第二十四話 蒸気の利用、その功罪
ハルトヴィヒが描いてみせたラフスケッチは、紛れもなく『蒸気機関』と呼ばれるものであった。
「おお、すごいな、これは……」
「そう思ってくれるかい?」
「『携通』にも似たような図があった気がする……」
アキラが『携通』を取り出そうとすると、ハルトヴィヒはそれを押し留めた。
「待った」
「どうした?」
「さっきみたいなアドバイスならいいけど、『携通』を見せるのは待ってくれ。僕としてはもう少し、自分のアイデアだけでやってみたいんだ」
その気持はアキラにも理解できた。『携通』を見てしまうのは『カンニング』のようなものと思っているのだろう。
蒸気機関の開発は、急を要するものではない。多少時間が掛かっても、自力でやり遂げたいというハルトヴィヒの意思をアキラは尊重することにしたのだった。
「わかった。頑張ってくれ」
「ありがとう」
そういうわけで、アキラはもう少しだけハルトヴィヒの好きなようにやってもらうことにした。
ただし、危険な実験は全面禁止にして。
* * *
そして、『ボイラー爆発騒動』から3日後。
「どうだ、アキラ!」
『蒸気機関』の模型を、ハルトヴィヒは作り上げていた。
「だいたい5分の1の模型だ」
「動くんだろう?」
「もちろんだ」
ハルトヴィヒは小型のボイラーの下に備え付けた『ハルトコンロ』を起動した。
ほどなくボイラーの中のお湯が沸き、蒸気が発生する。
そして……。
「お、動いた動いた」
『蒸気機関』が動き始めたのである。
ここで説明しておくと、ハルトヴィヒの蒸気機関は『ニューコメン』のものではなく、『ワット』の『複動機関』によく似ていた。
『ニューコメン』の蒸気機関は、炭鉱で湧き水をポンプで汲み上げるためのもので、持ち上げる力は大気圧を利用していた。
そのため力は弱く、動作速度も遅いものだった。
それをジェームズ・ワットが改良し、より効率よくしたものが一般に言われる『ワットの蒸気機関』である。
が、その後もワットは改良を続け、比較的低圧で稼働する『複動機関』あるいは『複動式機関』も開発した。
今回ハルトヴィヒが開発したのはそれとは少し違うが、レシプロ(往復)式の蒸気機関であった。
シリンダーの左右から蒸気を吹き込む事ができるようにしておき、吹き込むタイミングはピストン位置と同期したバルブで行う。
この方法だと、ワットの蒸気機関と違って『復水器』がないため、排気として蒸気を空気中に放出してしまうため、蒸気の元となる水を補給しなくてはならない。
が、逆に燃料の補給はいらない(ハルトコンロの応用)ため、補給の手間としてはワットのものとあまり変わらないものだった。
「いいな、これ」
「だろう?」
ピストンの往復運動はリンクによって回転運動に変えられており、これを使えば紡績・製糸をはじめ、木工旋盤などの工作機械も人力から動力付きに変えていけることになる。
地球の歴史で言えば『産業革命』の黎明期に相当するだろうか。
そこまで考えたアキラは、同時に『産業革命』が起こした負の側面にも思い至る。
公害である。
産業革命当時の熱源と言えば石炭であり、急速な石炭の使用は煙霧(=スモッグ)を生み出したし、ばい煙による健康被害も生じた。
そして燃焼や二酸化炭素の増加による温暖化。
さらには化学物質の爆発的増加による健康被害(こちらは製品と製造過程とその双方からである)。
「なあハルト、1つ確認しておきたい」
「なんだい?」
「魔力を使いすぎると、環境的に何か問題が起きるかな?」
アキラは公害の話を簡単に行い、ハルトヴィヒの返事を待った。
「……特にないな」
「本当か?」
「ああ。アキラの言う『公害』に相当する影響が出たというのは聞いたことがない」
「そうか、よかった……」
が、そうなるとアキラはもう1つ、質問をしてみたくなる。
「だとすると、魔力っていったいなんだろうな?」
無尽蔵とも思える、クリーンすぎるエネルギー源。魔力とはいったい何で、どこから来るのか……。
「わからないんだ」
「そうなのか?」
「うん。過去、研究者もいたんだが、結果が出せなくてね」
結果が出ないため研究しても無駄という風潮が蔓延し、研究者が減り……いまでは誰もいなくなってしまった、とハルトヴィヒは説明した。
「なら、いいのか……?」
魔力を使いすぎて枯渇したり、何か思わぬ悪影響が出たりしなければいいが、とアキラは言った。
「そうだな、その心配もわからなくはない。僕もリーゼも、片手間になってしまうだろうが、そっちにも気を配ってみるよ」
「うん、頼む」
こうして、魔力消費が増えていった場合にどうなるか、という検討をハルトヴィヒたちがすることになった。
そして数十年後、魔力についての論文が書かれることになるのだが、それはまた別の話である。
ただ、今言えることは、アキラたちの時代に魔力の枯渇や消費による悪影響が出たという記録はない。
* * *
「蒸気機関が完成したら、扱いは慎重にしないとなあ」
執務室でアキラはひとりごちた。
「悪用も可能だし、下手に品質の悪いものを量産されたら事故が心配だし」
ワットは蒸気圧力は低いほうがいいと考えていた節もあるようで、それはとりもなおさずボイラーの爆発事故や蒸気漏れによる事故を目の当たりにしたからではないか……と、アキラは推測している。
そういった危険性を理解してもらってからでないと、この世界に普及させるのは怖い。
アキラとしては蒸気機関の急速な普及は戒めるべきだと考えていた。
それを抜きにすれば、人力を肩代わりしてもらえるわけで、生産性がぐっと上がるはずである。
そして公衆衛生の質が向上すれば、人口の増加にもつながるわけだ。
「だが、地球と同じ歴史は辿らせたくない」
産業革命の負の側面は公害と、もう1つあった。
奴隷の増加である。
例えば、19世紀の米国において、綿花プランテーション……木綿産業が急成長したために、綿花畑も急拡大し、そこで働く奴隷も増え、南北戦争のきっかけの1つになった……というような負の側面をアキラは懸念していたのである。
「この世界の為政者たちが、異世界の歴史に学んでくれる賢明さを持っていてくれると信じよう」
そしてアキラはこの件に関する報告書の草案作りに取り組むのであった。
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次回更新は3月19日(土)10:00の予定です。




