第七話 新作茶菓子
アキラがティボーの実家を訪れていたその頃。
ミチアは、といえばセヴリーヌ・ロラ・ド・フォンテンブロー伯爵夫人にいろいろと教えを受けていた。
貴族の妻としてどうあるべきかとか、家の切り盛りとか、近隣の貴族との付き合い方などなど。
とはいえ実際は、ミチアを気にいった夫人がお茶に誘った、と言った方が近いだろう。
もちろんお茶の席で先に述べた心得についてのレクチャーもあったわけだが。
伯爵夫人はふわっとした明るい茶色の髪、鳶色の瞳をした、気さくな女性であった。
「ミチアさん、これからしっかりね」
「はい、ありがとうございます」
「とはいっても、1人で頑張り過ぎては駄目よ。そのための家臣ですし、何より、時々旦那様に甘えることも必要よ」
「は、はい」
「先は長いんだから。急いでもだめ、のんびりし過ぎてもだめ。旦那様と2人で、手を取り合って一緒に歩くことが大事」
「……はい、心得ておきます」
「まあ、一緒に過ごしていた時間が長いということは、お互いのことをよく理解し合うことができているということですから、あとは思いやりが大事ね」
「はい」
「でも、あなた1人が我慢するのはだめよ。ときには言いたいことも言い合ってこその夫婦だからね。どちらかが耐えて成り立つ関係なんて、絶対にだめ」
そんな言葉たちを、ミチアはありがたく受け取ったのであった。
* * *
さて、フォンテンブロー伯爵の屋敷に戻ったアキラは、ティボーの実家の役に立ちそうなレシピはないかと『携通』を検索してみた。
「……やっぱりせんべいかな」
うまくいけば、ここフォンテンブローの名物にもなる。
そうすれば、米や味噌・醤油の生産量も増すことになり、自分にとっても嬉しいことだ、とアキラは考えたのである。
そこでまず、ミチアに相談してみることにした。
2人がお茶会をしていたのは日当たりのよい中庭。
そこへアキラが訪ねていくと、
「ほらミチアさん、男爵様がおいでになったわよ」
とひょうきんに笑うフォンテンブロー伯爵夫人がいた。
「ええと……」
面食らうアキラ。こういうからかわれ方? には慣れていないのだ。
「え、ええと、アキラさん、何か御用ですか?」
「え、あ、ああ、うん。ちょっと相談したいことがあったんだけど……伯爵夫人、失礼しました。出直してきます」
どう考えても、今の自分はお茶会への闖入者だろうと、いくらか客観的に自分を顧みたアキラは踵を返して中庭を去ろうとした。
だが当の伯爵夫人は笑って、
「いいのよ。お茶ももう飲み終えていたし、そろそろお開きにするつもりでしたから。……ほら、さあミチアさん、旦那様のお呼びですわよ」
そう言いながらミチアの背中を押したのだった。
「あ、は、はい」
恐縮しながら中庭を辞すアキラとミチアに、伯爵夫人はにこにこ笑いながら小さく手を振ったのであった。
* * *
「ええと、それで何でしょうか?」
「うん、実は……」
アキラはミチアに、ティボーの実家で入手できる米と醤油を使って『せんべい』を作ってみようとしていること、ここフォンテンブローの名産にもできそうなことなどを説明した。
「それでしたらお手伝いできますね。ただ、厨房をお借りすることになりますので、昼食後がいいと思います」
「あ……そうだな」
時刻は午前11時半。まもなく昼食の時刻であった。
* * *
昼食後、厨房が空いた時間を見計らって、アキラは使わせてもらうことにした。
ミチアが助手である。
「まず、このお米を粉にする」
「はい」
小麦を粉に挽くための石臼を使い、米を粉にする。
ティボーによると『うるち米』らしいので、これは『上新粉』ということになる。
「これに熱湯を注いで練る、と」
「はい」
「で、これを30分くらい蒸すんだな」
『せいろ』がないので、深い鍋の底にざるを入れ、その上に麻布でくるんだ生地をいれて蒸してみた。
「で、これを……」
耳たぶくらいのやわらかさになるまで搗いたりこねたりしていく。
「で、水にさらして熱をとったら、よく練って」
その後せんべいの形にして、本来なら天日に干して乾かす。
……のだが、今回は覗きに来たハルトヴィヒに魔法で乾かしてもらう。
「《デハイドレーション》……なんか面白そうなことをやってるなあ」
「助かったよ。……で、これを弱火で焼く、と。ミチア、頼む」
「はい」
「焼けたら醤油につけて、もう一度軽く焼けばできあがりだ」
20枚ほどができあがった。
「おお、いい匂いだな」
「あら、何かしら、この匂い」
「あー、ハル、いないと思ったらこんなところでアキラたちと何かやってる」
「おお、なんだか嗅いだことのないいい香りがするな」
焼けたせんべいの匂いに誘われ、フィルマン前侯爵やフォンテンブロー伯爵と伯爵夫人、それにリーゼロッテまで厨房にやって来た。
伯爵邸の料理人や侍女たちは言わずもがなだ。
「え、ええと……」
すごい人数になったなあと、少々腰が引けるアキラであるが、ここが踏ん張りどころと、
「……これは俺の世界での茶菓子で『せんべい』といいます。試作なのでどの程度うまくできているかわかりませんが」
と前置きして、毒味を兼ねて1枚口に運んでみる。
焼いてから少しおいたので醤油の水分も全て飛んでおり、パリッという歯ごたえがあった。
そして口に広がる醤油の香り。
「美味い……」
懐かしい味。
生地の出来はお世辞にもいいとはいえなかったが、それなりに『せんべい』といえるものであった。
「まだまだ改良の余地はありますが、とりあえず試食してみてください」
これなら他人様にお出しできるかな、と判断したアキラは、その場に集った全員にせんべいを振る舞った。
20枚ほどあったせんべいはあっという間になくなる。
前侯爵や伯爵、伯爵夫人は1枚ずつ。ミチア、ハルトヴィヒ、リーゼロッテも1枚ずつ。
料理長にも1枚。残る侍女や使用人たちには、割って人数分に分けてもらうしかなかった。
だが。
「おお、これは美味い」
「甘くないお茶菓子……悪くないわね」
「アキラ様、お米と醤油でこんなに美味しいものができるんですね……」
厨房を提供してくれた伯爵、伯爵夫人、料理長らからの評判も上々で、作ったアキラも嬉しくなったのである。
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次回更新は12月5日(土)10:00の予定です。
20201128 修正
(誤)どう考えても、今の自分はお茶系への闖入者だろうと
(正)どう考えても、今の自分はお茶会への闖入者だろうと
(誤)ミチアとティボーが助手である。
(正)ミチアが助手である。
(誤)ミチア、ハルトヴィヒ、リーゼロッテ、ティボーも1枚ずつ。
(正)ミチア、ハルトヴィヒ、リーゼロッテも1枚ずつ。
(誤)「アキラ様、うちの商品でこんなに美味しいものができるんですね……」
(正)「アキラ様、お米と醤油でこんなに美味しいものができるんですね……」
ティボーは実家でした orz
20201203 修正
(旧)評判は上々で、作ったアキラも嬉しくなったのである。
(新)厨房を提供してくれた伯爵、伯爵夫人、料理長らからの評判も上々で、作ったアキラも嬉しくなったのである。