第九話 わさび
茎を口に入れたアキラは、その独特の刺激と香りに思い当たった。
「そうだこれは……ワサビの香りだ!」
「わさび、ですか?」
「そう。これはおそらく『ワサビ』といって、俺の世界で使われる香辛料に違いない」
そう言いながらアキラは『辛菜種』改めワサビを掘り起こしてみた。
大きな株だったが、根っこは子供の小指ほどの大きさしかない。
「ああ、そうだった」
天然のワサビは、かなり大きな株でも根茎が小さいのである。
昔、現代日本にいた時に訪れた山国のロッジでそんな話を聞いたことを思い出したアキラであった。
「これを砂利質のワサビ田に植えて栽培すれば、俺の知っている『ワサビ』になるはずだ」
「旦那様の世界では有名な香辛料なのですね?」
「そうだ。……確か、冷たいきれいな水でないと栽培できないと聞いた」
なぜか、肥沃な土地に生えるワサビの根は小さく細いのだ。
砂利が主体のワサビ田だと根茎は大きく太く育つ。
栄養が足りない環境だと根茎は太くなるのかなあ、とアキラは想像してみた。
「冷たい水ですか。なるほど、この地方でしたら適していますな」
「試して見る価値はあるぞ」
「わかりました。手配してみましょう」
「うん。栽培法に関しては後でまとめておく」
「よろしくお願いいたします」
こういう時に、人の差配ができる配下がいてくれるのは非常に助かる、とアキラは感じていた。
「さて、『携通』にワサビについて多少は載っていた気がするな」
ワサビ田の写真があったことは間違いないので、多少の情報はあるだろうとアキラは見当を付けていた。
* * *
執務室に戻ったアキラは『携通』を参考に、『ワサビ栽培』について、わかっていることを書き出した。
*清涼な水の流れる浅瀬で栽培する。
*生育適温は8~20℃、水温は16〜18℃くらい。
*直射日光を嫌い、常に薄日が当たるような場所を好む。
*花が咲くとワサビとしての風味が落ちる。
「こんなものか……」
ワサビ栽培の専門家ではないので、情報も少なかった。
が、足りないほどではないので、なんとか軌道に乗せることはできるだろうと思われた。
なにより、自然環境がほぼそのままワサビ栽培に適しているからだ。
「湿地周辺の開発……これはまた前侯爵閣下に資金を出してもらわないといけなくなったなあ……」
がっくりと肩を落とすアキラ。
何を始めるにしても、先立つもの、つまり資金が必要なのである。
「そうすると、ワサビのサンプルを用意する必要があるな」
前侯爵にアピールするため、できるだけ大きな株を幾つか掘り起こし、根ワサビのサンプルとしたいな、とアキラは考えた。
「それから、葉と茎は……漬物があったよなあ」
スキーに行った先のロッジで出された、ツーンと来る醤油漬け。あれは間違いなくワサビだった、とアキラは思い起こす。
「つまり、ワサビの茎と葉を刻んで醤油で漬ければいいわけだ……『携通』にレシピはあるかな?」
結論から言えば、なかった。そうそうピンポイントで知りたい情報が見つかるわけではないなあと、苦笑するアキラ。
「うーん……菜っ葉の醤油漬けの作り方ならあるかな?」
こちらはごくごく簡単なものなら見つかった。
「ええと、茎や葉を洗って刻んで、さっと茹でてお湯を切って、醤油を掛け回して一晩置く、か……」
簡単なので早速作ろうと庭へ出る。
どうせなら多めに作って、屋敷の皆の意見も聞きたいからだ。
「あなた、何をなさっているんです?」
庭でごそごそしていたらミチアに見つかってしまった。
別に悪いことをしているわけではないので、アキラは説明を行った。
「まあ、そんなことでしたら私に言ってくださればいいのに」
「いや、自分でやってみたかったから」
少し領地経営について考え倦ねていたので、身体と手を動かして何かやりたかった、と正直に話すアキラ。
「まあ、そうでしたの。……わかりました。でも少しは手伝わせてくださいね」
「わかったよ」
そういうわけで、二人がかりで『辛菜種』改めワサビを掘り上げる。5本掘り上げたところで止め、調理にかかることに。
根茎は小さいが根ワサビのサンプルに。茎と葉を落としたあとは水に漬けておく。
そして茎と葉を水洗いして刻み、さっと茹でた。このあたりはミチアがやってくれる。
絞って水気を切り、醤油を掛けるわけだが、適量がわからない。
そこで湯がいたワサビを3つに分け、それぞれ醤油の量を変えて一晩置くこととしたのである。
* * *
「こちらの根っこはどうするんですか?」
「摺り下ろして香辛料にするんだ。醤油と合うんだぞ。ただなあ……」
ワサビ醤油に合う料理をすぐには思いつけないのが問題だった。
そこでまた『携通』に頼ることとなる。
そして今回は、すぐに候補が見つかった。
『和風ステーキ』である。
「それでしたら任せてください」
「頼んだ」
ステーキを焼くのはミチアに任せることにする。アキラがやると焼きすぎたウェルダン(つまり焦がす)か、火が通っていないレア(つまり生焼け)になりやすいのだ。
フライパンに油を引き、とっておきの牛肉を焼く。
強火で肉の表面を焼き、裏返して火を弱め、醤油を少々振りかけて表面に絡ませた。
それを食べやすい大きさに切れば和風ステーキのできあがり。
これをワサビ醤油で食べるわけだ。
摺り下ろすためのおろし金がないので、仕方なくきれいに洗ったヤスリを使ったのはご愛嬌である。
折から夕食の時間となったので、試食してもらおうとハルトヴィヒとリーゼロッテ、それにアルフレッドも呼んだ。
「なるほど、新しい香辛料を使ってみるというわけだな」
「うん。忌憚のない意見を聞かせて欲しい」
「わかった。では食べてみよう」
「いただきます」
「いただきます」
結果は……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は4月17日(土)10:00の予定です。
20210410 修正
(誤)昔、現代日本にいた時に訪れた山国のロッジでそんな話を言いたことを思い出したアキラであった。
(正)昔、現代日本にいた時に訪れた山国のロッジでそんな話を聞いたことを思い出したアキラであった。




