第二十五話 春を待つ頃
雪が降りしきる冬。
アキラは『蒸気機関』を実用化した際に起こりうる弊害を書類にまとめていた。
公害や失業者の増加である。
これは実際に『地球の歴史』で起こったことなので、説得力がある。
もちろん、その一部は熱源である『石炭の燃焼』によって起きたものなので、それは割愛しているが。
そしてハルトヴィヒは『蒸気機関』の実用化に取り組んでいた。
蒸気の圧力は、一つ間違えばボイラーを簡単に破裂させてしまう。それを防ぐための圧力弁の工夫が第1。
第2に効率の向上である。
機械であるから可動部分があり、そこには摩擦が存在する。これを極力減らすことで動作効率が向上するわけだ。
軸受の改良や、ピストンとシリンダーの摺動部の平滑化などが主な方法である。
第3は最適化である。
ピストンには直径とストローク(ピストンの往復距離)という2つのパラメーターが存在する。
直径が大きいと、ピストンを動かす力も大きくなる。
が、当然ピストンも大きくなるため、質量が増すわけだ。
そして、大きな質量は『往復運動』にとって害になるのである。
よって『使用用途』に合わせた『最適値』を求めることになるわけだ。
同様にストロークにも最適値がある。
ストロークが大きいと、トルク(回転力)は大きくできるが、回転数は下がってしまう。
逆にストロークが小さいと、回転数は上げやすいがトルクは小さくなる。
高回転型かトルク重視型か、という選択肢が生まれるわけだ。
余談だが、アキラの友人は最高回転数が18000回転という中古のオートバイを所有していた。
アキラも運転させてもらったことがあるが、カン高い独特のエンジン音がしていたことを覚えている。
閑話休題。
アキラが欲している『回転力』の用途は2つ。
『工場』の動力と、『自動車』の動力である。
ハルトヴィヒは、それぞれの用途に合わせた蒸気機関が必要だと判断し、それに合わせた設計を行っていった。
* * *
一方、アキラは『ハルトコンロ』を使って作った『甜菜糖』の確認をしていた。
「うーん、この味ならいいなあ」
「煮詰めるのに薪を使わなくて済むから、低コストで砂糖ができますな」
領主補佐のアルフレッド・モンタンがにこやかに言った。
「それなんだよ。この『ハルトコンロ』は熱源の常識をひっくり返すぞ」
甜菜糖に限らず、サトウキビを使った砂糖作りにしても、ハルトコンロを使うことでコストダウンが図れる。
「薪炭林を桑畑や材木用に転用できるということだからな」
より森林の保全につながるだろうとアキラは当て込んでいた。
森林を放置することによる弊害……里山の消滅による生物多様性の低下や、土地の不安定化、野生動物の害などが起きないよう、具申書をまとめる予定だ。
これに関しても、日本という前例があるので、説得力のある内容になるだろうと思っている。
「あとは俺の文章力だけだ」
もっとも、こうした文章は領主補佐のアルフレッド・モンタンに校正してもらっている。
「まあとにかく、ド・ラマーク領の特産物にもなるし、各家庭で消費してもらってもいいな」
桑の実ジャムを甜菜糖で作れば更に付加価値が見込める、とアキラは領内を富ますことができそうだと考えていた。
「あとはスノーモービルか……」
実は、深い雪の中でも活動できる乗り物として、アキラはスノーモービルの開発を考えていた。
といっても、ソリに何らかの動力を、という程度のものだが。
これにハルトヴィヒの蒸気機関を使えれば、と期待している。
だがそれには減速機も必要になるので、一朝一夕には完成しないだろうなとも思っていた。
実際に、さすがのハルトヴィヒでもこの冬のうちにスノーモービルを完成させるのは難しいだろうと思われた。
* * *
「……退屈……」
ハルトヴィヒの愛妻、リーゼロッテは退屈していた。
というのも、本業である『魔法薬師』としての活動のほとんどを禁じられたからだ。
魔法薬師として各種薬剤を扱う必要があるのだが、お腹の子によくない物質があるとまずいための措置であった。
そのため彼女は外に出られないことも手伝って、毎日無聊をかこっているのである。
「ですね……」
リーゼロッテの呟きに同意したのはアキラの妻女であるミチア。
ミチアもまた、お腹の子が大きくなってきたのでほとんどの家事をすることを止められていた。
「でも、大事にしてもらっているわけですから」
「まあね、文句を言っているわけじゃないのよ。ただ思ったことを口にしただけ」
「ふふ、退屈には違いないですものね」
「そうそう」
2人はほぼ同時に妊娠したので、出産予定も同じ頃と目されていた。
春たけなわの頃が予定日である。
なので2人は、生まれてくる子供の名前を考えたり、おむつを用意したり、子供服を縫ったりしている。
が、おむつや子供服は、侍女で助産婦のマリエから『ほどほどにしてください』と制限をかけられているので、やっぱり退屈してしまうのだ。
「そういえば、漆職人さんたちの様子はどう?」
リーゼロッテが尋ねた。
「聞いたところによりますと、新しい技法をいろいろ試しているということです」
「見てみたいけど……駄目なのよね」
「ええ」
ミチアもリーゼロッテも漆かぶれはしない体質ではあったが、妊娠して体質が変わっている可能性があるからと、漆工房への出入りも禁じられていたのである。
「奥様、お茶をお持ちしました」
そこへ侍女のアネットがお茶を持ってやって来た。
ノンカフェインの桑の葉茶である。お茶請けはレモンピール。
レモンの皮を砂糖で煮込んで乾燥させたものを砂糖漬けにしたものだ。
つわりの酷かったミチアも、これは平気で食べられたことから、定番のお茶請けとなっている。
もちろん使われている砂糖は甜菜糖である。
煮込みに使った熱源はもちろんハルトコンロ。
「このレモンピールは美味しいわね」
「ですよね」
奥方2人は仲よくティータイム。
窓の外では雪が止み、雲の間から日の光が覗いている。
ほんの少し、春の兆しを感じる頃となっていた。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は3月26日(土)10:00の予定です。
20220319 修正
(誤)「煮詰めるにの薪を使わなくて済むから、低コストで砂糖ができますな」
(正)「煮詰めるのに薪を使わなくて済むから、低コストで砂糖ができますな」
(誤)だがそれには減速機も必要になるので、一朝一夕は完成しないだろうなとも思っていた。
(正)だがそれには減速機も必要になるので、一朝一夕には完成しないだろうなとも思っていた。
20220321 修正
(誤)ピストンのは直径とストローク(ピストンの往復距離)という2つのパラメーターが存在する。
(正)ピストンには直径とストローク(ピストンの往復距離)という2つのパラメーターが存在する。




