第十話 始まりの春
雪解けの春。
ミチアもリーゼロッテも、臨月まではもう半年もない(予定)。
アキラとハルトヴィヒは、この時期に帰ってくることができてほっとしていた。
* * *
我が家に帰ったアキラとハルトヴィヒ。ミチアもリーゼロッテも健康そのもので、お腹の子も順調に育っているようだった。
「お疲れさまでした」
侍女のアネットが淹れてくれた桑の葉茶を飲み、アキラは愛妻ミチアに王都での話を聞かせている。
「今回もいろいろなことがあったのですね」
「そうなんだ。とはいえ『養蚕』と『絹産業』についてはだいたい落ち着いたかな。生産量だけだな、問題は」
「そうですね。養蚕は軌道に乗りましたね」
これまでの苦労が実り、養蚕・絹産業は緩やかではあるが発展の一途をたどり始めたと言えよう。
「次の特産品を考える時かもしれないんだ」
「そうですね」
ド・ラマーク領の特産品として『い草』『甜菜糖』『わさび』などがあるが、領内の景気を一気に押し上げるほどではない。
また、そうした特産品の生産・販売が軌道に乗って利益が出始めるには数年を要するため、早めに次の手を打つに越したことはない。
おまけに、アキラが考える『近代化』を進めるためには予算は多いほどいいのだ。
「その1つが……」
「金鉱、ですか? でも、あれはお隣の……」
ド・ラマーク領のすぐ隣、ド・ルミエ領で水晶・石英と共に金が採れるかもしれないという情報はまたたく間に領内に広まっていた。
「ああ、いやいや、金そのものは少しでもいいんだ。本命は色ガラスさ」
「え? ……ああ、『赤』ですね!」
「大正解」
『携通』の情報の9割以上を書写してくれたミチアは、その卓越した記憶力もあって、『赤い色ガラス』には金を混ぜる、ということを覚えていたのである。
「これが産業になれば、しばらくは他の色ガラスには追随できない品質のものができると思うんだ」
「そうですね」
現在、ガラスの『赤』は銅で出しているが、暗い赤にしかならない。
明るい赤は『セレン』で出せるが、今のところこの世界では見つかっていないようだ。
そこで『金赤』と呼ばれる、深いワインレッドもしくは真紅を出せる『金』の出番ということになる。
金は自然金という形で自然界に存在するため、古くから利用されてきた金属である。
が、同時に希少であり、高価なため、装飾品や貨幣には使われても、色ガラスに使ってみようという者はいなかったのだ。
まして、金をそのまま添加するのではなく、『王水』に溶かして添加するという発想に至っていないのは仕方のないところである。
「リーゼロッテの出産が終わるまでお預けだけどな」
とはいえ、ド・ルミエ領で金が採れるかどうかはこれからの調査次第であり、採れたとしても実際に採掘が始まるのはまだ先の話なので、まだまだ猶予期間はあるというわけだ。
「それまでのあいだ、ハルトには『ハルトコンロ』じゃなく『ハルト炉』を開発してもらうことになるだろう」
「そういうことですか」
「ああ。その辺までは帰りの馬車の中で打ち合わせ済みだ」
「ふふ、『炉』にまで名前を付けられること、嫌がったんではありませんか?」
「当たりだ」
ミチアは、ハルトヴィヒの反応を正確に見抜いていた。
「でも、『炉』が完成したら、コンロ以上に世界に寄与できると思うよ」
「そうですね」
工業用の熱源として、『ハルト炉』は、完成すれば大きな変革をもたらすだろうとアキラは楽しみに思っている。
「あ、動きました」
「どれどれ」
それ以上に、我が子の誕生が待ち遠しいアキラであった。
* * *
さて、ハルトヴィヒである。
「ハル、お疲れ様」
「リーゼも元気そうでよかった」
「ふふ、ありがと」
こちらも夫婦水入らずで談笑していた。
「でも、色ガラスかあ。面白そうね」
「子供が生まれるまで駄目だぞ。まあ、閣下の村で金鉱石を採掘し始めないと原料が手に入らないんだけどな」
「そうよね」
原料の水晶・石英は『石』であるから重い。遠くから買い込むと輸送費が高くつき、コストが跳ね上がってしまう。
同様に、できあがったガラスも、遠くまで輸送しようとすると高いものになってしまうのだ。
「だから付加価値を上げて色ガラスにするわけよね」
「そういうこと。さすがアキラだな」
「さらに付加価値を上げるため、製品にまでしちゃおうというわけね」
「うん。それは僕の領分だからな」
「私が色ガラスを作れるようになるまでに、ガラスの量産化を軌道に乗せておいてね」
「頑張るよ」
そんな夫婦の会話であった。
* * *
そして、王都から派遣された技術者。
今年は最終的に3名が選ばれた。
そして今回は『養蚕』だけではなく、『科学』『衛生』『料理』について学んでくるべし、という命が下されていた。
彼らはアキラが『異邦人』と知っており、できるだけ学んでくるようにという曖昧な指示だけを受けて派遣されたのである。
「田舎かと思ったら、意外と快適だな」
最年長のジェラルドが言った。最年長といってもまだ32歳だが。
「私は、こういう環境、好きです」
と、紅一点のベルナデット。既婚者である。年齢は25歳。
「パリュ出身といっても郊外の村ですからね」
ベルナデットの夫、ヴィクターが苦笑しながら言った。彼は今年27歳になる。
3人は与えられた宿舎に落ち着き、ラウンジで談笑していた。
この宿舎は昨年秋に完成したもので、こうした長逗留の客人を住まわせる施設である。
快適度は王都にも負けないよう、アキラとハルトヴィヒが苦心した施設であった。
「それ以上に『異邦人』の領地に興味がありましたから」
「それはヴィクターに同感だ。そして興味深いものはたくさんあるしな」
「ええ」
技術者たちの滞在期間は1年。
何を学んで帰るか、それは各自の心がけ次第なのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月25日(土)10:00の予定です。
20220618 修正
(誤)快適度は王都にも負けないよう、アキラとハルトヴィヒ学信した施設であった。
(正)快適度は王都にも負けないよう、アキラとハルトヴィヒが苦心した施設であった。
(誤)『ハルト炉』は、完成すれば大きな変革を漏らすだろうとアキラは楽しみに思っている。
(正)『ハルト炉』は、完成すれば大きな変革をもたらすだろうとアキラは楽しみに思っている。
20221229 修正
(誤)ミチアもリーゼロッテも、臨月まではもう半月もない(予定)。
(正)ミチアもリーゼロッテも、臨月まではもう半年もない(予定)。




