という意味だ。
「うーん、それはあまり気にしなくていいよ。というか、俺もちょっと勉強したんだが、『江戸切子』って、伝統的な紋様が幾つもあって、それを組み合わせてできている面もあるんだ」
アキラは『携通』で調べた情報を口にした。
「そうなんですね」
「うん。だからレティシアも、そうした伝統を受け継ぐ職人として、堂々と紋様を使ってほしい」
世界は違えど、同じ職人として、その技術を後世に引き継いでいってほしい、とアキラは言ったのだ。
「いかにも涼しげだな」
「はい。ほんの少しだけ青くしたガラスで作りましたから」
「うん、いいと思うよ」
「ありがとうございます! ガラスの色と切子の模様の相性もよかったと思います」
「そういうデザイン性もあるなあ。うん、よくやってくれた」
アキラはレティシアに来てもらってよかったと思っているし、レティシアもこのド・ラマーク領に来てよかった、と思っていた。
ド・ラマーク領の夏は今が盛りである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は12月24日(土)10:00の予定です。
20221217 修正
(誤)王都からの技術者たちも職人たちに混じって作業をしていた。
(正)王都からの技術者たちも職人たちに交じって作業をしていた。
(誤)ところで最近は木綿の流通量が増え、木綿の布団や綿も庶民荷艇に入るようになってきてはいる。
(正)ところで最近は木綿の流通量が増え、木綿の布団や綿も庶民の手に入るようになってきてはいる。
(誤)ただ、木綿は暖かく乾燥気味の土地を好むため、ガーリア王国では南部でのみ栽培されているため
(正)ただ、木綿は暖かく乾燥気味の土地を好むため、ガーリア王国では南部でのみ栽培されており
(旧)
その結果、銘仙の着物が大正から昭和初期にかけて大流行したという。
(新)
その結果、銘仙の着物が大正から昭和初期にかけて大流行したという。
秩父銘仙(埼玉)、伊勢崎銘仙(群馬)、桐生銘仙(群馬)、足利銘仙(栃木)、八王子銘仙(東京)などがそれである。




