第三話 議論の3日目
報告会3日目は議論の日……質疑応答、意見の出し合い、内容の検討、事実の確認、等々を行う日である。
「まずは『養蚕』の展望について聞かせてもらおう」
進行役である宰相パスカル・ラウル・ド・サルトルが口を開いた。
それに答えるのはアキラ・ムラタ・ド・ラマーク男爵。
「はい。……ここのところ、生産量はほぼ倍々で推移してきましたが、それもあと数年かと思われます。その後は緩やかな増加に推移していくと思われます」
「うむ。理由は?」
「はい。蚕の餌となる桑の葉の生産量が頭打ちになるからです」
今現在は植林を進めていけるが、近い将来にはもう増やせる場所がなくなる、とアキラは説明した。
「ですが、自然の多様性という観点からも、森林の全てを桑の木にすることはまずいと思います」
「うむ。それは昨年も聞いたな」
産業相ジャン・ポール・ド・マジノは頷いた。
そして農林相ブリアック・リュノー・ド・メゾンも発言する。
「その点は、他の地方にも桑畑を作ることで対応しようと思う」
「それでしたら大丈夫でしょう。その代わりに桑の木が成長しますので、採れる葉の量は緩やかに増えていくと思われます」
「うむ。そのためにも、養蚕技術者の育成が必要だ。昨日も話したが、今年も技術者候補5名の教育を頼む」
「承りました」
こうして、『養蚕』のための下地は整備されていくのだ。
他にも、細かな取り決めや改善のヒントなどが議論されたのである。
* * *
『養蚕』についての議論が終結した後。
「次に、『印鑑』について検討したいのだが」
宰相が提案を行い、異議が出ないので話題は『印鑑』へと移る。
「はい」
「アキラ殿の国で『印鑑』がどのように運用されていたのか、詳しく聞きたいと思う」
「はい。……サインに比べ、効率化が図れるのはいいのですが、行き過ぎると『ハンコ文化』などと揶揄されるようになるので気をつけないといけませんね」
「なるほど。続けてくれ」
「はい。……メリットとしては『責任区分がはっきりし、証拠が残る』というものがあります」
「確かにな。誰がそれを押したのか、一目瞭然だからな」
「そうです。一方で、形骸化する恐れもあります。効率的であるがゆえに、内容をよく読まずに判を押すとか、担当者不在なのに部下が判を押してしまうというようなことも起こりえます」
「おお、そういうことか。気をつけねばいかんな」
『ハンコ』については近年日本でも『脱ハンコ』などという動きがあった。
しかしそれは『テレワーク』をはじめとする『デジタル技術』ありきのものなので、完全アナログなこの世界ではまだまだ先の話である。
とはいえ、形骸化のデメリットについては十分に議論する必要があるといえた。
「これについてはまだまだ議論が必要なようだな」
「そうですな」
「拙速は禁物ですな」
宰相・産業相・農林相・魔法技術相らは、アキラの忠告を容れ、慎重に事を運ぶことにした。
「まずは、公文書ではないところから始めてみようではないですか」
とは産業相の提案。
「おお、そうですな」
「よろしいと思いますぞ」
「いいですなあ」
皆賛成のようで、
「では、私用に使う印は円形、公文書は方形、とだけ決めようではありませんか」
という提案にも皆頷いた。
「おお、それはいいですね」
「そうしましょう」
と、こういうわけで、私的な書類……手紙や通知書などに円形を基調とした印を作って押すところから始めてみることになったのである。
* * *
その次に話題となったのは『防疫』『衛生』についてである。
「アキラ殿、伝染病を防ぐため、石鹸やアルコールの他に何が有効ですかな?」
「殺菌・消毒剤はいろいろありますが、こちらの世界でしたらやはり《ザウバー》の魔法ですね」
《ザウバー》はリーゼロッテが改良した魔法で、浄化と殺菌の効果がある。
魔導具化も進んでおり、『蔦屋敷』やド・ラマーク領の『蚕室』には設置されている。
「これをもう少し簡素化したものを各家庭や街頭などに設置できたらいいのですが」
病気は貴族・平民を選ばない。
平民の間に疫病が蔓延すれば貴族にも移るであろうし、何より人口減少によって国力の低下に繋がりかねない。
「公的予算を組むべきであろうな」
「は、陛下」
ほぼ聞き手に徹していた国王、ユーグ・ド・ガーリアが口を開いた。
「アキラ殿、それにハルトヴィヒ殿、その《ザウバー》の魔導具の運用コストを落とす工夫はないのですかな?」
この質問に答えたのはハルトヴィヒ。
「あります。…………『ハルトコンロ』の考え方を応用すれば、消費魔力が減りますから……」
「おお、導入コストはともかく、運用コストは減りますな」
「はい」
このヒントを元に、王都の技術者は努力を続けて『滅菌の魔導具』を作り出し、それは後年、最終的には各家庭にまで普及するのだが、それはまた別のお話。
「あとは歯ブラシの普及も必要でしょうね」
「うむ、『甜菜糖』の時にそんなことを言っていたな」
「はい。今はまだほとんど『虫歯』の人はいないようですが、油断は禁物です」
そしてアキラは虫歯の恐ろしさを語った……。
「そ、そうか……歯周病になると、痛くもないのに歯が抜けることもあるのだな」
「口付けや食器の共用でも虫歯は移るのか……怖いな」
「基本、歯垢が付かないよう注意することと、水でいいので食後に口を濯ぐ習慣をつけることでしょうかね」
この世界での虫歯率は極々低い。
それでも、それをよしとせずに対策するのは悪いことではないとアキラは主張した。
「うむ、その『歯ブラシ』の製作も検討してみよう」
「お願いします」
産業相が請け合ってくれたので、アキラとしても安心であった。
「それに『網戸と蝿帳』も公衆衛生に繋がりますから」
「うむ。虫が病気を媒介するということは、少なくとも王都の民には浸透してきた。ゆえに普及も早いだろう」
「それは朗報です」
王都で流行れば、地方都市へとそれは伝播する。
結果、国中で使われるようになるわけだ。
このようにして、アキラの提案は実際にどう運用するべきかの議論を経て国策となっていくのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は4月30日(土)10:00の予定です。
20220423 修正
(誤)『養蚕』についての議論が集結した後。
(正)『養蚕』についての議論が終結した後。
(誤)完全アナログはこの世界ではまだまだ先の話である。
(正)完全アナログなこの世界ではまだまだ先の話である。
(誤)「これをもう少し簡素化したものを各家庭や街灯などに設置できたらいいのですが」
(正)「これをもう少し簡素化したものを各家庭や街頭などに設置できたらいいのですが」
(誤)そしてアキラは虫派の恐ろしさを語った……。
(正)そしてアキラは虫歯の恐ろしさを語った……。




