第十七話 色ガラスのラインアップ
蚕たちは2度目の『眠』を経て脱皮をし、3齢となった。
もう桑の葉を刻んでやらずとも、シャクシャクと食べられる。
蚕室にはその音が小気味よく響いていた。
* * *
「うーん、やっぱり素人細工じゃ今一つだな」
ハルトヴィヒは試しに『青いガラス』でグラスを作っていた。
だがデザインが今一つ、いや今二つくらいなため、色はよくても全体の雰囲気が安っぽい。
「職人に任せたいものだ」
そう独りごちたハルトヴィヒは、次の研究に取り掛かった。
緑色のガラスである。
現代日本では主に『クロム』を添加する。
そしてクロムの鉱石は『クロム鉄鉱』のみ。
宝石や貴石などでクロムを含むものはあるが、含有量が微量過ぎて鉱石としては役に立たない。
そして、この世界で『クロム鉄鉱』は未発見であった。
「と、すると他の元素か……」
アキラの『携通』によると、鉄や銅でも緑色を出せるはずなのだ。
元々、一般的なガラスが緑色(厚み方向を見ると緑色に見える)なのは微量の鉄を含んでいるからである。
「鉄だな」
酸化鉄Fe2O3、いわゆる『赤さび』である。
これをガラスに混ぜることで青みがかった緑色のガラスができた。
「うーん、鮮やかさがもう少し欲しいが、まずはこれでよしとするか」
ハルトヴィヒはギリギリ及第点と自己評価したのである。
* * *
「3齢になるとかなり食べるようになる」
王都からの技術者たちに、今日も説明を行うアキラ。
「とにかく、桑の葉を切らさないことだ。逆に言うと、手に入る桑の葉の総量で飼える蚕の総数が決まると言える」
「確かにそうですね」
「だからここド・ラマーク領とお隣のド・ルミエ領では桑畑の拡張に力を入れてきたんだ」
「王都でも桑畑を作ってますね」
「だが、限度があるだろう。小麦や果樹を作らないわけにはいかないのだから」
絹はあくまでも贅沢品であり、優先度を間違えてはいけない、とアキラは思っている。
その点、今の王家はきっちりと理解してくれているようだ。
「で、感染症……病気にも気を配らないといけない」
「はい」
「この『蚕室』はリーゼロッテが改良してくれた『《ザウバー》』の効果を持つ魔法道具で殺菌されているが、それだって万能ではないからな。出入りする一人一人が気をつけるに越したことはない」
「わかりました」
地球で過去に大流行し、こちらの世界でも危うく蚕が絶滅するところだった『微粒子病』の猛威について、アキラは忘れることができず、事あるごとに注意喚起を行っていた。
* * *
ハルトヴィヒはガラスを『紫』にする研究を行っていた。
「やっぱりマンガンだよな」
『携通』の情報により、マンガンの添加により紫色のガラスができることはわかっていた。
問題はマンガンの入手である。
紫を発色させるのは二酸化マンガンMnO2である。
これはマンガン乾電池にも使われている酸化剤である。
また、『黒い顔料』でもある。
ハルトヴィヒはこの『黒い顔料』という点に着目し、黄色の顔料『硫化カドミウムCdS』と共に、取り寄せて調べていたのだ。
しかし、分析方法も確立されておらず。どれがそうなのかよくわからなかった。
そこで、ガラスに混ぜてみればいいと、実践的な選別をすることにしたわけである。
その結果、試料ナンバーM4と呼んでいるものが二酸化マンガンであることがほぼ確実となった。
「これは……バスチアン・バジル・ド・ロアール伯爵領で採れた顔料か」
バスチアン・バジル・ド・ロアール伯爵は、リオン地方の領主で、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵の息子のレオナール・マレク・ド・ルミエ侯爵の友人である。
とにかく、ガラスを紫に発色させることができるようになったのだ。
「これで赤、黄、緑、青、紫のガラスを作れることになったわけだ。あとは……橙、白、黒かなあ」
アキラの『携通』で見せてもらった画像の1つに、『ステンドグラス』があった。
それは、一種、神秘的な芸術作品であった。
この世界にもそれに類するものはある。
が、ガラスそのものに色を付けるのではなく、塗料を塗って色ガラスにしているのだ。
なので保守が大変である。
閑話休題。
ハルトヴィヒがガラスに自在に色を付けられるようになるまであと少し。
「黒は、添加元素を混じり合わせる、か……」
赤、黄、緑、青、紫、それぞれの色を出す添加元素を全部混ぜてみる。
「おお、それっぽくなった」
やや黄色みがかっていたので、補色である紫を濃くするということで二酸化マンガンを少し多めにしてみることで、黒あるいはスモーク色のガラスを作ることができるようになった。
「白は……フッ化カルシウムを試してみるか」
これは蛍石として産出し、正八面体に割れる劈開を持つ。
熱すると蛍光を発することから蛍石の名がある(その際に割れ、破片が飛散するので危険、要注意)。
蛍石はまた、製鉄時にスラグ(鉱滓)を分離させやすくするために使われる。
これにより、ハルトヴィヒは乳白色のガラスを手に入れた。
* * *
「そうか、ほとんどの色を出せるようになったんだな! おめでとう!!」
ハルトヴィヒの報告を受け、アキラは我が事のように喜んだ。
「はは、ありがとう。ただなあ、橙色だけは単独で出せなかったよ。今のところ赤と黄色を混ぜて作るしかない」
「それは仕方ないな」
橙色を出すにはセレンが必要であるが、今のところこの世界ではセレンを入手する術がないのである。
何でもかんでも『携通』どおりにはできないのだ。
「それでも色ガラスづくりは一段落だな」
「それはそうだ」
「で、朗報だ。前侯爵閣下からの電信で、明日か明後日には、ご推薦の職人が来るらしいぞ」
「お、それは楽しみだ」
ド・ラマーク領発の『ハルトガラス』が世に出る日は近い……かもしれない。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は8月13日(土)10:00の予定です。
20220806 修正
(旧)それは一種神秘的な芸術作品であった。
(新)それは、一種、神秘的な芸術作品であった。
(誤)そこで、ガラスの混ぜてみればいいと、実践的な選別をすることにしたわけである。
(正)そこで、ガラスに混ぜてみればいいと、実践的な選別をすることにしたわけである。
(誤)地球で過去に大流行し、こちらの世界でも危うく蚕を絶滅するところだった『微粒子病』の猛威について
(正)地球で過去に大流行し、こちらの世界でも危うく蚕が絶滅するところだった『微粒子病』の猛威について
(誤)だだなあ、橙色だけは単独で出せなかったよ。
(正)ただなあ、橙色だけは単独で出せなかったよ。




