第十二話 始動
まだ朝晩は寒いが、『蚕室』はハルトヴィヒが開発した『エアコン』を導入しているので暖かい。
「今日からお蚕さんの世話を開始する」
「はい!」
領主であり養蚕指導者のアキラが宣言すると、『絹屋敷』とその周囲は一気に慌ただしくなった。
まずアキラが『魔法式保存庫』から、貯蔵してある蚕の卵を取り出す。
1年の最初の儀式のようなものだ。今回はおよそ1万個。
今のド・ラマーク領にはそれだけの養蚕キャパシティがあった。
「これが卵だよ」
「ははあ、黒い粒ですね」
「ああ、そうだ。『休眠卵』は黒いのですぐにわかる。秋に産みつけられた卵はほぼ全部が休眠卵になるんだよ」
アキラは、王都から派遣された3名の技術者……ジェラルド、ヴィクター、ベルナデットらに説明していく。
彼らには養蚕に関する小冊子も渡してあり、予備知識は十分にあった。
故にアキラは説明を続けていく。
「これは、気温と日照時間からそうなるようだ。秋になって気温が下がり、昼の時間が短くなったことから蚕は冬が近づいたことを感じ取るんだろうな。休眠卵が産まれる」
「ははあ、賢いんですねえ」
ジェラルドが感心したように呟く。
アキラは説明を続けた。
「これは冬を越すことで孵化する。そこでその性質を利用して、一旦寒さに当て、その後暖かい室内に出してやるともっと早くに孵化するようになるんだよ」
「わかりました」
こうして蚕を飼う技術者の養成が開始された。
各村から養蚕技術者が呼ばれ、孵化前の卵が配られる。
「今年も頼むぞ」
アキラ自ら、各村の代表に卵の付いた『種紙』を渡していく。
「はい旦那」
「はい、領主様」
それは昼食までに全て終わった。
* * *
午前中にド・ラマーク領の各村へ卵を配り終えたので、昼食後のアキラは王都からの技術者3名に掛かりきりになっても文句を言う配下はいない。
「続けるぞ。 蚕の卵を適当な温度に保って孵化させることを『催青』と呼ぶんだ。『催』は俺の故郷の言葉でうながすとかせきたてるという意味がある。そして『青』は、蚕の卵は孵化直前になると青く見えることからくるのだろうな」
「ははあ……」
3人ともメモを取りながら聞いている。
「蚕の卵は、寒い保存所から出して25℃くらいの暖かい所に置いておくと約10日で孵化すると言われている。だからエアコンによる温度管理が重要になってくる」
「そうなんですね」
「今日はこの卵が張り付いた紙……『種紙』を空調管理された『蚕室』に置いておくことが作業だ。あとは1日3回、異常がないか見回ってくれればいい」
「わかりました」
* * *
蚕の卵が孵るまで10日ほどは、異常がないか見回ること以外には何もすることがない。
それでこの猶予期間を利用して、アキラはいろいろな教育をするつもりだった。
「まずは稲作についてだ」
『絹屋敷』から5分ほど川に向けて歩いていくと水田があり、ちょうど『代掻き』をしているところであった。
アキラは稲作についても説明する。
「代掻きというのは田んぼを掻き回すことだ。これによって固まった土が砕かれる。水を入れているから、最後には平らになる」
冬の間は水田も水を抜いている。
その間に土が固まってしまうのだ。
ここでベルナデットが質問を行った。
「ええと、肥料はどうするんですか? どのタイミングでやるんでしょう?」
アキラはそれに答える。
「肥料としては、植えてあるレンゲソウをそのまま鋤き込むことになる。レンゲソウはマメ科の植物で、マメ科の植物のほとんどは根に『根粒菌』という共生菌を持っているから、これが当面の肥料になるんだ」
「ああ、あの赤い花はレンゲソウでしたか」
「加えて水田には、用水と一緒に肥料分が流れてくることもあるんだ」
「ははあ、合理的なんですねえ」
「まだ多少手探りな点はあるけどね」
アキラたちの目の前には、水を張り始めた田んぼが広がっていた。
* * *
「さて、今日の実習で何か感じたことは?」
『絹屋敷』に戻り、リビングで質疑応答の時間を作ったアキラである。
「はい。ええと、『稲作』なんですけど、思ったより早い時期から始めるんですね。驚いちゃいました」
真っ先に感想を述べたのはベルナデットだった。
それに続いてジェラルドも感想を述べる。
「私としてはお蚕さんの卵を見ることができて、思ったより小さいんだなと……」
「あ、それは私も思いました」
アキラは同意するように頷いてみせた。
「そうだな。お蚕さんの卵は小さい。やがて孵化すると桑の葉を一心不乱に食べ始めるからな」
「あれ? まだ桑畑は芽吹いたばかりだと思いますが、間に合うんでしょうか?」
「間に合わないな。だから、昨年採り溜めておいた桑の葉を使う」
「ああ、なるほど、そうですか」
「あくまでもつなぎだけどな。お蚕さんはやはり新鮮な葉のほうが好きなようだ」
冷蔵貯蔵していた桑の葉と、採取したての桑の葉の両方を蚕に与えてみると、ほとんどが採取したての桑の葉に群がるという。
「そろそろ農繁期が来る。そうしたらいろいろと忙しくなるぞ」
「はい。頑張ります」
「望むところです」
「楽しみです」
やる気に満ちた3人であった。
* * *
夕食。
この日アキラはミチアと夫婦水入らずで食べている。
「具合はどうだい?」
「大丈夫。順調よ」
「それならいいんだ。くれぐれも気をつけてくれよ。転んだり風邪を引いたりするなよ……」
「わかっています、あなた」
平和な『絹屋敷』の夜であった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は7月9日(土)10:00の予定です。
20220702 修正
(誤)彼には養蚕に関する小冊子も渡してあり、予備知識は十分にあった。
(正)彼らには養蚕に関する小冊子も渡してあり、予備知識は十分にあった。
(誤)転んだり風邪を引いたしするなよ……」
(正)転んだり風邪を引いたりするなよ……」
(旧)「加えて水田には、用水と一緒に肥料が流れてくることもあるんだ」
(新)「加えて水田には、用水と一緒に肥料分が流れてくることもあるんだ」
20220903 修正
(誤)そこでその性質を利用して、冷蔵庫などで寒さに当て、その後暖かい室内に出してやるともっと早くに孵化するようになるんだよ」
(正)そこでその性質を利用して、一旦寒さに当て、その後暖かい室内に出してやるともっと早くに孵化するようになるんだよ」
(誤)「蚕の卵は、冷蔵庫から出して25℃くらいの暖かい所に置いておくと約10日で孵化
(正)「蚕の卵は、寒い保存所から出して25℃くらいの暖かい所に置いておくと約10日で孵化




