第一話 早春の旅路
新章開始です
めっきり春めいてきた街道を、馬車の列が北へ向かっている。
『フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵とその一行』だ。
王都パリュの王城で行われた『報告会』の帰りである。
「アキラ殿、今回も大成功であったな」
「はい。閣下と、臣下の皆のおかげです」
「なんの、アキラ殿の苦労が実ったということよ」
フィルマン前侯爵は上機嫌だった。
今回の報告会で、アキラは『王国白銀功労勲章』を授与されたのだ。
これはガーリア王国で3番めに名誉な勲章で、この上は戦争で敵軍を複数回潰走させた時や敵将を相当数討ち取った時、また命をもって王族を守った時などに授与される2番めに名誉な『王国黄金聖剣勲章』と、制定されてはいてもまだ授与された者は誰もいない『王国金剛至宝勲章』があるだけだった。
その名誉はアキラ一人に留まらず、アキラの家臣団や、また上司である前侯爵にも及ぶ。
「それにしても、なかなか楽しかったな」
フィルマン前侯爵は王都での数日を思い返していた。
* * *
『わさび』の鮮烈な香味と刺激には、王族を除き(さすがに王族にいきなり未知の食物を食べていただくわけにはいかない)、列席者皆が涙を流した(生物学的に)。
「ぐわああああ!」
「ひいいいいい!」
「……ですから、付けるのは少しにしておいてくださいと申し上げたのです」
ステーキをわさび醤油で食べてもらおうと添えたわさびを、『マスタード』の感覚でステーキに塗りたくって口に入れたのだ。鼻にツンと来るだけでは済まず、目からも涙を流し、鼻水も垂らしてしまっている。
「こ、これまでとは……」
「……ひどい目にあった」
試食してもらった面々のほとんどが忠告を聞かずにわさびの洗礼を受けていたが、
「……うむ、後口がさっぱりして美味いですな」
忠告をきちんと聞いたパスカル・ラウル・ド・サルトル宰相だけは程よい風味を楽しめたようである。
その後、適量を覚えた列席者は、皆この新しい香辛料を気に入ってくれたようである。
* * *
「いや、あれは誠に愉快だったのう」
堅物で通った近衛騎士団長ヴィクトル・スゴーが涙と鼻水を垂らしていたのを見たからである……。
「砂糖大根にも驚かれたな」
「そうですね」
正式名称は『甜菜』。大根に似ているがアブラナ科ではなくヒユ科である。
が、わかりやすくするため、日本でも別名として使われている『砂糖大根』という名で紹介したのだ。
「暖かい地方には自生しませんからね」
「当分は我が地方の特産品となるな」
「はい」
砂糖の単価は高い。
サトウキビが原料であっても、『煮詰める』という工程が不可欠で、それには燃料代が掛かるからだ。
「暖房と兼用したり、太陽熱で補助したり、少しでも燃料代を節約していきたいですね」
「うむ」
* * *
王都では『畳』の紹介もされた。
「ほう……爽やかな匂いがするな」
「はい。抗菌効果……病気の元を減らす効果も持っています。まあそちらはおまけ程度ですが」
「ふむ、とはいえあって悪い効果ではない」
「硬いようでいて、柔らかさもあるな。木の板よりは柔らかいだろう」
「あと、通気性もありますので蒸れにくいかと」
「なるほど。ベッドの下敷きによいかもしれぬな」
こちらは爆発的な歓迎はされなかったが、匂いを気に入ってくれた者が大勢いただけでもよしとしたい、とアキラは思っていた。
* * *
「それから、『太陽熱温水タンク』はまあまあ受けたな」
「はい」
王都であっても、燃料となる薪が安く手に入るわけではない。むしろ高いくらいだ。
ただ、気候が穏やかなため、年間での消費量がド・ラマーク領よりも少なく済んでいるだけである。
であるから、『太陽熱温水タンク』でぬるま湯を手に入れられるのは、大歓迎とまではいかずとも、まあまあ歓迎された、というわけである。
「同様に『保冷庫』も感心されたではないか」
「そうでしたね」
生もの、傷みやすいものは、氷で冷やして保存されることが多いが、氷とて安くはない。
高位の水属性の魔道士でなければ、氷の塊を作り出すことはできないのである。
だが、そんな高価な氷を長持ちさせることができ、なおかつ同時に生鮮食品も保存できるというのは画期的であった。
これまで以上に王都で新鮮な魚を入手できるということになる。
* * *
「墨汁インクも地味だが一部の者たちに喜ばれたな」
「ああ、はい」
一般に使われている『没食子インク』は酸性のため、鉄製のペン先を腐食させる。
そこで金ペンを使うのだが、高価である。
しかもペン先に摩耗防止の『イリドスミン』もしくは『オスミリジウム』がないため、摩耗が早いのである。
これに関してはアキラも早くに気がついてはいたが、ないものはないので、未だに対処はできていなかったりする。
「ガラスペンについての示唆はしましたが」
ガラス棒に縦溝を入れ、その溝に毛細管現象によってインクが溜まる仕組みで、どの向きでも書き味が変化しないという利点がある。
これは、日本では1902年に風鈴職人佐々木定次郎によって考案されたといわれており、比較的新しい歴史をもっている。
ボールペンの登場で需要が激減したが、ペン先だけでなくペン軸まで一体のガラスペンは芸術的なため、根強いファンもいたりする。
が、この世界はガラス加工技術が未熟なため、作れるかどうかわからない……というのが現状だった。
* * *
「じゃが、一番喜ばれたのは『口紅』であったな」
「そうでしたね」
蜜蝋とひまわり油、そして染料で作られたスティックタイプの口紅は、貴族女性から絶賛された。
これまでは筆や指で塗っていた口紅が、より簡単に塗れるようになっただけではなく、唇の荒れにも効くとあっては、喜ばれないはずがない。
王妃、王女までもが褒めそやし、今回の叙勲もこれがあったためではないかと思われるほど。
もちろん色なしのリップクリームも、男性陣に喜んでもらえたのだが。
アキラとフィルマン前侯爵は、そんな話をしながら馬車に揺られていった。
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次回更新は10月2日(土)10:00の予定です。




