第二十七話 冬支度
翌日は快晴だった。
「お世話になりました、アキラ様」
行商人ニコラは王都へと戻っていった。
それを見送ったアキラとミチア。
「さて、そろそろ冬支度を始めないとな」
青く澄み切った空を見上げ、アキラが言い、ミチアもそれに和した。
「そうですわね、あなた」
ド・ラマーク領の冬は早く、長い。
そのため、冬が来る前に十分な準備を整えておく必要があるのだ。
冬支度の第1はなんといっても食糧の備蓄である。
「今年の作柄もまずまずだったから、食べるものには困らなそうだな」
「はい」
冬は雪と氷に閉ざされるこの地では、足りなくなったからといって食料を探しに行くわけにはいかないのだ。
中型までの草食獣なら、運がよければ狩れるかもしれないが。
そこで、タンパク源である肉類は、燻製にして保存する。
塩漬け、という保存法もあるが、内陸にあるこの地では塩は高価なので塩漬けは行われていない。
ちなみに、もう少し味噌の供給量が増えたらなら『味噌漬け』を試してみようと思っているアキラである。
そして冬支度の第2は。
「薪の確保は?」
「十分です。それにハルトヴィヒさんのおかげで消費量も1割から2割減っていますし」
「それはなにより」
燃料もまた、死活問題である。
この地方では最低気温が氷点下摂氏20度くらいまで下がることもある。服を着込んで凌げるような寒さではない。
そこでハルトヴィヒである。
部屋の気密性を上げ、建物の断熱性を向上させることで、燃料の消費量が改善されたのだ。最大で2割の節約ができたことは大きい。
もちろん換気については口うるさく注意を呼びかけている。
「ここで温泉が出れば言うことなしなんだがな」
冬場に温まる手段としての温泉は、アキラとしても是非欲しいものであった。
「でもまあ、ないものねだりをしてみても仕方ない」
冬支度の第3としては、『手仕事の確保』というものもあった。
屋外での作業はまず無理、ならなにもしなくていいかというと、そんなことはない。
貧しい北の地では、屋内でできる仕事を行い、家計の足しにしなければならないのだ。
「でもそっちの方はあまり悩むことはなさそうですね」
「そうだな」
アキラが領主になってから、屋内での仕事、それに内職の類は欠かせないものとなっていた。
「甜菜栽培が軌道に乗ったら、もっと楽になりそうだな」
甜菜糖を使った産業が軌道に乗れば、外貨の獲得が楽になり、そうすれば領内の経済状況が更に改善する。
よりよい暖房器具も購入できるだろうし、家そのものを建て替えることもできるだろうと思われた。
「でもまずは目先のことからだ。……まずは来る冬を無事に乗り越えることからだな」
「そうですね。……もう、あの山は真っ白ですしね」
『絹屋敷』から望む北の山々は、雪を頂いて白銀に輝いていた。
* * *
執務室へ戻ったアキラとミチアは、改めて冬支度について検討と確認を行っていた。
「領民はいいとして、こちらの冬支度はまだまだ掛かりそうだな」
『絹屋敷』の冬支度。それは、『繭』を『絹糸』に紡ぐことである。
そして紡いた糸を染め、布として織り上げ、服に仕立てる。
これらを冬の間に行うため、必要な素材を準備しておく必要があるのだ。
特に必要なのは染料である。
今年は、薬にするためにキハダを集めたため、黄色い染料が大量に手に入った。
子供向けの服を染めるにはいいのではないか、とアキラは思っている。
また、ようやく実用化に漕ぎ着けた藍染の青と組み合わせれば緑色が作れるのだ。
ただ、キハダの黄色は、これまで使っていたマリーゴールドの黄色よりくすんでいるのが難点である。
「まあ、それも含めての研究だからな」
リーゼロッテがやる気を出しているので任せているのだ。
「そういえば、インクの方はどうなったろう」
実は先日来、リーゼロッテは墨汁インクの研究を始めていたのだ。
これまで使われていたインクは、現代日本では『没食子インク』と呼ばれたもので、詳細は省くが、酸性を示す。
ゆえに金属を錆びさせやすく、鉄製のペン先には向かなかったのである。
そこでサビに強い金ペンが使われるのだが、高価なため一般向けではなかった。
かといって、他のインクは耐候性が低く、水にも弱かったので、公文書には使われていなかったのだ。
そこに『携通』により『墨』の存在を知り、研究を始めたというわけである。
なぜ今ごろかというと、『墨』を作るには『膠』が必要で、この『膠』は動物性タンパク質のため、気温が高いと腐敗するためである。
奈良の墨が冬季に作られるというのも同じ理由による。
膠自体は接着剤として流通しているので問題なし。
黒の顔料であるカーボンブラックも、ストーブや灯火の煤として手に入る。
「リーゼロッテさんもなかなか難しいと言ってましたよ」
「そうか。そうだろうな……」
一朝一夕に完成させられるなら苦労はしない。
あとでリーゼロッテを激励しておこうと決めたアキラであった。
* * *
「それから教育だな」
「はい」
冬は外に出る時間が減り、家にいる時間が長くなるので、この機会に読み書きを覚えてもらえたらな、とアキラは思っているのであった。
「最初は絵本か……それとも積み木かなあ」
この世界……少なくともガーリア王国の文字は、地球のものによく似たアルファベットで26文字あった。
なのでまずは積み木で遊びながら覚えてもらうことを考えたアキラなのである。
しかも、子供用の知育遊具として売れるかもしれない。一石二鳥なのである。
冬を目前に、いろいろ考えることの多い領主アキラなのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は8月21日(土)10:00の予定です。
20210814 修正
(誤)奈良の墨が冬季に作られるというの同じ理由による。
(正)奈良の墨が冬季に作られるというのも同じ理由による。
(誤)冬を目前に、いろいろが考えることの多い領主アキラなのであった。
(正)冬を目前に、いろいろ考えることの多い領主アキラなのであった。




