第一話 2年後あるいは新たなプロローグ
「旦那様、この箱はどこへ置きましょうか」
「ああ、第2倉庫へ頼む」
「わかりました」
「ああ、今日もいい天気だ」
アキラ・ムラタ・ド・ラマークは汗を拭い、空を見上げた。
ここはド・ラマーク領の中心である領主の家、通称『絹屋敷』である。
「『屋敷』か……」
振り返って我が家を見たアキラは苦笑を浮かべた。どう言い繕っても『屋敷』には見えなかったからだ。
「でもまあ、『館』と言い張ればボロ屋も『館』だよなあ」
アキラがド・ラマーク領の領主になって2年が過ぎていた。
その2年間で、アキラはなんとか領民に認められていた。
「随分と貧しい暮らしだったものなあ……」
建物はぼろぼろだったし、ろくな家具も調度もなく、引っ越した昨年の前半は屋敷内の修理・修繕と統治システムの把握、それに使用人の雇用環境整備にマンパワーを取られていた。
「それでも養蚕は待ってくれないし」
そこでアキラは領主の命令ということで、半ば強引に人手を徴集し、養蚕小屋を建てさせ、桑の葉を集めさせた。
もちろん日当を出して、である。
この方針は当たった。
働けば日当をもらえるということが口コミで広がり、徴集をかけずとも人が集まるようになったのだ。
「完全に赤字だったけどな……」
まだ産業として成り立っていない養蚕を始めるということで、先行投資と割り切ってお金を使ったのである。
その結果、『約束を守る領主』『領民を蔑ろにしない領主』という評判が広がり、統治もやりやすくなったというわけだ。
とはいえ、手持ちの準備金では間に合わず、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵に50万フロン(およそ5000万円)の借金をしてしまったのだった。
「返すのはいつでもいいと言ってくれたけど……そうもいかないよなあ」
1日も早く養蚕を軌道に乗せて利益を出さないといけない。アキラはそう考えていた。
今は5月、桑の若葉が出揃い、蚕の養殖……『春蚕』……4月から育てた蚕がそろそろ繭を作る頃である。
そうなれば繭の採取、乾燥という仕事が待っている。
また、何割かの繭は羽化させ、交尾、そして産卵させることになる。
「なんとかかんとか、去年の後半でとりあえず技術者見習いが育ってくれたからよかったけどな」
引越し後準備を整え、昨年の夏以降、ド・ラマーク地方で養蚕が始まった。
その際、5名ほどの村の若者を雇い、手伝いをさせた結果、指示さえ出せば作業をこなしてくれる程度には手順を覚えてくれたのである。
今年1年従事させれば、自主的に作業をこなしてくれるようになるだろう。なってもらわなければ困る。
アキラはそう考えていた。
「旦那様、今よろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ」
呼ぶ声に応え、アキラは『絹屋敷』へと戻っていった。
アキラに声を掛けたのはかつての代官で、現領主補佐、アルフレッド・モンタン。
真面目な初老の男で、今も実務は事実上彼が取り仕切っている。
『執務室』でアキラはアルフレッドと向き合った。
「で、話というのはなんだい?」
「はい。……前侯爵閣下の領地への道路工事ですが、半月ほどの遅れが出ております」
「うん、原因は?」
「春の雪解けによる、湿地の水量増加です。舗装ではなく、木道のような工事を行わなければなりません」
「そうか……」
ド・ラマーク領は僻地。物流を改善するためには、街道の整備が不可欠だった。
そこでアキラは巨額……とまでは言えないが、かなりの財を投じ、昨年秋から街道整備を行っていたのである。
これが完成すれば、例えば『蔦屋敷』への所要時間が3分の2に短縮でき、馬を使えば1日で往復できるようになる……はずであった。
「木道は耐久性が悪いんじゃないのか?」
「はい。どう長く見積もっても10年は保ちません」
「できれば石で作りたいが……」
「工期と予算、それに人手が足りません」
「そうか……」
アキラは考え込んだ。そして、
「では、木道の基礎……橋脚に当たる部分だけはなんとか石で作れないかな?」
と折衷案を出してみる。
「なるほど、橋桁や橋板なら交換は比較的容易ですからね」
「そういうことだ」
「さらに工期が半月延びますが……なんとかなるでしょう。なんとかしてみます」
「うん、頼むよ」
「承りました」
アルフレッドは一礼すると執務室を出ていった。
アキラはそのまま部屋に残り、机の上に溜まった書類に目を通していく。
「養蚕だけは順調だな……それからハルトヴィヒとリーゼロッテの研究もまずまずか……」
そこへアキラの妻、ミチアがお茶を持って入ってきた。
「あなた、一休みなさったらいかがですか?」
「ああ、ミチアか。いや、今始めたばかりだ。さっきまで、外で蚕室のチェックをしていたところだからね」
「そうでしたの? 何か、気になることでも?」
「うん。ちょっと、あの小屋では風通しが悪いかな。去年は秋から始めたからよかったが、これから夏になると病気が怖いな」
温度と湿度が高いと、蚕は病気になりやすい。
特に夏場の高湿は大敵である。
かつて養蚕が盛んだった山梨県には、『突き上げ屋根』という建築様式が残っている。
農家では主屋の屋根裏を利用して蚕を育てていたが、蚕の育成には日当たりと風通しが重要なため、屋根を改築して大きな窓を設けたのがこの『突き上げ屋根』なのである。
これは、夏が暑い甲府盆地で工夫された建築様式である。
「じゃあ、ダンカンさんに?」
「うん。改造を頼もうと思ってる。具体的には天窓を付けてもらう方向かな」
「またお金が掛かりますね」
「そうなんだよ。だから頭が痛いんだ」
何か、短期的にでも収入を得る方法を考えないと、とアキラは言った。
「『異邦人』として、何か工夫をしないとな……」
そう、アキラは21世紀の日本から『神隠し』でこの世界に『落ちて』きたのだ。
その知識をもって、手っ取り早くお金を得るために何かいい方法はないかと考え込むのであった。
お読みいただきありがとうございます。
20210213 修正
(誤)「さらに工期が半月延びますが……なんとなかるでしょう。
(正)「さらに工期が半月延びますが……なんとかなるでしょう。
(誤)呼ぶ声に応え、アキラは『絹の館』へと戻っていった。
(正)呼ぶ声に応え、アキラは『絹屋敷』へと戻っていった。
(誤)1日も早く養蚕を軌道に載せて利益を出さないといけない。
(正)1日も早く養蚕を軌道に乗せて利益を出さないといけない。
(旧)引っ越した昨年の前半は屋敷内の修理と統治システムの把握
(新)引っ越した昨年の前半は屋敷内の修理・修繕と統治システムの把握
20210214 修正
(誤)アキラはそのまま部屋に残り、机の家に溜まった書類に目を通していく。
(正)アキラはそのまま部屋に残り、机の上に溜まった書類に目を通していく。