第七話 漆の焼付け
漆職人がアキラの傘下に収まった。
聞けば、自分たちで採集した漆も、かなりの量を持っているという。
そこでアキラはエナメル線ならぬ『ウルシ線』を試作してみることにした。
まずは細い銅線を用意しなくてはならない。
これは、焼き鈍した純銅を、叩いて伸ばし、棒状にすることから始める。
加工途中で硬くなる(加工硬化する)ので、焼き鈍しを行って軟らかくする。
これを繰り返すことで、銅のインゴットは長さ1メートル、太さ10ミリほどの棒状になった。
次はこれを『線引板』という工具に通す作業だ。
『線引板』とは、硬い金属の板に、テーパー状の穴を空けたもの。
穴径は太いものから細いものまで揃っている。
ここに被加工材を通すわけだ。
今回は、太さ9ミリの穴に、太さ10ミリの銅棒を通すことになる。
テーパー穴なので、入り口は12ミリくらい、出口は9ミリ。
そのままでは通るはずがないので、最初に棒の一端を少しだけ細く加工し、穴から突き出させる。もちろん『線引板』はしっかりと固定しておく。
そこをヤットコ(もしくはエンマ)で掴み、引きずり出すと、残りの銅棒は10ミリから9ミリに細くなって引き出されるというわけだ。
穴の縁でわずかに削れるが、ほどんどの銅はテーパー穴で塑性変形され、9ミリの太さになる。
それを、次は8ミリの穴に、その次は7ミリの穴に……と、次第に小さい穴に通していくことで、細く長い銅線ができあがるというわけだ。
このとき、いっぺんに小さい穴に通そうとすると、引き抜く力が大きくなるし、削れてしまう銅も多くなり、結果として効率が悪くなる。
実際には、1ミリ刻みではなく、0.2ミリくらいずつ細くしていかないと、人力では難しい。
人力の場合は床に固定し、上へ引っ張り出すやり方が多いが、その過程で腰を悪くする職人が多い……そうだ。
しかし、アキラには秘策があった。
以前、『発電機』を作った際に、細い銅線を作るのが大変だったので、その後ハルトヴィヒが作り上げた『総金属製の線引装置』である。
素材を掴む部分はネジ締めだし、引き出すのは梃子の力で行うので。腰を痛める心配はない。
1回セットすると1メートルの線が引ける。所要時間は素材のセットを含めて1分ほど。
セットするのは面倒だが、力仕事部分が梃子を使うので、女子供でもできる。
そこで領民に日雇いで作業をしてもらった結果、直径0.5ミリの銅線が500メートル、そして直径1ミリの銅線が1000メートル。これが現在の在庫である。
もちろん引けるのは銅だけでなく銀も引けるので、アクセサリー用の銀線もこれで作り出すことができている。
* * *
「これでなんとかなりそうだ」
アキラは、『モールス通信機』を作るための第一歩として、『電磁石』を作るために直径0.5ミリの銅線を使うことにした。
まずは試験的に10メートルの『ウルシ線』を作ることにした。
「アキラ様、この銅線に漆を『焼付け』ればいいのですね?」
漆職人のブルーノが確認するように尋ねた。
「そうだ。できるか?」
「正直言いまして、やり方は師匠から習いましたが、実際にやるのは初めてです」
「そうか。それでもいいから、試してみてくれ」
「わかりました」
漆の乾燥……硬化には、温度と湿度が必要なことは以前に説明した。
最適なのは摂氏20度から25度くらいの気温と、70パーセントから80パーセントの相対湿度である。
これ以上の温度……摂氏40度くらいまでは、漆は『乾く』が、さらに温度が上がって摂氏70度以上になると、漆の中の酵素が働かなくなり、乾かなくなってしまう。
しかし、そこからさらに温度が上がり、摂氏120度から270度くらいになると、また乾く(硬化する)のだ。
この方法は木材ではなく金属や陶器に対して行われる。
『漆の焼付け』は鎧や兜に、また高級なタンスに使われる金具類に使われている。
この塗膜は硬く、また弾力性もいくらか有するため、銅線の絶縁にも使えるのだ。
また、堅牢で耐候性もいいため、屋外での使用にも耐える。
以前使った『カッス塗料』よりも強靭な絶縁性の塗膜であった。
* * *
『素ぐろめ漆』という、ウルシの木から採った樹液の水分を飛ばして精製した漆を使う。
銅線に漆を薄く塗って、高温の炉に入れるのだ。
伝統技法では炭火で温めるらしいが、アキラはハルトヴィヒに作ってもらった『加熱』の魔導具を使う。
ここで問題が発生した。
臭いである。
生木が燃えるような臭いをさらに臭くしたような、と言えばいいのか。
幸いにも、屋外で行ったために被害はなかった。
もしも室内でやっていたら、逃げ出す者も出たのではないかと思われた。
毒ガスではないのが唯一の救いだ。
「いやあ、『焼付け』って臭いものなんですねえ」
「師匠もそこまでは教えてくれなかったっすよ」
「あまり頻繁にしたくはない作業ですね」
漆職人たちも苦笑いだ。
アキラとしても、これは『焼付け』専用の加熱乾燥機を作らなければならないだろうなと思わされた試験であった。
しかし、できあがった『ウルシ線』は優秀。線を曲げたり伸ばしたり、数十回繰り返しても漆の塗膜は剥がれず、銅線の方が疲労破壊して切れてしまった。
また、絶縁性も十分で、これなら強力な電磁石を作れるだろうと喜ぶアキラであった。
* * *
それから3日掛けて、直径0.5ミリ、長さ500メートルの『ウルシ線』を作った。
『焼付け』専用の加熱乾燥機はハルトヴィヒがちょいちょいと作ってくれた。
構造も使い方も簡単で、パイプ状の加熱器の中を漆を塗った銅線を通し、ゆっくりと動かしていくだけ。
漆が乾燥した部分を次々に巻き取っていくことで、500メートルの長さの『ウルシ線』ができるわけである。
パイプの中に漆の臭いがこもるが、設置場所を住居から離したことで問題なく作業が行えるようになった。
臭いことは臭いが、我慢できるレベルだ。
また、常に行われる作業ではないのも救いである。
* * *
「これでまた、一歩前進だ!」
乾燥したウルシは無臭である。
アキラは500メートルの『ウルシ線』を前に、笑みを浮かべていた。
電磁石ができれば、モールス通信機まではあと一歩である。
アキラはハルトヴィヒと詳細な検討を行うのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は11月13日(土)10:00の予定です。
20211106 修正
(誤)その後ハルトヴィヒが作り上げた総金属製の『線引装置である』。
(正)その後ハルトヴィヒが作り上げた『総金属製の線引装置』である。
(誤)これは『焼付け』専用の加熱乾燥機を作らなければならないだそうなと思わされた試験であった。
(正)これは『焼付け』専用の加熱乾燥機を作らなければならないだろうなと思わされた試験であった。
(誤)構造も使い方は簡単で、パイプ状の加熱器の中を漆を塗った銅線を通し、ゆっくりと動かしていく。
(正)構造も使い方も簡単で、パイプ状の加熱器の中を漆を塗った銅線を通し、ゆっくりと動かしていくだけ。
(誤)電磁石ができれば、モールス通勤機まではあと一歩である。
(正)電磁石ができれば、モールス通信機まではあと一歩である。




