第十三話 雑種強勢
『微粒子病』が根絶されたと確信できるまで、アキラは領地に帰ることはできない。
各村を見回りながら《ザウバー》の効果のある魔法道具を使い、滅菌する毎日を送っていた。
そんな状況は『電信』により『絹屋敷』に伝えられているので安心である。
もちろん向こうからは誰もこっち(『蔦屋敷』)に来ないよう厳命してある。
そしてアキラは、《ザウバー》だけでなく、もう1つの仕事もしていた。
それは『微粒子病』が蔓延していたあの時に生まれた卵から孵った蚕の飼育である。
普通なら、有毒卵から孵化した蚕は一般に3齢までに発病すると言われているが、この蚕たちは健康に育っていった。
もちろん、見回るたびに《ザウバー》を掛け、1匹1匹の健康にも注意している。
もし1匹でも『微粒子病』の兆候が表れたら、即焼却しなければならないからだ。
それほどまでに『微粒子病』は恐ろしいのである。
過去の地球でも、この病因を発見したパスツールが、母蛾を個体別に袋に入れて産卵させ、産卵後の母蛾を顕微鏡で検定、体内に微粒子をもつ病蛾の卵を除く……という『袋採り採種法』(あるいは『1蛾別採種法』)を確立させた。
だが、ここは地球ではない。
『微粒子病』と断定したが、顕微鏡のない現段階では完全に同じものかどうかは判別できていない。
なので《ザウバー》を念入りに掛けることで予防している。
そしてその《ザウバー》は地球にはない魔法技術であり、こうした滅菌には非常に効果が高い。
蚕を弱らせることなく滅菌する技術は、まだ地球にはない。少なくともアキラは知らなかった。
「この蚕が種として定着するといいんだがな」
そして、アキラが面倒を見ている蚕たちは、明らかに他のものとは違っていた。
大きさが一回り大きいのである。
「これで、繭が少し大きいなら、それだけ長い糸を吐いてくれるということだものな」
病気に強く、作る糸も長ければ、今後の主要品種になることもありうるのだ。
* * *
「ふむ、新たな種……か。そういうことがありえるのか?」
『蔦屋敷』で、アキラはフィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵に報告をしている。
この日、アキラが別途飼育している蚕がようやく繭を作ったのだ。
「はい。『携通』には、こうあります。……『生物は近親交配を続けると弱くなるが、この弱い者同士を交配すると、両親よりも高い能力を示すことがあり、これを雑種強勢という』と」
「ふむ」
「少し前に『突然変異』の説明をしたかと思いますが」
「おお、その時儂は、馬でもそういうことがある、と言った気がするぞ」
「はい。遺伝子を調べる術がないので、突然変異なのか雑種強勢なのかはっきりしませんが」
「そうか。だが、今重要なのは結果だ」
「はい、そう思います」
つまり、より優れた性質を持つ蚕の品種ができるのなら、それは望ましいことだというわけである。
今アキラが育てている蚕たちの性質がその子孫にも固定されるなら、それは新種として認めることができる。
「雑種の場合は、往々にして初代だけ、ということがあるので、手放しで喜べないんですよね」
『F1』(Filial 1 )と呼ばれる、品種改良1代目は母種の優性な性質を受け継ぎやすいものなのだが、その2代目になると劣性な性質を持ったものも一定確率で表れてしまうものなのだ。
これは『メンデルの法則』で説明できる(優性、劣性というのは優れている・いないという意味ではなく遺伝上の表れやすさをいう)。
また、雑種1代目が優秀なことが多いというわかりやすい例を上げるなら、雄のロバと雌のウマの交雑種であるラバがそれだ。
体が丈夫で病気や害虫にも強く、足腰が強くて脚力もあり、蹄が硬いため山道や悪路にも適している。親の馬より学習能力が高く調教を行いやすいという優れた家畜である。
ただし繁殖力はない(ウマとロバの染色体数が異なるからといわれている)ので1代限りであるが。
「ふむ。繭を作ったということは、もうじき成虫になるわけだな」
「はい。今回は全て採卵します」
性質を調べるため、半数を糸にすることも考えたが、種として固定できないなら意味がないので、まずは次世代を育ててみるところから始めようとアキラは考えたのだった。
「その卵を孵すことができたなら、その後の飼育はブリゾン村に任せようと思います」
「なるほどな」
うまくいけばブリゾン村が発祥の地となる、蚕の新品種が誕生するかもしれないのだ。そうなれば、『ブリゾン村』の名前はブランドになる可能性だってある。
そしてブランドになれば、それはすなわち付加価値である。今回被った被害を補って余りある利益が得られるだろう。
「うまくいけば、ですけどね」
「うむ。うまくいくよう祈っておるよ」
「ありがとうございます」
* * *
そしてまた数日が過ぎ、ついにアキラが面倒を見た蚕たちは成虫になり、卵を生んだ。
それを全て《ザウバー》で滅菌し、次の世代はアキラが指名した職人……ゴドノフとイワノフの兄弟に任せることにする。
「お任せくだせえ」
「頼むぞ」
2人はアキラが直接指導した最も古株の職人である。
今回の病気騒ぎを乗り越え、さらに経験を積んだこともあり、アキラは信頼していた。
飼育の経過報告は『電信』を使い、逐次報告させることになっている。
《ザウバー》の魔法道具も貸し出し、病気への注意も怠らないよう念入りに指導した。
「さすがに俺も領地に帰らないとまずいからな」
今のアキラはド・ラマーク領の領主である。
いつまでも領地を留守にしているわけにもいかない。
そして何より、愛妻ミチアの顔が見たかった。
* * *
「それでは閣下、ひとまずこれでお暇致します」
「うむ、苦労を掛けたな。だが助かった」
「また何かありましたらご連絡ください」
「その時は頼む」
「はい」
前侯爵や家宰、そして顔馴染みの侍女たちに見送られ、アキラは『蔦屋敷』を出立した。
アキラが不在の間も街道整備は進められていたため、馬の足並みも往路よりさらに速くなったようだ。
「ああ、い草が伸びたな」
途中、『イグサ』の栽培池の横を通り、生育が順調なのを見て喜んだり、湿地帯の工事がほぼ終了したことを確認してほっとしたりと、街道の視察も行いながらド・ラマーク領へとアキラは戻ってきたのだった。
そして。
「おかえりなさい、あなた」
「ただいま、ミチア」
「大変なお役目、ご苦労さまでした」
愛妻ミチアは『絹屋敷』の入口前に立ってアキラを出迎えたのだった。
これも『電信』あったればこそ。
情報伝達の便利さと有用さを改めて実感したアキラであった。
そしてその夜は、久しぶりに夫婦水入らずで過ごしたことは言うまでもない。
ド・ラマーク領はもう夏を迎えていた。
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次回更新は12月25日(土)10:00の予定です。




