第二話 侯爵家別荘にて
虫が嫌いな方はご注意下さい。
でも今話には虫要素皆無です。
「こちらへどうぞ」
ミチアに案内され、洋館へと案内されていくアキラ。
洋館の脇には小さな木造の建物があり、いい匂いが漂ってくる。その匂いを嗅いだアキラのお腹がぐうと鳴った。
「あら、お腹が空いてらっしゃるんですね」
「ええ、恥ずかしながら」
経過時間がわからないが、体感的には半日以上……1日近く食べ物を口にしていない。
「いえ、迷ってらしたんですもの。それじゃあ先に何かお出ししますね」
「済みません、助かります」
状況を知るのも大事だが、今はこの空腹を何とかしたい、という思いが勝る。
ミチアはアキラを木造の家のほうへと導いていった。
「こっちは私たち使用人の家なんです」
そう説明したその建物は、洋館に比べれば小さいが、建坪は20坪ほどもあり、木造、丸太作り平屋建て。アキラの感覚としては立派な一軒家だ。
「どうぞお入り下さい」
招き入れられたのは厨房と食堂が一緒になったような部屋。
「どうぞ、そこにお座りになってください」
置かれていたのは6人掛けのテーブル。その端にアキラは腰を下ろした。
「……ふう」
いざ座ってみると、疲れていたことを実感する。
「こんなものしかありませんけど」
そう言ってミチアが持ってきたのはスープと黒いパン、そして木のコップ。コップには水が入っている。
喉が渇いていたアキラは、まず水を一口。
「……美味い」
今まで飲んだ、どんなミネラルウォーターよりも美味い気がした。
続いてスープを一口。
「……美味い」(けど、味が薄い)
そのスープは、野菜の味が濃厚だった。ニンジンのような赤い野菜は甘く、黄緑色の葉野菜もまた違った甘さを持っている。
ジャガイモのような野菜には、僅かに入っている肉の出汁が程よく染み込んでいた。
だが、塩味が途轍もなく薄かったのである。
アキラも、高血圧を避けるため、また腎臓への負担軽減のため、1日の塩分量がどれくらいか、保健の授業で教育を受けていた。
だが、それを参考にしても、この味は薄すぎたのである。
(野菜の味しかしない……これはこれで美味いけど)
そして黒みがかったパン。
(少し酸味があるけど、これはこれで美味いな。でも、ちょっと硬い)
あまり膨らんでいないようなので、イーストか膨張剤が少なめなのかとも思う。
いずれにせよ、批判的なことを口に出すほどアキラは大人げなくはなかった。
空腹は最高の調味料という。それを体現するように、アキラは出されたスープとパンを瞬く間に平らげたのであった。
「ごちそうさま。美味しかったです」
「おそまつさまでした。お口にあってよかったです」
アキラが全て食べたのをみて、ミチアはにっこりと微笑んだ。
「……ちょうどいいですので、ここでお待ちください。大旦那様にお知らせして参ります」
「あ、ちょっと」
「はい?」
そう言って洋館へと向かおうとしたミチアを、アキラは呼び止めた。
「あの、それでしたら、済みませんが水をもう一杯いただけますか」
「あ、はい。気付きませんで。……どうぞ」
ミチアは大きな水瓶から柄杓のようなもので水を汲み、アキラのコップに注いでくれた。
「ありがとうございます。本当に美味しい水ですね」
「そうですか? うちの井戸の水なんです。……では、少々お待ちくださいね」
ミチアが出ていったあと、一人になったアキラは考える。
(外国じゃない可能性が高い……とすると地球じゃないということになるのか? ……植生を考えると有り得るな……)
アキラは頭を抱えてしまった。
「ああ、いったいどうしてこんなことに?」
思わず口に出して愚痴ってしまう。
そんなアキラの耳に、足音が聞こえた。
「アキラ様、大旦那様がお会いしたい、とのことです。いらしていただけますか?」
「あ、はい、今行きます」
現状をきちんと認識するため、悩みはひとまず後回しにして、アキラはミチアの主人である『大旦那様』に会うべく、案内されるがまま洋館に足を踏み入れた。
