第十五話 甘味
8月も半ばを過ぎ、『秋蚕』が順調に成長している、その頃。
「お、うまくできたな」
「へえ、領主様」
北東にある山から流れ出る沢を利用し、『ワサビ田』を作った。
沢の水を引き込み、冷たくてきれいな水が常に流れるようになっている。
ワサビは直射日光を嫌うが、この場所は落葉樹が茂るため、春から秋にかけてはよい日除けになるのだ。
東京都の西にある奥多摩、そこではワサビ栽培が行われているのだが、ちょうど同じような地形である。
『携通』にあった写真を元にスケッチを描き、それを見ながら地元の農民たちが工夫して作ったのだ。
『フィルマン前侯爵閣下のお気に入り』と告げたら、皆、俄然やる気を見せたのである。
ちょっと季節外れではあるが、あちらこちらからワサビの苗を取ってきて植えたので、半分が根付いてくれれば、再来年には商品化が可能になるだろうと思われた。
「……農業は、どうしても結果が出るまで時間が掛かるからなあ」
ぼやくアキラであるが、資金繰りが楽になっているのでその顔に以前の暗さはなかった。
「ハルトの太陽熱温水器とリーゼの丸薬があるからな」
この2つがあることも、余裕に繋がっている。
そしてさらに……。
* * *
「旦那、できましたぜ」
「お、これか。……うん、懐かしい匂いだ」
『い草』を使った『ゴザ』の試作もできあがってきていた。
まだ量産はできないが、プレゼン用としては十分だ。
敷物、枕カバー、椅子用クッションがそれぞれ2つずつ完成。
これ以上は、来年以降『い草』を栽培しなければ作れない。
「これも定期報告に持っていけるな」
余裕ができたアキラは、2ヵ月に1度、『蔦屋敷』へ領地経営の報告に行くことにしたのである。
これまでのように何か起きるたびに馬を飛ばしていたらきりがない、ということに気付いたのだ。
街道の整備が進んだこともある。
湿地帯を抜けたので、工事の難易度が大幅に下がったのだ。
工事に携わる者たちも、遅れを取り戻そうと頑張ってくれていた。なにしろ、自分たちの暮らしに直結する道路なのだから。
* * *
「あとは甜菜だな」
別名サトウダイコン。サトウキビとともに砂糖の原料となる植物である。
これまでほとんど見向きもされなかったこの植物を、ド・ラマーク領の一大産物にするべく、全農家で栽培を開始しているのだ。
こちらは来年には大きな成果が出るであろう。
「同時に、砂糖を使ったスイーツもプレゼンできると効果的なんだがな……」
相乗効果が期待できるだろうとアキラは考えていた。
「……ベッコウアメでも作るかな……」
その色が『鼈甲』に似ていることからこう呼ばれるベッコウアメ。
作り方は単純で、砂糖を水に溶いて煮詰めるだけ。
ただ少々面倒なのが、型にはめて冷やすことくらいだ。
スライスしたレモンに絡めても美味しい。
フライパンに水を入れ、そこに砂糖を投入して煮詰めていく。
ブクブクと泡が立ってくるまで煮詰めると、うっすらと黄色みがかってくる。
頃合いを見て型に流し込んで冷やせば出来上がりだ。剥がしやすいクッキングシートの上に垂らしても可。
……というレシピを『携通』で確認したアキラは、『絹屋敷』の厨房……というより『台所』で砂糖を煮詰めていた。
「あら、あなた、何をしてらっしゃるの?」
台所から甘い匂いがするのでミチアが覗いてみるとアキラがいてなにかしていた、というわけだ。
「うん、『ベッコウアメ』を作ってみようと思って」
「べっこうあめ、ですか? ……ああ、お砂糖を煮詰めて作るアメですね?」
「そうそう」
『携通』のデータのほとんどを筆写してくれたミチアは、その驚異的な記憶力で、大抵の内容を覚えてしまっているのだ。
覚えられなかったのは数式や化学式が出てくる学術論文。
しかしこうしたレシピは全て記憶しているのだった。
「頭を使うと甘いものが食べたくなるっていうからな。ハルトやリーゼに差し入れを、と思ってさ」
そしてあわよくば、砂糖の量産に成功したなら特産のお菓子にしてもいい、とまで思っていたのである。
「よし、あとは冷ますだけだ」
10あまりの小皿の上に溶けたベッコウアメを流し込んだアキラ。
「ほとんど全部がお砂糖なんて、贅沢なアメですね」
というミチアの呟きに答え、
「砂糖を量産できるようになったら、これも安いお菓子になるさ」
とアキラは答えた。
「それが『豊かさ』だと思うよ」
「ふふ、そうかもしれませんね」
「俺たち『異邦人』の役割は、こうした『豊かさ』を生み出していくことかもしれないな」
「いいですね、『豊かさ』。沢山の人々が笑って暮らせる世界になってほしいです」
「うん。……俺にどこまでやれるかわからないけれど、少なくとも手の届く範囲の人たちには幸せになってもらいたいよ」
「私も、お手伝いしますよ」
「うん」
そして寄り添う2人……だったが。
「ねえ、何かいい匂いがするんだけど……あら」
「え……わっ」
「きゃあ」
甘い匂いに引き寄せられてリーゼロッテが台所を覗いたのだった。
慌てて離れるアキラとミチア。
「ええと、そういうことは台所でやるものじゃないと思うなあ」
「う、うん。俺もそう思うよ。あ、ベッコウアメ食べるか?」
「ごまかしたわね。……え、何? べっこあめ?」
「ベッコウアメ、な。もう固まっているだろう」
アキラは小皿の1つからベッコウアメを引き剥がして2つに折った。その1つをリーゼロッテに、もう1つをミチアに渡す。
「試食してみてくれ」
「ええ」
「はい」
そして……。
「あんまーいっ!」
リーゼロッテの嬉しそうな声が『絹屋敷』に響いたのだった。
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次回更新は5月29日(土)10:00の予定です。




