第十八話 薬ビン
4齢となった蚕たちはもりもり桑の葉を食べている。
その分糞も多く、毎日の掃除がけっこう大変である。
毎日新しい葉を入れ、その際に古い葉と溜まった糞は処分する。
「とにかく清潔を保つこと」
「はい、アキラ様」
アキラは3人の技術者に基本を教え続けていた。
3人もまた、熱心に説明を聞き、覚えようとしていたのである。
* * *
その一方で、アキラはハルトヴィヒに1つの提言を行う。
「なあハルト、茶色いガラスも積極的に作ってもらえないか?」
「うん? どういうことだ? 赤と黄色と黒を混ぜて発色させれば茶色いガラスはできるが?」
だが、アキラは首を横に振った。
「それじゃ駄目なんだ」
アキラはその理由を説明する。
まず、何種類もの添加元素が必要になるため、コストが上がるだろうこと。
次に、配合比で色相(色合い)が変わるため、色の管理が大変だろうこと。
最後に、『赤』を出すには金が必要なため、非常に高価なものになってしまうだろうこと。
これらである。
「用途としては保存容器なんだ」
「なるほど、保存用のビンか!」
「そうなんだ。『携通』で見てもらえればわかるが、一番の用途は薬の保存さ」
太陽光線に含まれる紫外線によって分解したり変質したりする薬品は多い。
試薬なども、こうした遮光瓶で保管すると変質しづらい。
「茶色は……酸化鉄、二酸化マンガン、炭素、硫黄か……炭素と二酸化マンガンは還元剤なんだな」
『携通』の情報を確認するハルトヴィヒ。思ったよりも添加元素は多かった。
とはいえ『金』を使わなければ、コストは抑えられるはずである。
「とにかくやってみるよ」
「是非頼む」
アキラはハルトヴィヒに一任するのだった。
* * *
茶色いガラスをハルトヴィヒが模索している間、アキラは『ビンの蓋』を探していた。
「螺旋を切ってねじ蓋にするわけにもいかないしなあ」
ゴムを使うという手もあったが、アキラ自身、かつての日本で、ゴム栓の試薬ビンというものは見たことがなかった。
(劣化するからかな……)
ゴムやプラスチックのような『高分子材料』には『クリープ』と『応力緩和』という2つの欠点となる性質を持っている。
『クリープ』とは『一定の応力の元、歪みが上昇する現象』である。
『応力緩和』とは『一定の歪みの元、応力が低下する現象』である。
『パンツのゴムが伸びてしまう』のはこの性質による。
ゴム栓の場合でも、きつかったものがだんだんゆるくなってしまうことになる。
やはりコルク栓か、とアキラは判断した。
コルク栓は、ワインのビンの蓋として使われていた。
そこで、ワイン50本分の蓋を作れるだけのコルクを発注した。
コルクは地球ではコルクガシの樹皮である。
こちらの世界でも、ほぼ同じ植物があり、それを使ってワインのビンに栓をしていた。
コルクは、弾力性があり水をほとんど通さない(通気性はわずかにある)のでこうした用途に向いている。
一般に『コルク』というと、コルクガシの樹皮のコルク組織を剥離して加工した、弾力性のある素材である。
コルクガシは地中海性気候を好むのだが、こちらの『コルクの木』もまた暖かい地方に多いようだった。
* * *
「できたぞ、アキラ」
「おお、これはいいな」
できあがった試作のビンは、アキラが見慣れていた薬ビンの色である。
ビール瓶の色といってもいい。
「これなら十分実用性があるだろう。ハルト、ありがとう」
「それじゃあ、試しにビンを作ってみるか」
「うん、頼んだ」
単純(?)な試薬ビン、薬ビンならハルトヴィヒにも作れる。
翌日には試作の薬ビンができあがってきた。
「これならいいだろうな。保存ビン完成だ」
そういうわけで出来上がった試作のビンを見て、アキラはほっとした顔をした。
見慣れた茶色をしていたからである。
「アキラ、試薬ビンは全部これに入れ替えた方がいいかな?」
「そうだな。リーゼロッテの分もあるといいかもしれない」
「作ってみるか」
「無理しないようにな」
「わかってるって」
こうして、標準的な薬ビン量産の目処も立ったのである。
* * *
「ここに来てよかったな」
「まったくだ。王都からこんなに離れているのに、最先端の技術が検討されている」
「帰るまでに覚えたいことがありすぎるわね」
「まったくだ」
王都から来た3名の技術者たちは、休憩時間にそんな話をしている。
「さて、桑の葉の採集に行ってくるか」
蚕もまもなく5齢を迎え、食欲旺盛である。
季節はまだ少し肌寒いため、桑の葉を集めるのにも少し苦労がある。
南向きの暖かい斜面に植えられた桑の木からしか、まだ葉が採取できないからだ。
「あと少しの辛抱だ」
とアキラは言っている。
本格的な春はもうすぐである……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は8月20日(土)10:00の予定です。
20220813 修正
(誤)「そうだな。リーゼロッテの分もあるといいかしれない」
(正)「そうだな。リーゼロッテの分もあるといいかもしれない」




