第九話 領主入門?
翌日も雨であった。『絹糸のような』細い雨である。
「暖かい雨だな。これで山の雪解けも進むだろう」
部屋の窓から霧雨に煙る遠くの山を眺めながら、アキラが呟いた。
「そうですね、木の芽も膨らんできますね」
「春になればまた忙しくなる……んだが、今年はどうなるやら」
アキラとしては、領主の仕事と養蚕を両立させられる自信がない。
「今年は、養蚕の方はほとんど任せっきりになるだろうな……」
「大丈夫ですよ。アキラさんはそのために技術者を養成してきたんですから」
「そうかな……そうだな」
ミチアに励まされ、アキラは少し気を取り直した。
前年は、ゴドノフ・イワノフ兄弟をはじめとする職人見習いたちも熟練し、今年は十分に任せられるレベルになっていた。
もっとも、思いがけないトラブルに見舞われなければ、だが。
「まあ、その程度なら対処する時間は取れるだろう」
それよりも、領地持ちとなったからには、地域振興にもなることだし、養蚕のための地固めをしっかりやっていかないとな、とアキラは考えている。
ただ問題は、領地経営などやったこともないアキラなので、そちらにどれだけの時間が取られるかまったくわからず、不安に繋がっているのであった。
「それでしたら、ちょうど今日は雨で外出もままなりませんし、大旦那様にお話を伺うというのはどうでしょう?」
「ああ、それいいな。相談してみよう」
ミチアの言う『大旦那様』……フィルマン前侯爵は生まれついての貴族であり領地持ちである。
領地経営の大先輩として、教えを請うのに不足はなかった。
* * *
「そうかそうか」
さっそく前侯爵に相談に行くと、快く時間を取ってもらえた。
侍女時代に取った杵柄、ミチアがお茶を淹れ、3人でテーブルを囲む。
「短時間ですべてを語れるものではないが、アキラ殿は貴族に列せられたばかりで右も左もわからぬ状態だろうからな」
「そうなんです。まったくの手探り状態で……」
「で、あろうな。ふむ、さて、何から話すか……」
フィルマン前侯爵はお茶を一口飲み、考えをまとめるように目を閉じて黙考すること数秒。その後、
「まずは概略を覚えてもらうとするか」
と説明の口火を切った。
「まず、領地持ちの貴族というものは、領民から税を徴収し、またその一部を国に納めることになるわけだ」
「それはなんとなくわかります」
「うむ。……そして領主は領民が税を納めやすいように、領内を管理する義務がある。これは国も同じで、領主の手に負えない事態が起きた場合は、速やかに救援を行うことになる」
具体的な例として前侯爵は、過去に起きた事例を挙げた。
「儂の領地で、盗賊団が横行したことがあった。もちろん儂はすぐに兵を出し盗賊団を捕らえ、民が安心して生活できるようにした。……まあこれが領主の義務だな」
「ええ、わかります」
「それから……これは儂の領地ではないが、疫病が流行ったことがある。この時国王陛下は速やかに治療師の派遣を行われ、周囲への広がりを止められた」
「国は国で、そうやって国民を守ってくれるわけですね」
「そういうことだな」
ここで前侯爵はお茶を一口。アキラとミチアも同様にお茶を飲んだ。
「さて、税を徴収すると一口に言っても、領地によってまちまちだ。税の内容についても、税率についても、な」
ここでミチアが質問を行った。
「あの大旦那様、質問よろしいでしょうか?」
前侯爵は機嫌よく頷き、
「いいとも。……ああ、その前にミチア、もうそなたは男爵夫人になったのだから、儂のことを『大旦那様』と呼んではいかん。……そうだな、『前侯爵閣下』もしくは『フィルマン様』と呼んでもらおうか」
と諭すように言った。
「あ、は、はい、フィルマン様」
「うむ。……それで、何を聞きたいのだ?」
「はい。……国は、それぞれの領主に、どういう基準で税を納めろと指示をするのでしょう?」
「うむ。もっともな質問だな。……領主は税収を国に報告する義務があり、国はその報告を元に各領主に税を課すのだ」
それを聞いて、アキラも質問をする。
「ええと……こんなことを言ってはいけないのかもしれませんが、税収を誤魔化す領主もいるんじゃあ……」
「いるぞ。……残念なことだがな。税収を少なく申告しておけば、差額分は自分のものになる」
「やっぱり……」
日本にいる時に見た時代劇でも、商人が『大福帳』(帳簿)を2通り作り、収入を少なく記入して報告していた、などという場面もあったのだ。
「だが、ばれた場合は厳しい処罰が待っているぞ。不正を始めた年代まで遡っての徴収や罰金、降爵もありうる。最悪の場合は投獄されることも、な」
「でしょうね……」
ここで前侯爵は話題を変える。
「まあ、今から不正帳簿のことなど考えずともよい。それよりもだな、税の扱いについて話してやろう」
「あ、お願いします」
「うむ。その土地によってまちまちだが、小麦・大麦で納めるところが多いな。大きな町を抱えている領地では金で、という場合もある」
「……例えば、将来的に『繭』とか『絹糸』で納める、というのもありでしょうか?」
「ありだろうな」
日本でも、そうした土地があったらしい、とアキラは歴史の時間に習ったような気がしていたのである。
「税の話はこれくらいにして、領主の義務について話してやろう」
「お願いします」
時間も限られているので、前侯爵は話題を変えた。
「一言で言えば『領民を守る』ということになるな」
「わかります」
「だが、そのやり方は千差万別だ。最も多いのは配下からの報告で問題点を知り、対処するやり方だな」
「ああ、わかります」
「うむ。それから領地内の見回りを行って、自分の目で問題点を発見する。また『お忍び』で、領民から直接話を聞いたり、だな」
『お忍び』と聞いて、またもやアキラは時代劇の元副将軍や暴れ者の将軍様を思い出した。
「……アキラ殿の世界では、領主はどのようなことをしてくれたのだ?」
「え? ええと……領主と言うか、国や自治体ですね。義務教育とか、インフラの整備とか、社会福祉制度の充実とか……」
思いつくままに述べていくアキラ。
だが前侯爵には理解できない言葉がいくつか出てきてしまう。
「義務教育……は以前聞いたが、インフラ? 社会福祉? それは何だ?」
アキラは頭を掻いた。
「あ、説明していませんでしたね。インフラは……」
今度はアキラから前侯爵に説明する番であった。
ひととおり聞き終えた前侯爵は深く頷き、
「……うむ、やはりアキラ殿の世界は、こちらとは大きく異なっているな」
と納得したように言った。
「社会の仕組みが違いますから、参考にならない部分も多いかと思います」
「うむ。だが、参考にできる部分は参考にしたいものだ。よりよい国にしていくためにな」
「それは同感です」
「アキラ殿、これまで以上に、こうした話し合いの場を設けたいものだな」
フィルマン前侯爵はそう言ってアキラと握手を交わしたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は12月19日(土)10:00の予定です。
20230619 修正
(誤)「温かい雨だな。これで山の雪解けも進むだろう」
(正)「暖かい雨だな。これで山の雪解けも進むだろう」