第六話 漆の応用
アキラがド・ラマーク領に帰ってから3日後、3人の『漆職人』が家族とともに『絹屋敷』に到着した。
「よく来てくれた」
「へい、お世話になります」
「閣下、これからよろしくお願いいたします」
「家族ともども、お世話になります」
レックス(32歳)は妻と老母の3人家族。
ブルーノ(49歳)は妻と息子、娘の4人家族。
ゴードン(28歳)は独身。
彼らとその家族は、こういう時のために用意した『職人長屋』に当面は住んでもらうことになる。
『職人長屋』とは、3世帯分の家をくっつけて1棟にした家で、それぞれに上下水道、トイレ、調理場が付いており、部屋もやや狭いものの、台所兼食堂、居間、寝室、そして作業場が用意されていた。
待遇としては、一般的なお抱え職人よりかなりいい。
こうした『職人長屋』は3棟用意されているが、今のところ漆職人の3世帯のみが使用し、2棟は未使用となっている。
これは養蚕技術者や木工職人他、皆地元の人間だからだ。
それはそれとして、アキラとしてはこの『職人長屋』をベースにし、ここを『職人村』にしたいと考えていた。
まだまだ先は長い……。
閑話休題。
『職人長屋』の評判は……。
「ここに親子3人、ちょうどいいわね」
「一家4人、一緒に住めるのは嬉しいわ」
「お、ここを1人で使っていいんですか!? 広いっすねえ」
まずまずであった。
家族に部屋の片付けをさせている間、アキラは『漆職人』3人を集め、これからのことを説明する。
「いずれこの辺り一帯を職人の村にしたいと思っているんだ。お前たちはその先掛けだな」
「おお、名誉なこってすな」
「頑張りますぞ」
「そんなお前たちに、見せたいものがある」
「……なんでしょう?」
「『異邦人』の秘宝だ」
「へ?」
アキラは『携通』を取り出し、『漆芸関連』の資料を3人に表示して見せた。
もっとも、彼らに日本語は読めないだろうから、主に画像を見てもらうことになる。
「こ、これは、『漆掻き』の絵ですかい? なんて精巧な絵なんだ!!」
「う、漆の『なやし』と『くろめ』!? こんなやり方が……ああ、それこそがお師匠さんの言っていた『本来の技法』……!!」
「これは……お師匠さんの話に出てきた加飾方法……『蒔絵』!? す、すげえっす!」
3人とも、漆の精製や蒔絵などの、見たことのない映像も、それが何かを推測することができている。師匠であるゴンゾウ・マエダ氏が教えるべきことを教えていたからだろうとアキラは推測した。
そして、『携通』の情報を基に、いつかいろいろな『漆器』を再現してくれるのではないか、とも。
* * *
次にアキラは、『漆職人』の仕事場を整備することにした。
真っ先に行ったのは『漆風呂』の製作である。漆風呂はまた『室』とも言い、漆を塗った製品を、乾くまで安置する倉庫もしくは棚である。
『漆が乾く』とはいうが、その実は『硬化する』のであり、漆が硬化するためには湿気が必要となる。『乾く』というのは慣用的な言い方なのだ。
最適な温度と湿度は摂氏20度、湿度80パーセントくらいと言われている。
また、乾くまでの間、埃は厳禁である。
それで、漆風呂は密閉のできる戸棚状のものを用意することにした。
扉は引き戸にし、開け閉めの際に空気の流れが起きにくいようにする。
木製なので、内部を濡れ布巾で拭くことで加湿できる。
いずれ、温度だけでなく湿度調整もできる『エアコン』が出来たなら、導入したいが……と付け加えたアキラだった。
また、『塗る』部屋は埃厳禁なので、当面は、独身のゴードンの割当の一部を使うことにした。
他に家族がいないので埃が立ちにくいからだ。
「昔は船の上で塗った、と師匠に聞いたこともありやすぜ」
「なるほどな」
いずれ『漆芸』が世に出たら、専用の仕事場も建ててやろう、とアキラは約束したのである。
* * *
「ふう、疲れた」
漆職人への対応を終えたアキラは『絹屋敷』に戻り、ミチアが淹れてくれたお茶を一口飲んだ。
「お疲れさまでした。……『漆』、ずっと欲しがってましたものね」
「うん。工芸品というだけでなく、銅線の絶縁材としても優秀だからな」
現代日本でいう『エナメル線』『ウレタン線』などの細い銅線が大量に手に入れば、電気機器の開発が捗る。漆は優秀な絶縁材なのだ。
中でも今、アキラがほしいのは『通信機』だった。
「いろいろ考えたけど、まずはモールス信号から始めればいいよな」
「モールス……ああ、トンツーで通信する方式ですね」
「そうそう」
通信の原始的なやり方で、短い信号トン『・』と長い信号ツー『ー』の組み合わせで文字を表すものだ。
有名なのはなんといっても『SOS』だろう。『S』は『・・・』、『トントントン』。『O』は『ーーー』、『ツーツーツー』である。
つまり『・・・ ーーー ・・・』で『SOS』となる。
なぜ『SOS』かというと、単に危急の時でも打ちやすく間違えにくい文字が『S』と『O』だっただけだ。
アキラはその昔小学校でまことしやかに『すくいを おれはもとめる すぐきてくれ』の略だと言われていたことをなぜか思い出していた。
実際の所、周囲の無線局に遭難の事実を知らせるのと同時に、全局に通信中止を求める符号だったらしい。『SOS』とは呼ばれていなかったようだ。
それが、『・・・』はアルファベットの『S』、『ーーー』はアルファベットの『O』に該当するため『SOS』という通称となり、それが広まって一般名称となった、ということらしい。
ちなみに音声による遭難信号は『メーデー』である。
さらに言うなら、和文モールス符号だと『・・・』は『ラ』、『ーーー』は『レ』である……。
「ラ レ ラ……なんか冴えないなあ」
『携通』でモールス符号を検索したアキラは苦笑を浮かべたのであった。
まあとにかく、絶縁された細い銅線があれば電磁石が作れる。
そうすればモールス信号でのやり取りができるようになるのだ。
やり方は簡単。
電磁石は受信側、送信側はそのスイッチ(もちろん電源は接続済みとする)。
スイッチ(電鍵)を押すと電流が流れ、電磁石がオンになる。この時、近くにばね状の鉄片をセットしておくことで、電磁石に鉄片が吸い付けられる。
この吸い付けられている時間によって『・』または『ー』を表現するわけだ。
鉄片にペンを付け、自動的に流れていく紙テープに印をつけるようにすれば、通信を記録に残せ、後からゆっくり解読できる。
あまり長い文章は無理だが、短いやり取りなら十分。
その昔の電報で『サクラサク』が受験の合格通知だったこともあるのだから。
とにかくアキラにとって『漆職人』を確保できたことは、将来的な発展に繋がるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は11月6日(土)10:00の予定です。
20211030 修正
(誤)『SOS』とは呼ばれていないかったようだ。
(正)『SOS』とは呼ばれていなかったようだ。