* * *
「ようこそ、『蔦屋敷』へ」
アキラを出迎えたのは初老の男性。髪と豊かな髯はすっかり白くなっており、青い目は優しげだった。
身体は引き締まっており、健康そうだ。
背後にはもう少し若いと思われる男が立っていた。服装からして執事ではないかとアキラは想像する。
「こちらが蔦屋敷のご主人様で、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵様です」
「村田アキラと申します。アキラが名前で、ムラタが姓になります」
「ほう、変わった名だな。では、アキラ殿と呼ばせてもらおう。儂のことはフィルマンと呼んでくれ」
「はい、フィルマン様」
「これは儂の家宰でセヴランという」
フィルマンは背後に立っていた執事らしき男を紹介した。
「セヴランと申します。以後お見知りおきを」
セヴランは長身でやや痩せ形。灰色の髪に、同じ色の瞳をしている。
「立ち話も何だ。まあ、座るがいい」
名乗り合ったところで、フィルマンはアキラに座るよう促した。
「失礼します」
アキラは、ミチアが引いてくれた椅子に腰を下ろす。
フィルマンが使っている机は、シンプルだが重厚な造りだった。
「まずは質問だ。ミチアからも聞いたが、君の口から直接聞きたい。アキラ殿、君はどこから来たのだね?」
「はい。自分は『日本』という国から来ました」
「『ニホン』……聞いたことがないな。……セヴラン、お前はどうだね?」
「はい、大旦那様。私も聞き覚えがございません」
「ふむ……アキラ殿、ニホンとはどのあたりにある国なのだね?」
アキラはどう説明したものか、と少し考えを巡らせてから口を開いた。
「それをお答えする前に、失礼とは存じますが、この国、そしてここは何という所か、お教えいただけますでしょうか」
「うむ。何か事情があるようだな? ……この国は『ガーリア』、ここは『リオン地方』だ」
やはり未知の国名、地名だったことで、先程からのアキラの疑念はほぼ確信に変わった。
「おそらく自分は、こことは違う、別の世界から迷い込んだのではないかと思われます」
「別の世界とな? それは比喩ではなく、『異世界』ということなのか?」
異世界、という表現が出たことにアキラは少し驚いた。
「信じていただけるのですか?」
「うむ。大昔だが、そういう人物が幾人かいたという伝説が残っておる」
それに、アキラの服装や、黒い目、黒い髪を見ても、この世界ではまず見られない、と侯爵は言った。
「そうなのですか……」
自分と同じ境遇の者がいたということを聞き、アキラは聞かずにはいられない。
「その人はどうなったのですか? ……その……元の世界に帰られたので、しょうか……?」
質問の意図を察したフィルマンは、少し沈痛な面持ちを見せた。
「……それがな……」
言葉を濁したその様子を見て、アキラは察してしまう。
「帰れなかった……のですね」
「……うむ」
「……」
しばらく沈黙が落ちる。
「……アキラ殿」
フィルマンが、静かな声で語りかけた。
「境遇はお察し申し上げる。……しばらくはこの館に留まり、身の振り方を決めたらどうかな?」
「よろしいのですか?」
フィルマンは鷹揚に頷いた。
「ああ、構わぬ。……そうだな、ミチア、最初にお前が出会ったのも何かの縁だろう。お前がアキラ殿の世話をしなさい」
「は、はい。承りました」
「部屋は……そうだな。裏の『離れ』あたりがよいだろう」
こうしてアキラは右も左もわからぬ異世界で、運良く居場所を見つけることができたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次の更新は2月3日(土)の予定です。
28日(日)夕方まで帰省してまいりますのでその間レスできません。御了承願います。
20190707 修正
(誤)1日の塩分量がどれくらいか、保険の授業で教育を受けていた。
(正)1日の塩分量がどれくらいか、保健の授業で教育を受けていた。