第二十八話 新たな試み
3齢の蚕になると、桑の葉を食べる音『蚕時雨』もかなり聞こえるようになってきている。
さああ、という感じで、夏の朝、霧雨が葉に当たるような音だ。
「このまま病気にならずに育ってほしいなあ」
「病気は怖いんですね」
アキラの呟きにベルナデットが反応した。
「そうなんだ。前にも説明したけど、一番怖いのが『微粒子病』といって、少し前に大騒ぎになったからな」
「だから消毒が大事なんですね」
「そうだ。気を付けてくれよ。……これからこのあたりも、短いけど雨期になるからな」
「カビ……でしたっけ」
「うん。特に心配なのがカビだ。だからエアコンで湿度を調整することになる」
「ハルトヴィヒ様が開発なさったんですよね」
「ああ、助かっているよ」
ド・ラマーク領は北国なので、夏の冷房はほとんど必要ないが、冬の暖房としての燃料……薪が馬鹿にならなかった。
それが、イニシャルコストを除けば、『エアコン』の維持費は薪より安いので、領民の生活に役立ってくれている。
「ハルトが来てくれて助かってるよ」
「ええ、ハルトヴィヒ様の名前は王都にも響いてますからね」
ハルトヴィヒが聞いたら悶え転げそうなことをさらっと言うベルナデットであった……。
* * *
一方でレティシアは悩んでいた。
ガラス風鈴を10個ほども作ったが、納得のいく音にならなかったのだ。
「……やっぱりガラスの厚みでしょうか……」
「どうしたんだ?」
悩むレティシアに、見回りに来たアキラが声を掛けた。
「アキラ様……。あのですね、『風鈴』の音が、納得できないんです」
「どれどれ」
出来上がった風鈴を手に取り、息を吹きかけて鳴らしてみる。
ちりん、と澄んだ音が響いた。
「いい音だと思うがなあ」
「はい。とはいえこれでは80点、といったところなので……」
その完璧を目指す姿勢に、アキラは苦笑し、アドバイスを1つ。
「俺のところでは『江戸風鈴』とも言うんだけど、伝統のある職人技だから、見様見真似ですぐものになるものじゃないよ。弟子入りして10年くらい修行して一人前、なんてこともあるらしい」
昔の徒弟制度の場合、親方が手取り足取り教えるということはごくまれ。『見て覚えろ』というのも建前で、ほとんどの弟子は下働き…………と、アキラは偏見も交えて説明した。
「それがいいとか悪いとかじゃなくてな。そうして身に付けた技術は一生モノだ、ということは言えると思う。逆に、手順を教わって簡単に覚えてしまうと、その技術を軽く考えてしまうということはあると思う」
途中からアドバイスではなくなっていたようだが、レティシアには少し効果があったようだ。
「確かにそうですね。1日や2日で物にできると思うなんて思い上がっていました。アキラ様、ありがとうございます!」
アキラの助言により、レティシアも少し元気が出たようだった。
* * *
ミチアとリーゼロッテは『墨流し』の研究に余念がない。
「絵の具に少しアルコールを混ぜるといい感じですね」
水面に、絵の具の付いた筆先を浸けると、(水面が静かな場合は)円形に色の輪が広がる。
これは、絵の具を含んだ水の表面張力がわずかに下がったため、周囲の水に引っ張られて色が広がるからだ。
そしてアルコール(エタノール)には水の表面張力を下げる働きがある。
ゆえにアルコールで溶いた絵の具を水面に落とすと円形に色の輪が広がりやすくなるのである。
さらにそれを繰り返すことで同心円状の模様ができる。
色と色の間には表面張力で水が入り込んでいるので、かき回さない限り色が混じり合うことはない(さすがに何時間も放置すれば別)。
そこへ、そっと息を吹き掛けて同心円を変形させると、一期一会の『墨流し』模様が生まれるというわけだ。
そうしてできた模様の上に和紙のように吸水性のある紙をそっと載せ、静かに引き上げると水面にできていた絵の具の模様が紙に転写される。
この紙を、皺にならないよう伸ばして乾かせば、2つとない模様の付いた紙が出来上がる。
最初は1色で練習していたが、ほぼコツが掴めてきたので2色に増やして試行錯誤中だ。
「2色になると、一気に華やかになるわね」
リーゼロッテが言い、ミチアも頷いた。
「そうですね。青と赤、黒と赤、黒と黄色、なんかがいい感じです」
色数が増えれば増えるほど、配色のセンスも重要になってくる。
そのあたりは、ミチアもリーゼロッテも心得ており、無闇矢鱈と色数を増やして混乱するようなことはしなかった。
2人は楽しみながら『墨流し』を研究していくのであった。
* * *
さて、ハルトヴィヒである。
彼はアキラに頼まれ、ガラス用の塗料を検討していた。
ガラス風鈴に絵を描くためである。
ガラスの表面は平滑なので、通常の塗料はすぐに剥がれてしまうから、なかなか大変な依頼であった。
「乾燥した時に縮まないこと、だよなあ」
ガラスは伸び縮みしにくいので、塗膜が乾燥するにつれ縮むようでは密着は難しい、というわけだ。
また、水濡れに弱いのも困る。
「使うなら樹脂だな」
そこで思いつくのが、『銅線に被覆をした』あの樹脂である。
南方で採れるカッスというナッツの実から取った油を精製したもの。
現代日本でいう、『漆』に近い樹脂だ。
乾燥した後も若干の弾力を持つので、銅線を曲げても剥がれたりしない。
アキラは手に入る時には買えるだけ購入しているので、在庫はたっぷりある。
「問題は、きれいな色を出せるかどうかだ」
この樹脂は、そのままだと飴色……半透明な茶褐色をしているのである。
ここに顔料を混ぜても、発色がよくないのではないかとハルトヴィヒは考えたのだ。
「まずは試してみるか」
樹脂を溶剤であるテレピン油で少し希釈し、そこに『白』の顔料……『消石灰』を混ぜてみた。
「うーん、やっぱり茶色っぽくなるか」
ガラス板に塗布してみると、白ではなく薄い茶色に見える。
「これは要研究だな」
樹脂の色を薄くする方法についてはリーゼロッテとも相談してみるか、と考えるハルトヴィヒであった。
新たな工芸の手法、その誕生は近い、かもしれない……。
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次回更新は10月29日(土)10:00の予定です。
20221022 修正
(誤)「使う樹脂だな」
(正)「使うなら樹脂だな」




