第十話 リーゼロッテのやる気スイッチ
今回虫は出ません
「ところで『たわら』ってなんだい?」
アキラが口にした『俵転がし』が気になったハルトヴィヒが尋ねた。
「あ、それか。ええと……セヴランさん、ちょっと伺いますが、この世界に『米』もしくは『稲』ってないんでしょうか?」
説明する前に、とアキラがセヴランに尋ねた。
「こめ、いね……ですか。申し訳ございません、寡聞にして存じません」
「そうですか。……ええと、ハルト。……『俵』っていうのは、その『米』を入れて運ぶための専用の袋のことだよ」
米がなさそうなので少しがっかりしつつ、アキラは俵の説明を行った。
「うーん……ピンと来ないな」
などというハルトヴィヒに、それならばとアキラは絵を描いてみせることにした。
いつも日記を付けているノートではなしに、使いかけの雑記帳を取り出し、そこに書いてみせる。
「こんな形をしているんだ」
とはいうものの、アキラも実物を見たことはなく、本の写真で見ただけであった。それでもイメージは伝わったようだ。
だが。
「うーん、これが『たわら』だとすると、繭を『たわら』に見立てるのには少し無理があるんじゃないのかい?」
と、ハルトヴィヒ。
「そうね。この『たわら』の絵って、両端が平らに近いみたいじゃない? でも繭は丸っこいわよね」
リーゼロッテもハルトヴィヒの意見に賛成なようだった。
「うーん……確かにな」
アキラは2人の言い分もわかるので、どう補足したものかと考え込み、やはり背景からすべきだという結論に達した。
「ええとな、『米』っていうのは、俺のいた国では主食だったんだ。ここにおけるパン以上に」
「ふむ」
「だから、とてもなじみが深くてさ。『俵形』というような言葉もあるし、他にも『俵』の付く言葉は多いんだ」
それで、ちょっと形が似ているだけでも『俵』を連想するわけだ、とアキラは締めくくった。
「なるほど……文化が専門の学者なら興味を持ちそうな話だな。でもその説明で理解したよ。ありがとう」
「ええ、ありがとう、アキラ」
「アキラ様、ご説明ありがとうございます」
ハルトヴィヒ、リーゼロッテ、セヴランら3人が礼を口にしたのに、ミチアは1人俯き、何ごとか考え込んでいた。
そしてやおら顔を上げると、
「アキラさん、その『こめ』っていうものについて、もう少し教えていただけませんか?」
と言いだした。
「ああ、いいよ」
アキラは雑記帳の余白に、まずは『稲』の絵を、次いで『籾』、そして脱穀した『米』の絵を描いてみせた。
絵心はあまりないが、図面のような写実的な絵はまあまあ描けるアキラなので、その絵もちゃんと見られるものであった。
「これがそうですか……。セヴランさん、もしかしてこれ『オリザ』じゃありませんか?」
「なんですと? ……ふむ、確かに『オリザ』に似ていますね」
「オリザですって? それは『稲』の別名に似ていますね」
作家宮沢賢治は、その作品の中で『稲』に相当する作物を『オリザ』という名で呼ばせている。
そもそも稲の属名『Oryza』は古代ギリシア語由来のラテン語である。
「オリザというのは、南方の国で栽培されている牧草です。馬に食べさせると育ちがいいと聞いています」
セヴランが説明をした。
「種は手に入りませんか?」
期待を込めて、アキラは尋ねてみた。
「そうですね……。大量にでなければ何とかなるかもしれません」
「でしたら、是非手に入れてください。食糧事情を改善することができるかもしれませんから」
「そうなのですか!?」
領地の食糧事情は、どこの国でも領主を悩ませる問題である。それを改善できるというのだから、セヴランが驚くのも無理はなかった。
「では、さっそく大旦那様に申し上げて、種を入手するよう動いてみます」
「よろしくお願いします!」
ということでこの件は済んだのだが、
「……ところで、アキラの使っている紙とペン、凄いのね」
とリーゼロッテが言い出した。大学ノートとボールペンのことである。
ミチア、セヴラン、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵、そしてハルトヴィヒは知っていたのだが、リーゼロッテは今回初めて目にしたのだった。
そして、こうした物に興味を持つ彼女だけに、その追究は激しかった。アキラは知っている限りの説明をしたのである。
とはいえ紙については、
「……ふうん、植物の繊維を取り出して、ばいんだー? と混ぜて『漉く』のね……」
くらいの知識であるし、リーゼロッテがペンと呼んだボールペンに関してはペン先が小さな金属球だというくらいしか知らない。
むしろ、
「『鉛筆』を作れないかな?」
と提案したアキラなのである。
その名のとおり『鉛筆』は、最初期には軟らかい金属鉛を細く加工して木の軸で覆ったものであった。
だが鉛は毒性があるため、黒鉛を粘土で焼き固めた今の芯に置き換えられた歴史がある。
「黒鉛というのは鉛じゃなくて炭素だね」
アキラは補足した。
「……ふうん……そっちも面白そうだわ」
『魔法薬師』であるリーゼロッテは紙と鉛筆について興味をかき立てられたようだった。
その日はもう夜遅くなっていたので、この話の続きは翌日となったのである。
* * *
「アキラ様、大旦那様がその『鉛筆』と『紙』の開発もできるかどうか聞いてくるようにと仰いまして」
翌日の朝食直後、セヴランが離れにやってきて、開口一番そう言った。
「俺よりもリーゼロッテの負担になると思いますけど……」
と、アキラ。
すると、セヴランの後ろからリーゼロッテが飛び込んできて、
「大丈夫! やり甲斐のある仕事は好きよ!」
と大乗り気な様子を見せた。
『濾過器』はハルトヴィヒ中心に建造と据え付けが進められており、今のところリーゼロッテの負担は小さいそうだ。
アキラとミチアの方も、『幹部候補生』5人の教育は順調なので、問題はなさそうと判断し、
「わかりました。やってみましょう」
と返事をしたのだった。
さあ、そうなると俄然張り切りだしたのはリーゼロッテである。
「まずは『鉛筆』からね!」
どちらからでもいいのだが、紙作りに適した『木の皮』を集めるのが大変そうだという理由から鉛筆を先にしたのである。彼女はインドア派なのだ。
「芯は……これね。《アナリーゼ》……ええと、炭? の粉と……粘土? かしら」
アキラが持っていた替え芯式鉛筆の芯に解析の魔法を掛けてみたリーゼロッテは、ほぼ正しい結果を導き出した。
「あ、確かそうだと思う」
実際には炭の粉ではなく、黒鉛(石墨)あるいはグラファイトであるが。
「芯が作れれば、軸は問題ないわよね」
軟らかい木で作ればいいだけだろうと、リーゼロッテは言った。
「粘土はいいとして、問題は炭の粉ね」
陶器はあるので粘土も手に入る。
だがこの世界では、木炭は一般的ではなく、暖を取るには薪もしくは魔法道具である。ゆえに原料となる良質の木炭を手に入れるところから始めなくてはならなかった。
「でも面白そうだわ!」
やる気満々のリーゼロッテを頼もしく思うアキラであった。
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次回更新は4月7日(土)10:00予定です。




