第十三話 夏が来る
季節は夏を迎え、ド・ラマーク領は活気づいている。
蚕は『夏蚕』が繭を作り出した。
街道整備も予算が下りたので順調。
『い草』の栽培も、適当な湿地が見つかり、整備中だ。
そして『ワサビ田』についても、『絹屋敷』の北側にある小山に整備が進んでいる。
最後は『甜菜』だが、砂糖精製の手法を確立するため、鋭意努力中である。
これらのうち砂糖精製に関しては年内の産業化が目標だ。
「甜菜の栽培は順調です」
種まきの季節は春だったので、ギリギリに間に合ったのだ。
おかげで、これまでの20倍もの甜菜が栽培されている。
高級食材である砂糖の原料になると知らせたものだから、我も我もと栽培を始めたのである。
もっとも、荒れた畑が大半なので、収穫量は20倍よりはずっと少なくなるだろうと思われた。
「痩せた土地の土壌改良も進めないとな」
ド・ラマーク領でのもろもろが順調なので、アキラにも余裕ができ始めていた。
これまでは、山から持ってきた腐葉土や、薪を燃やしたあとに残る草木灰を畑に撒いていたのである。
これだけではまだ足りないということがわかってきたのだ。
腐葉土は窒素肥料、草木灰には石灰、リン酸、ケイ酸、カリウムなどが含まれている。
アキラは『携通』から得た知識を元に考え、ここに緩行性、つまりゆっくりと効いてくるタイプの肥料である骨粉を追加しようと思っていた。
骨粉は魚や動物の骨を乾燥させてから焼き、粉砕したものである。
骨粉に最も多く含まれている肥料成分はリン酸で、花や実付きをよくする働きがある。
ちなみに草木灰はカリウムが主で、こちらは根の生育を促したり、病害虫に強い植物帯を作るために必要だったりする。
ついでながら窒素は植物体全体の成長を促してくれる。
窒素、リン酸、カリ(カリウム)が肥料の3要素と言われる所以である。
「草木灰は即効性があるけど、撒きすぎると土壌がアルカリ性に傾くからな」
石灰分が強力なアルカリ性なのである。
酸性土壌を中和するのにはよいが、頼りすぎると今度はアルカリ性に傾くから注意が必要だ。
「クローバーを試してみるかな」
クローバーと呼ばれる植物はシロツメクサやアカツメクサなどがある。いずれもマメ科の植物で、根の部分に『根粒菌』という細菌が共生している。
この根粒菌が空気中の窒素を固定してくれるので、マメ科植物は窒素肥料を自前で作りだせるのだ。
そのため、マメ科には比較的荒れ地でも育つ種類が多い。
「レンゲソウが一面の田んぼなんてなくなったなあ……」
日本では、刈り入れ後の田んぼにレンゲソウの種を蒔いておき、春になったら田んぼに鋤き込むことで土壌改良していた歴史がある。
マメ科の植物には秋蒔きの種類が多いのでちょうどよかったのだ。
蛇足ながら、スイートピーやエンドウ豆などは秋まきのマメ科植物である(ダイズやインゲンは春まき)。
「牧草にもなるだろうからな」
いっぺんには無理だが、近い将来、牧場も広げようとアキラは思っていた。
クローバーはいい牧草になるのだ。しかも寒冷地向きなのである。
「おっと、あまり欲張っちゃいけないな」
つい夢が膨らみ、先のことまで考えすぎた、とアキラは反省。
「今は一歩一歩歩みを進めていく時期だもんな」
そしてクローバー栽培の検討に戻る。
幸いにして、アキラが『異邦人』であることは公表されており、また『異邦人』がこの世界にない知識を有していることも周知されている。
そのおかげで、酷い軋轢もなしに、アキラの政策はド・ラマーク領で受け入れられていたのである。
もちろん、その政策の幾つかが目に見える効果を上げた、という実績もあるのだが。
「骨粉の製造とクローバーの種集め、だな」
書類を書き上げたアキラは、領主補佐のアルフレッド・モンタンを呼び、書類を渡して説明を行った。
「なるほど、骨粉は精肉関係の者たちに指示しましょう。クローバーの種も、子供たちの小遣い稼ぎになりそうですな」
「やり方は任せるよ」
「承りました」
* * *
「さてと」
執務机の前で大きく背伸びをしたアキラは、席を立つと『蚕室』の様子を見に行った。
「お、順調だな」
立ち並ぶ『蚕室』の1つに入ったアキラは、半分以上の蚕が繭を作っているのを見て微笑んだ。
「今年は20反くらいは作れるかな?」
1反……『反物』は、着物を1着作れるサイズである。
洋服の場合はまた異なるのだが、便宜上絹の生産量を『反』で表しているのだ。
1反分の布を作るために、2600〜3000粒の繭が必要になるという。
20反ということは6万粒の繭が必要になるわけだ。
1つの蚕室でおよそ1000匹の蚕を育てられる。
今年はそうした蚕室が10棟。
そして1年間に4回、蚕を育てることができるので、計算上は4万粒の繭が手に入ることになる。
「20反は無理か。15反くらいだな」
暗算をし直したアキラは微笑んだ。
「この10倍くらいの生産量まで持っていきたいものだなあ」
それにはまだ、10年20年という歳月が必要だろうと思われた。
最大のネックは蚕の食料である桑の葉である。そうそう一気に増やすことはできないのだ。
「……道はまだ遠いな」
だが、蚕室から出ながらアキラは、先日まであった焦りの大部分がなくなっているのに気づく。
「……前侯爵のおかげだな」
助言と予算提供により、新米領主アキラも、少し楽になっていた。
「今日もいい天気だ」
北にあるド・ラマーク領は夏でも猛暑にはならず、内陸にあるため湿度も低い。
「お蚕さんの病気が一番心配だからな」
そのために定期的な殺菌消毒は欠かせない。
養蚕に使った道具は、1サイクルが終わるごとに洗って天日干しをしているのだ。
過去の地球でも、ウイルスや細菌で蚕が全滅した例は多い。
「蚕の種類が1種類しかないからな、気をつけないと」
種類が同じということは、弱点も同じということ。病気が流行ればあっという間に蔓延してしまう可能性が高い。
それを防ぐため、蚕室を分けたり、殺菌消毒を徹底したり、卵を保存しておいたりと、対策を施しているのである。
「さて、また書類仕事だ」
大きく背伸びをしたアキラは『絹屋敷』の執務室へと戻っていったのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は5月15日(土)10:00の予定です。
20210508 修正
(誤)春になったら田んぼに鋤き込むことで土壌改良ししていた歴史がある。
(正)春になったら田んぼに鋤き込むことで土壌改良していた歴史がある。




