第九話 忙中閑あり
今回は虫の描写はありません。繭が出てくるだけです。
アキラはいろいろ考えた末、ゴドノフたち5人の『幹部候補生』にはもう一度、卵を孵化させ、幼虫、繭を経て羽化、そして産卵までの世話を自分たちだけでやってもらうことにした。
今回は倍の40個の卵を用意した。
季節はいよいよ寒くなってきたが、『エアコン』があるから問題ない。
とはいえ、餌やり以外の節目の作業時にはアキラかミチアが付いて失敗しないか目を光らせることになる。
空いた時間はもちろん勉強だ。ゴドノフの、
「はあ、おかげさまで名前が書けるようになったでがんす」
という言葉のように、成果は上がっているようだ。
まずは『催青』。
休眠卵を25℃の環境に出した。
「10日くらいで孵るんですよね?」
幹部候補生の紅一点、亜麻色の髪をしたレレイアが言った。彼女は紅一点であると同時に最年少で、そのためか一番物覚えがいい。
教えているミチアは、将来は事務関係を覚えてもらいたいと言っている。
「そう。だから、異常がないか時々見回る以外、仕事はない。だから……」
「……また勉強でやんすね……」
力なく答えたのはイワノフ。わかってはいてもやはり勉強はあまり楽しくないようだ。だが。
「何言ってるんですか! お給金いただけて読み書きまで教えてもらえる。こんないい職場、他にはありませんよ!」
と、レレイアは4人の背中を力強く叩くのだった。
* * *
5人についてはそれでよしとしたアキラは、新たな行動を起こそうとした……のだが。
「ああ、2人は今、忙しかったか」
ハルトヴィヒとリーゼロッテは『濾過装置』を実用化させるべく、大型のものを建造しているところだった。
そこにアキラの出番はない。つまり、今日は暇になってしまったのだ。
「うーん、どうしようかな」
そんなアキラの目に、蚕が羽化して出て行ったために穴の空いた繭が映った。
「そうだ、これを使って……ああ、でも糊がないな」
こういう時は家宰のセヴランに相談してみよう、と思いつくアキラ。飼育箱や蔟を用意してくれたセヴランなので、こうした相談事には頼れそうだと思ったのだった。
「糊、ですか? ……麦糊、でしたらすぐにでも」
そして予想どおり、相談したところ即返事が返ってきたのである。
「麦糊ですか?」
聞いたことがなかったアキラは問い返した。
「ええ。簡単に言いますと、小麦粉と水を混ぜて煮たものです」
「なるほど……デンプン糊の一種ですね」
「デンプン糊、ですか?」
今度はセヴランが聞き返した。
デンプン糊とは、デンプンに水を加えて煮ただけの、シンプルな接着剤である。
また、布地の『のり』としても古来使われている。障子に紙を貼るのはこの糊で、乾燥後も水で剥がせる利点がある。
ご飯粒を潰した『続飯』もこの仲間であるが、今のところ米を見かけないので作れそうもない。
耐用年数は長く、100年から300年ともいわれている。
欠点は作り置きができないこと。数日でカビが生えてしまうのだ。
ゆえに現代日本で市販されているデンプン糊には酢酸または防腐剤を加えてある。
「ははあ、勉強になります」
アキラの説明を聞いたセヴランは一礼して、準備に取りかかった。
ということでアキラは、少量の麦糊を手に入れることができた。
ついでに、5ミリ角ほどの角材数本と1ミリくらいに薄く削った板はないか、とセヴランに尋ねたところ、すぐに用意してくれた。
あとで聞いたところ、セヴランは大工仕事は職人並、いや職人以上の腕なのだそうだ。
「よーし、これで……あっ」
いよいよ考えたものを作ろうとした時、あと一つ足りない物があることに気が付いたアキラ。
「……これは……ハルトに頼まないと駄目かなあ……」
仕方なく、新たに作られた『工房棟』へと足を向けるアキラ。そこでは賑やかな槌音が響いていた。
「おお、賑やかだな」
槌音の正体は『樽作り』であった。
先日作った『濾過器』は空いたワイン樽であったが、今回作っているのは直径1メートル、高さ2メートルほどもあるものだ。それが5つ。
これ以上大きくすると保守が大変になるのでこの大きさになったが、ハルトヴィヒとしてはもっと大きくしたかったらしい。
