第二十三話 報告会 四、そして復路
締めくくりは経理のシェリーからの報告だ。
「け、け、経理の、シ、シェリーとも、申します」
「落ち着くがよい」
緊張でガチガチのシェリーを、フィルマン前侯爵が宥めるが、効果はない。
「も、ももも、申し訳、ありましぇん!」
かえって緊張の度合いが高まってしまったようだ。つっかえるだけでなく語尾も噛んでいる。
「深呼吸したまえ」
「は、はひっ!」
すーはーすーはーと10回ほど深呼吸をし、いくらか落ち着きを取り戻したらしいシェリーは、ようやく報告を開始した。
「本年度の前期の収支決算報告です。未だに収入に比べ支出超過の状況は続いております……」
専門分野の報告を開始すると、先程までの緊張はどこへやら、すらすらと言葉を紡ぎ出すシェリーである。
「ほう……」
「ふむ……」
その変わりっぷりに、少し感心したような声を漏らす前侯爵と現侯爵。
「……ということで、来年度より借入金の返済を行える目処が立ちまして……」
「おお、それは重畳」
「計画では10年間で返済を終えることができます。発展如何では、2、3年前倒しできるかもしれません」
「なるほどのう。期待しておるぞ」
「……また、領民の経済状況の改善を表す指標の1つとして、アキラ様が提唱された『エンゲル係数』……支出に対する飲食費の割合ですが、昨年に比して減少傾向にあります」
つまり、飲食以外にお金を使う余裕が少し生まれたということになる。
「これは、街道整備のような賦役に対し、いくらかでも賃金を払うような方法を取ったためと思われます」
「ほう、なるほど」
「話は飛びますが、経済を発展させるためには、その分母を広げることが肝要かと思われます。その1つとして、領民に仕事を与え、対価として賃金を支払うことで、経済が活性化したのではないかと分析する次第です」
「そういうことか。……ふむふむ、なかなか興味深い」
* * *
「……以上で、報告を終わります」
説明を終えたシェリーは、緊張の糸が切れたのか、へなへなとその場にくずおれてしまった。
「おい、だいじょうぶかい?」
そばにいたハルトヴィヒが助け起こす。
「は、はひ、らいじょうぶれす……」
呂律が回っていないので、あまり大丈夫とは思えないな、と思ったハルトヴィヒは、とにかくシェリーを椅子に座らせてやったのである。
これで報告も全て終わった。
報告会の閉会を、現侯爵レオナール・マレク・ド・ルミエが宣言する。
「アキラ殿、そして皆、これで報告会を終わる。今夜は慰労会を行おうと思う。寛いでいってくれ」
「ありがとうございます」
アキラたちは皆疲れた顔をしている。
まずは入浴して心身をリフレッシュしてから、慰労会に望むことになった。
* * *
「有意義な1日であった。皆、ご苦労。乾杯!」
乾杯の音頭は、フィルマン前侯爵がとった。
「乾杯!」
「乾杯」
『蔦屋敷』に乾杯の声が響く。
秋の夜空には満天の星が瞬いていた。
* * *
翌日、なんとか二日酔いにはならずに済んだアキラたちは、予定どおりに『蔦屋敷』を午前8時に出発した。
「雨が降りそうだな……」
今日も晴天、とはいかないようで、今にも雨が降りそうな空模様である。
「馬車の幌をちゃんと被せたほうがいいな」
「帰りは行きよりも軽いので早く着けると思うのですが……」
『太陽熱温水タンク』『保存庫』など、幾つかのサンプルを置いてきたので、若干軽くはなっている。
とはいえ人一人分くらいなので、馬車の速度にはあまり影響しない。
それよりも、
「雨が降る頃には、舗装路に入っているだろうからな」
というように、馬車の車輪がぬかるみにはまるような心配がないことが救いである。
「舗装路面にはそういうメリットもあるんですね」
シェリーが感心したように言った。
「毎年、雨の季節には、馬車の事故が数件発生するんですよ。ほとんどが車輪がぬかるみにはまってしまい、進めなくなったり、酷いときには横倒しになったり」
「そうか……。そういう事故が減るといいな」
「はい」
馬車はガラガラと音を立てて進んでいたが、その音がカラカラ、と小さくなった。
舗装された街道に入ったのである。
「やっぱり舗装はいいですね。この馬車でも、やっぱり舗装路のほうが乗り心地がいいですよ」
「そりゃあなあ」
現代日本の自動車であっても、ダートよりも舗装路のほうが乗り心地はよかったものだ。この世界の馬車ではなおさらである。
ちなみに、この4頭立ての馬車はこのまま『絹屋敷』に保管される。
4頭の馬も、前侯爵の費用でこちらで面倒を見ているのだ。
というのも、何かあった場合、『蔦屋敷』まで荷物や人員を運ぶ『足』は必要だからだ。
更に補足すると、馬車はアキラの所有物という扱いになっており、主にハルトヴィヒが思いつきのアイデアを盛り込んでいるのである。
そのため、非常に乗り心地のよい馬車に仕上がっているのだ。
これまでにハルトヴィヒが改造した点は以下のとおり。
1.軸受の精度を上げ、すべり軸受ではあるが抵抗の削減に成功、より軽く回るようになった。
2.4輪を独立懸架とし、サスペンションと簡易的なダンパーを取り付けた。
3.フレームの一部を金属製にし、結果、重量は同じで強度が3割増しになった。
これに加え、リーゼロッテも改良を加えている。
1.幌の防水処理を独自の薬品で行い、耐水性が向上している。
2.木部に塗る塗料を新規開発。耐腐朽性が向上している。
これらの改良点は、全て前侯爵に伝えており、同家が所持する馬車は全て、こうした改良が施されているのだ。
同時に王家にも報告がなされており、『異邦人』アキラ・ムラタ・ド・ラマーク男爵の功績として記録されているのだった。
* * *
「……降ってきましたね」
「しょうがないな」
湿地帯を抜けたあたりで、ついに雨が降り始めた。
「あと少しだ」
少しといってもこの世界基準なので、だいたい2時間ほど掛かる。
秋の雨に打たれながら、アキラたちを乗せた馬車は一路『絹屋敷』を目指すのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は7月24日(土)10:00の予定です。
20210718 修正
(誤)2.木部に塗る塗料を新規開発。腐朽性が向上している。
(正)2.木部に塗る塗料を新規開発。耐腐朽性が向上している。
(誤)「雨が振りそうだな……」
(正)「雨が降りそうだな……」
20230619 修正
(誤)未だに歳入に比べ支出超過の状況は続いております……」
(正)未だに収入に比べ支出超過の状況は続いております……」
20230630 修正
(誤)1.軸受を『ころ軸受』(ローラーベアリング)に変え、軽く回転するようになった。
(正)1.軸受の精度を上げ、すべり軸受ではあるが抵抗の削減に成功、より軽く回るようになった。
ころ軸受はこの先で開発記を書きます……




