第十一話 焦り
翌日、朝食もそこそこに、アキラはフィルマン前侯爵に会うべく、馬で『蔦屋敷』へと向かった。
馬の背には、提案すべき新作物とその可能性を括り付けて。
ひたすら馬を駆けさせ……とはいっても途中で休ませないわけにはいかないので、気ばかり焦るアキラ。
それでも落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせながら馬を走らせた。
* * *
「ア、アキラ様、いったいどうなさったんですか!?」
『蔦屋敷』に着いた頃には、アキラは疲れ果て、ぐったりしていた。
その顔色の悪さに、出迎えたリリアがびっくりする。
その声を聞きつけ、ミューリやリュシー、リゼットもやって来た。
「こんなにお疲れなんて……馬も汗びっしょりじゃないですか!」
リゼットはアキラの馬を預かり、まず水浴びをさせに行った。
そしてリュシーは前侯爵に知らせに館へと走り、リリアとミューリはアキラを浴室へと連れて行く。
さすがにこの状態のまま前侯爵に会わせるわけにはいかなかったこともあったし、アキラの疲れを少しでも癒やしてもあげたかったからだ。
勝手知ったる『蔦屋敷』、連れて行かれた浴室でアキラは汗を流し、浴槽に身体を横たえた。
「ふう……さすが『蔦屋敷』、昼間から風呂に入れるとは思わなかった」
そして、温めのお湯に浸かっているうちに、心の中の焦りも少しほぐれたようだった。
* * *
「アキラ様、お腹がお空きでしょう? さあ、どうぞ!」
「あ、ありがとう……」
風呂から上がったアキラの前に、豪華な昼食が並んでいた。
「最近ちゃんと食べてますか? 少しお痩せになったみたいですよ?」
「あ、うん」
「睡眠も取らなければ駄目ですよ?」
「……わかってるさ」
「いや、わかっておらんな」
「閣下!?」
昼食を食べているアキラの前に、『蔦屋敷』の主、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵が現れた。
前侯爵はアキラの前に腰を下ろすと、徐に口を開く。
「アキラ殿、前にも少し言ったような気がするが、焦ってはいかん」
「焦っては……」
「いや、焦っておる。ミューリもリリアもリュシルもリゼットもそう言っておるぞ」
「え……」
前侯爵は柔らかく微笑んで、諭すように語りかける。
「貴殿は確かに新米領主だ。領地経営も初めてのことだらけであろう。だが、儂の目から見ても、よくやっていると思う」
「……そうでしょうか」
「そうだとも。だからもう少し肩の力を抜け。アキラ殿」
「はあ……」
「よいか、そもそもド・ラマーク領は我が領地の中にある。ゆえに、統治責任は儂にもあるのだ」
「……」
「よって、儂はこのたび、ド・ラマーク領開発のために、1千万フロンの予算を組んだ」
「えっ」
日本円に換算して、およそ10億円。地方の一寒村に投入する金額ではない。
「閣下……」
「よいか、儂はアキラ殿が統治するド・ラマーク領の将来性を考慮し、これを決めたのだ。とやかく言うことは許さん」
「は、はい」
恐縮するアキラ。
その様子を見た前侯爵は、
「ゆっくり食べるといい。儂への話はその後聞かせてくれ」
と言って食堂を去っていった。
「はあ……」
小さくため息をつくアキラ。だが、その顔は少し明るくなっていた。
* * *
「閣下」
「おお、来たな。……まあ、掛けなさい」
「はい」
前侯爵に促され、アキラは正面の席に腰掛けた。
「それで、今回は何を持ってきてくれたのだ?」
アキラが運んできた荷物を見て、前侯爵は期待に目を輝かせていた。
「はい。私の世界にあった調味料と、砂糖の原料となる作物を見つけました」
「なんと!!」
何か有益なものを持ってきたのだろうと思っていた前侯爵だったが、その内容に、さすがに驚きを隠せない。
特に砂糖。
今のところ原料はサトウキビだけで、それは暖かい南の地でしか栽培できないものだ。
それに加え、『異邦人』の世界の香辛料。ネームバリューだけでも、かなりの経済効果が見込めると胸算用できた。
「詳しく聞かせてくれ」
「はい。まずは、砂糖についてですが……」
『甜菜』について説明するアキラ。
「……というわけで、これを栽培すれば大きな産業となりえます」
「ううむ……そんな作物があったのか」
しかも、甜菜は耐寒性が強いため、北の地での栽培に向く。
つまりリオン地方全体に恩恵があるのだ。
「これは大きいな。……セヴラン、誓約書の用意を」
「は、旦那様」
「誓約書ですか?」
「そうだ。……アキラ殿、貴殿はこの『甜菜による砂糖産業』がどれだけ大きな経済効果を上げるか、わかっていないようだな」
「は、はあ、すみません」
前侯爵に言われ、恐縮するアキラ。
「いや、叱っているのではない。……ないが、よく考えて欲しい。これが実現すれば、北の地の農業の光明となるのだからな」
前侯爵は、その経済効果をアキラに説明した。
「……わかったかな?」
「……はい」
「よろしい。そういうわけで、この『甜菜』とそれから作る『砂糖』が産業として成り立ったなら、その利益の5パーセントをド・ラマーク領に、向こう20年間支払うことを約束しよう」
「ありがとうございます」
これにより、リオン地方とド・ラマーク領が大いに潤うことになるのだが、それはもう少し先のことである。
* * *
「さて、それではもう1つの説明をしてもらおうか」
「あ、はい」
アキラは、『ワサビ』の説明を始めるのであった……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は5月1日(土)10:00の予定です。
20210425 修正
(旧)しかも、甜菜は耐暑性が弱いため、北の地での栽培に向く。
(新)しかも、甜菜は耐寒性が強いため、北の地での栽培に向く。




