第四話 通達
その日、アキラは『蔦屋敷』に1泊した。
懐かしの『離れ』である。
『離れ』はド・ラマーク領主であるアキラが来訪した時、またこちらで絹産業関係の活動を行う際の拠点としてそのまま残されているのだった。
ただし、家具類は少ないが……(『絹屋敷』へ運んだからである)。
夢も見ずにぐっすり眠ったアキラは、翌朝5時半に目を覚ました。
「うーん、習慣というのは凄いな……」
明かり用の油や魔力がもったいないので、『絹屋敷』では、夜は早めに眠ることにしているのだ。
その代わり、朝は明るくなったら起きて仕事である。
冬は日が短い上に寒いので、明かりと暖房を使わないわけにはいかなかったが、今は春たけなわ、仕事にはいい季節であった。
「では、お世話になりました」
久しぶりに『蔦屋敷』の朝食を食べたアキラは、元気よく馬に跨った。
「うむ、頑張れよ」
「アキラさん……様、ミチア様にもよろしくお伝えください」
「わかった。それじゃあ」
フィルマン前侯爵と、馴染みの侍女たちに見送られ、アキラは『蔦屋敷』を後にした。
馬も、一晩休み、飼葉をたっぷり食べたので元気いっぱい。
昨日以上の勢いで帰路を辿っていくアキラであった。
* * *
「……ふう、まったく、律儀なものだ」
アキラを見送った前侯爵は苦笑を浮かべた。
「ド・ラマーク領の開発は、上司である儂にもその責があるというのに、1人で背負おうとしておる」
そう、アキラの治めるド・ラマーク領は、侯爵領の一地方である。
ゆえに、その最終的な管理責任は侯爵家に帰するのだ。
さらに言えば後見人である前侯爵に。
もちろん、身勝手な上司であれば、開発の責任や予算を全て部下……この場合はアキラ……におっ被せることもできるだろう。
だが、フィルマン前侯爵はそうはしたくなかった。
アキラから援助の申し出があれば、いつでも手を差し伸べるつもりでいるのである。
しかし、そのアキラが申し出るのは借金だけ。
前侯爵にできるのは、その利子をできる限り低く抑えることだけであった。
「まあ、裏を返せば、時間を掛ければ借金を返済できる自信があるということだろうからな」
『異邦人』であるアキラが自信を持つからには、異世界の技術もしくは文化なのだろうと推測した前侯爵は、その成果に期待していたのである。
* * *
さて、そのアキラは、馬を駆けさせ、昼前には例の湿地にやってきていた。
「これが『い草』か……」
生えている面積を見ると、かなりのものである。
種を採取し、栽培すれば、数年で採算ベースに乗るだろうと思われた。
「そのための予算はなんとかなったしな」
あとは人手である。
幸い、街道工事を行っているため、人手は十分にある。
「明日にでも全員に通達しておくか」
そんな独り言を呟きながら、アキラは馬を『絹屋敷』へと向けたのであった。
* * *
アキラが『絹屋敷』に帰り着いたのは午後1時。
「かなり駆けさせたんだがやっぱりこれが限界だな」
ミチアが用意してくれていた軽食……サンドイッチを食べながらアキラが言った。
「馬より速い交通手段が欲しいな……」
「えっと、『自動車』でしたっけ?」
「そう。だけど、とてもそこまでの余力はないからな」
ハルトヴィヒには工事のための工夫をいろいろと考えてもらっているし、リーゼロッテには薬を調合してもらっている。
どちらも『今』のド・ラマーク領に必要なものだ。
『将来』のことを考えるには、まだ余力がなさすぎた。
「焦らず一歩一歩、行くしかないよな」
「そうですわね、あなた」
その日アキラは夜遅くまで、新しい事業について領民にどう説明するかを考えていたのであった。
* * *
そして翌日。
アキラは領地内のリーダー格を集め、説明を行っていた。
リーダー格とは村長はもちろん、青年団団長、街道工事の監督らである。
「……そういうわけで、この『い草』別名『燈心草』を栽培したい。これを乾燥したもので編んだ『ゴザ』は十分にこの領地の特産になる。それを一昨日、前侯爵閣下に説明し、理解していただいたところだ」
この説明に、リーダーたちの顔が明るくなる。
「そこで、工事監督には、この『い草』の生えている湿地はできる限り荒らさないでもらいたい」
「わかりやした」
「来年以降この『い草』を栽培し、増やしたいから、青年団にはその準備として適した湿地を選定し、木道なり飛び石なりを用意してもらいたい」
「わかりました」
「そして村長、秋以降になると思うが、ゴザを編める者を数名選出してくれ」
「承りました」
皆、アキラが『異邦人』であることを知っているため、その『異世界の知識』が自分たちに利益をもたらしてくれることを期待しての反応だ。
アキラもまた、その期待に応えるべく日夜知恵を絞っているのだった。
(彼らとも、なかなかいい信頼関係を築けたよな……)
領主になったばかりの時は酷かった、とアキラは少し前のことを思い出した。
いきなり領主が変わったことはともかく、アキラが新しい政策を次々に打ち出したため、領民たちは戸惑うことが多かったのだ。
だが、それに気が付いたアキラが、村々を訪れ、懇切丁寧に説明をしたおかげで反発はされずに済んだ。
そして1年後、その政策が成果を上げたのを見て、領民たちはアキラに心服……とまではいかなかったが、信用してくれたのであった。
その信用を裏切らないためにも、アキラは領地をよりよくするために心を砕いているのだ。
(ほんと、ガラじゃないよな)
そんなことを心のなかでぼやいているが、意外と今の状況を楽しんでもいるアキラなのであった。
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次回更新は3月13日(土)10:00の予定です。