「お、アキラじゃないか。様子見か?」
樽職人に指示を出していたハルトヴィヒが、アキラに気づいで声を掛けた。
「ああ、そうなんだ。それと、ハルトにちょっと頼みがあってさ」
「なんだい?」
「……ええと、ガラスで丸い玉を作れるかい? この前の魔法……《フォルメン》だっけ? あれを使ってさ」
「うん? できるよ。大きさは? 個数は?」
「直径1センチで、最低1個、できれば10個くらい。あ、表面はつるつるしているといいんだが」
イメージしたのはビー玉だが、その名称を言っても、ハルトヴィヒには伝わらないだろうから、できるだけイメージを数値化して伝えたつもりのアキラである。
ハルトヴィヒはわかった、と言ってちょっと工房棟の奥に行き、温度計を作った余りのガラス片を持ってきた。
『《フォルメン》』
すると彼の手の中でガラスは形を変え、丸くなった。アキラは、ハルトヴィヒの並々ならぬ手腕に感心する。
「こんなものかい?」
「うん、凄いな。ちょうどよさそうだ。ありがとう」
アキラが礼を言うとハルトヴィヒは続けて魔法を使い、もう5個、ガラス玉を作ってくれたのだった。
「余りがこれしかなかったから、6個で勘弁してくれ」
「あ、ああ、これで十分だ。感謝するよ」
「何の。……今は忙しいから、あとで何に使うのか教えてくれよ?」
アキラのことだから、きっと面白いことに使うんだろう、と言い残し、ハルトヴィヒは樽制作の監督に戻ったのである。
「さて、これで材料は揃ったな」
アキラもまた、喜々として離れに戻っていったのであった。
* * *
「……で、これはなんだい?」
その日の夜、アキラの離れにはハルトヴィヒ、リーゼロッテ、ミチア、そしてセヴランがやって来ていた。
テーブルの上に乗っていたのは、角材と薄板を使って作られたレールが3本、横から見てジグザグになるよう斜めに取り付けられているものだ。
レールは長さ30センチ、幅3センチほどで、細長い薄板の上面両端に角材を貼り付けたもの。それで斜路が作られている。
「……これを見る限り、上から何かを転がすように見えるな」
ハルトヴィヒがその慧眼ぶりを発揮した。
「右から左に転がっていくと下のレールに落ちて、今度は左から右へ転がって、また下に落ちて右から左に転がっていく……のかしら?」
リーゼロッテもレールというか斜路の目的を言い当てた。
だが。
「さっきのガラス玉を転がすのかい?」
というハルトヴィヒの言葉には、アキラはにやりと笑って首を横に振った。
「ちょっと違う。転がすのはこいつさ」
と言って取り出したのは『繭玉』であった。
「それは蚕の繭かい?」
「そうさ。まあ、見てくれ」
アキラはそれを斜路の一番上に置いて手を離した。
「お、おお!?」
すると、繭はゆっくりと動き出す。それも、縦に転がりながら、だ。
寝たり起きたり、ごろんごろんと斜路を転がって、下の斜路へと落ちると、今度は逆向きに転がっていく。そしてまた下に落ち転がって、一番下にたどり着いた。
「面白いです、アキラさん!」
「アキラ様、これは面白い玩具ですね」
「か、可愛いわ!」
「ほおお、面白いなあ! すると、この繭の中にさっきのガラス玉を入れているわけか!」
他の3人に比べ、やはりハルトヴィヒは目が利く、とアキラは思った。
「まあそういうことさ。これは『俵転がし』とか『繭玉ころころ』と言われてる玩具なんだ。ほら、蚕が出てしまったあとの繭を有効に使えると思ってさ」
「ふうん、これもまた『異邦人』の知識か。面白いなあ」
何度も繭玉を転がしては遊ぶハルトヴィヒとリーゼロッテであった。
そんな中、
「これですが、色を塗ったら受けそうですね」
とセヴランが言い出したので、
「ああ、その場合、上下で塗り分けるといいかもしれませんよ」
とアキラも考えを述べた。
この『繭玉ころころ』は、このあと養蚕から派生した玩具として産業化されるのであるが、それはもう少し先のことである。
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4月1日(日)も更新します。




