第二十六話 情報の重要さ
アキラとニコラは、夜遅くまでいろいろな話をしていた。
その一つが、王都の流行についてである。
来春、アキラやフィルマン前侯爵は定例の王都行を行う。
その際に、新作のドレスを持っていく予定なのだが、そのデザインの参考になるので、そうした情報を欲しているのだ。
「そうですね、最近の流行はやはりふわりとしたシルエットでしょう」
「なるほど」
絹のレースやチュール、サテンなどを使ったドレスは、昨年献上したものだ。
もちろん着ているのは王族なので、貴族たちはこぞって似たようなデザインのドレスを仕立てた……ということらしい。
絹はまだ流通量が少なすぎて使えないので、木綿を使った『オーガンジー』が売れているという。
『オーガンジー』とは、50番手以上の細い糸を使った平織り物に『硫酸仕上げ』という加工を施した生地のことをいう。
この硫酸仕上げによって独特の透け感が生まれ、薄地ながらハリとコシのある生地に仕上がるのだ。
ちなみに『番手』というのは以前説明した『デニール』(9000メートルの長さで1グラムの重さの糸の太さを1デニールとした)と考え方は同じである。
木綿の50番手というのは相当に細い。現代の地球では、1ポンド(約453グラム)の重さで840ヤード(約768メートル)の長さの木綿糸を『1番手』としている。
どういうわけか、針金や電線と違い、一定の重さの時の長さで表しているわけで、未だにアキラが馴染めない単位の1つであった。
閑話休題。
「なるほど、むしろ献上品が流行を作っているわけか」
「そうなんですよ」
この世界では『デザイナー』という職業は一般的ではなく、『テーラー』(主に男性用の仕立て屋)、『ドレスメーカー』(女性用の仕立て屋)がデザイナーも兼ねていた。
もちろん、大手のそうした仕立て屋には、デザインを担当する者がいることもあるが、特にデザイナーとして扱われることはない。
「むしろ、アキラ様がどうして様々なデザインで服を作れるのか不思議なくらいですよ」
ニコラは、アキラが『異邦人』であることは知っているが、『携通』の存在は知らない。
アキラもそれについては限られた人々にしか知らせていないのである。
* * *
「料理事情はどうだい?」
「ここ数年でバリエーションは増えましたね。アキラ様の啓蒙が大きいと思いますよ」
「そうかな?」
「そうですとも。『ラマーク料理』という呼び方も定着しつつありますし」
「それはなんとも……」
米料理以外にアキラが王都で広めたのは、ハンバーグ、甘い卵焼き、クレープ、肉じゃが、豚汁などである。
味噌・醤油の需要が増え、生産量も増えればいいなという腹づもりがあったのだ。
そしてそれはそこそこ効果を上げているらしい。
「味噌・醤油の生産量は3年前の倍になったようですから」
「それは朗報だ」
アキラとしても、それは望むところなのだから。
同時に、ニコラによってさらに和風食材・調味料が普及することを願ってもいた。
* * *
「あ、あと、先日、シャルロット様に縁談があったようです」
「へえ、それは初耳だ」
「私が王都を出た前の日くらいに噂になっていたくらいですから、こちらにはまだなんでしょうかね?」
「いや、それなら前侯爵閣下のところは伝書鳩を使っているから、そうした重大なニュースは教えてくれるはずだけどな」
「そうすると、あくまでも噂、ということなんでしょうかね」
「そうかも知れないし、まだ公式発表していないというだけかもしれないな」
いずれにせよ、来春の王都行ではシャルロット王女向けのドレスを複数用意することになりそうだ、とアキラは思ったのであった。
こうした情報が得られるので、ニコラとの雑談は有益なのである。
* * *
「他に何か情報はないかい?」
「そうですね……これも噂ですが、ゲルマンス帝国とブリタニー王国の間で少々ごたごたがあったみたいです」
「内容は?」
「私みたいな行商人にはわかりません」
「噂レベルでいいから」
「……そうですか? ……なんでも、ゲルマンス帝国の皇帝が、息子の嫁としてブリタニー王国の王女を所望したら断られたとかなんとか」
「……そんな理由か……」
「戦争が始まるきっかけなんて些細なものですからね」
「まったくなあ」
アキラとニコラは頷きあったのである。
* * *
さて、かなり夜も更けたので、アキラとニコラは話を終わらせることにした。
「有意義な時間だったよ、ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ、いろいろ勉強させていただきました」
アキラだけでなくニコラもまた、こうした雑談は非常にためになるので望むところであった。
アキラは斬新な知識と発想を持っており、ニコラがそれを商機に繋げることができれば大儲け間違いなし、ということが過去にあったのである。
「『異邦人』のものの見方は私たちと違いますからねえ」
それはニコラの認識であった。
問題は、アキラ本人がそれに気づいておらず、何がこの世界にとって役立つのか、今ひとつ理解が足りないことである。
ゆえに聞く側がうまく誘導するか、話の中から値千金の情報をうまく選り分けるか、が重要なのだ。
そして商人ニコラはそれができていた。
「『異邦人』の知識は深遠ですよねえ」
ニコラは今日の会談の内容を、忘れないうちに、とメモに書き付けていた。
「アキラ様は、真摯に接すれば必ず応えてくださる方だ、と見抜いた当時の自分を褒めてやりたいですよ」
客室で寝酒を飲みながら、ニコラはひとりごちたのである。
* * *
ニコラとの会談、雑談はアキラにとっても有益であった。
インターネットどころか電信さえないこの世界。情報は貴重である。
「田舎の三年、都の昼寝、ってよく言ったものだな」
「あなた、それは?」
アキラのつぶやきをミチアが聞きとがめた。
どうやら携通には載っていなかった言い回しらしい。
「ああ、田舎で三年間勉強するよりも、都……都会で昼寝……まあ本当に寝ているんじゃなく、遊んでいる、というくらいの意味だろうが……見聞が広がる、ということだと思う」
インターネットが発達した現代日本ではあまり当てはまらないが、それでも地方と東京では1日に入ってくる情報量には差があるだろう。
「情報は大事ですね」
「本当にな」
アキラとミチアは互いにそう呟きあったのである。
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次回更新は8月14日(土)10:00の予定です。
20210807 修正
(誤)客室で寝酒を飲みながら、ニコラは客室でひとりごちたのである。
(正)客室で寝酒を飲みながら、ニコラはひとりごちたのである。




