第三十五話 ハルト砥石
「繭ができ始めましたね」
「うん」
第5齢となった蚕たちは、1週間ほどせっせと食事をし、『熟蚕』となった。
見分け方としては、身体が黄色く透き通ったようになり、少し小さくなる。
そして桑の葉を食べなくなる。
「どうしてこのようになるのですか?」
技術者の1人、ベルナデットがアキラに尋ねた。
「体内の絹糸腺に溜まっている絹の元となる物質が透けて見えているらしい」
「そうなんですね」
「なにしろお蚕さん1匹で1500メートルもの長さの糸を吐くと言うからな」
「すごいですね……」
もっとも、そのうち200メートルほど(繭を蔟に固定する用途の糸(足場糸)や、吐き出したばかりで質が安定しない部分)は絹糸としては使えないような品質なので、その分を除くと1300メートルくらいと言われる。
「でも1本では細すぎて使い物にならないから、数本から十数本を撚って糸に仕上げるんだよ」
「そうでしたね」
「服を1着仕立てるのに、どのくらいの繭が必要なんですか?」
今度はジェラルドからの質問だ。
「服にもよるけどな、俺のところの着物1着に3000個、と言われていたな」
「3000……!」
「大体お蚕さん1頭あたり0.5グラムの糸を吐くと言うからな」
そのうち使える分は0.4グラムくらいという。
「あれ? 今、『匹』でなく『頭』と言いましたね?」
今度はヴィクターが疑問を口にした。
「ああ、言った。……つい、匹で数えたり頭で数えたりしてしまうな」
「ええと、『頭』って、動物……獣の数え方ですよね?」
「まあそうなんだが、それだけお蚕さんが『家畜』として扱われていた証拠とも言えるな」
「ああ、そういうことですか」
「俺もつい、他の虫のように『匹』で数えがちだけどな」
「わかりました」
* * *
蚕たちは『回転蔟』に上っていき、思い思いの場所に繭をこしらえ始めている。
「あと3日以内に、ほとんどのお蚕さんが繭を作るだろう」
「そうしたら『殺蛹』ですね」
「そうなるな」
「かわいそうですけどね」
「それは同感だが、このために飼育されているわけで、シルクはもう必要ないということになったらお蚕さんは絶滅するからな」
「野生では生きられないんでしたっけ」
「そうなんだよ」
自力で桑の木を探すこともできないし、葉から落ちたらもう登り直すこともできない。
完全に人間に依存した生物、それが蚕だ。
「何千年もかけてそういう関係になったんだろうなあ」
生物の種が固定されるには短い気もするが、人間からの働きかけがあったからだろうとアキラは思っていた。
「前にも言ったかと思うが、我々にできるのは、こうして手に入れたシルクを徒や疎かにせず、役に立てることだと思う」
「仰るとおりですね」
「雑に扱ってはいけませんね」
「感謝して使わせてもらいましょう」
「そうだな」
こうした思想を理解してもらえたことに、アキラはほっとし、また嬉しかった。
同時に、末永く絹製品を愛し、使い続けてもらいたいな、と願ってやまないアキラであった。
* * *
さて、ハルトヴィヒである。
先日、『エメリー鉱』を山のように背負って帰ってきた彼だったが、アキラや妻のリーゼロッテから、
『何でも自分だけでやろうとするんじゃない』『自分の立場がわかっているのか』『部下を使うことを覚えなさい』
などのお叱りを受け、少しだけ反省したらしい。
とはいえ、『回転砥石』作りは急務なので、採取してきた『エメリー鉱』を使い、製作に明け暮れている。
まずは研磨用の粒子を作るところから、ということで、鉄床とハンマーで粉々に叩き潰し、篩い分けを行って粗いものから細かいものまで分別していた。
「うん、やっぱり研磨力はかなり高そうだ」
砕いた粒子を粘性のある油で練ってペースト状にした研磨剤を作り、ガラスを磨く実験をしているところ。
ざくろ石を使った研磨剤よりも短時間でガラスを削ることができている。
「これなら実用的だな」
あとはこれを固める方法である。
それは先日リーゼロッテが助言してくれた。
「漆喰と同じ様にできないかな?」
『漆喰』の主成分は『消石灰』である。
『消石灰』は、この世界ではレンガを積む際の接着剤としても使われている。
『漆喰』はそこに『糊』(ふのり・米糊など)や スサ(繊維質のもの 、刻んだ藁や麻の布など)を混ぜ、強度を上げている。
今回はスサは使わず、消石灰と糊で固めてみることにしたハルトヴィヒである。
結果から言うと、そこそこうまくいった。
「あまり大径の回転砥石は無理だけどな」
レティシアからの要望によれば、切子細工に使う回転砥石の直径は最大で15センチ。
そして削る対象がガラスなので、それほど回転数は上げずにすむ。
「回転数を上げると崩壊しそうだが、この直径なら大丈夫そうだ」
直径が大きくなればなるほど、回転させた時の周速度は高くなり、従って遠心力も大きくなる。
ガラス切削・研磨用なら高回転させずに使うので使い物になるわけだ。
ここで、消石灰で固めるだけだと脆すぎるために糊を混ぜている。
これにより、ハルトヴィヒの自己採点で85点のものが完成したのである。
* * *
「うわあ、これなら効率が上がりますよ!」
ハルトヴィヒから回転砥石の試作を受け取り、試してみたレティシアは、切削性能が格段に向上した、と報告。
「よし、量産しよう」
張り切って回転砥石を作っていくハルトヴィヒ。
回転砥石の形に凹ませた型に、研磨剤(エメリー粉)を結着剤(消石灰と糊を混ぜたもの)で練った原料を流し込み、固める。
固まったものをゆっくり回転させながら、エメリー鉱で作った工具を使い、芯出し・振れ取り(どちらも滑らかに回転させるための追加工)を行って仕上げる。
余談だが、この『人造砥石』もまた、ド・ラマーク領の特産品となり、鉱山では捨てられていた『エメリー鉱』が有効活用されるようになったのである。
これが『ハルト砥石』と名付けられるかどうかは、まだわからない。アキラはこっそりそう呼んでいるようであるが……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は12月17日(土)10:00の予定です。
20221210 修正
(旧)
もっとも、そのうち200メートルほどは絹糸としては使えないような品質(繭を蔟に固定する用途の糸(足場糸)や、吐き出したばかりで質が安定しない部分)を除くと1300メートルくらいと言われる。
(新)
もっとも、そのうち200メートルほど(繭を蔟に固定する用途の糸(足場糸)や、吐き出したばかりで質が安定しない部分)は絹糸としては使えないような品質なので、その分を除くと1300メートルくらいと言われる。




