第三十三話 前日
いよいよ、アキラとミチアの結婚式が近づいてきた。
「ああ、明日か……」
朝食を済ませたアキラは、1人王宮の中庭で空を見上げながらしみじみと呟いた。
「この世界に迷い込んで、ミチアと会って、前侯爵にお世話になって、お蚕さんを飼い始めて、ハルトヴィヒやリーゼロッテ、リュシーやミューリ、リリア、リゼット……縁だなあ……」
元の世界にはもう帰れそうもないけれど、こっちの世界でかけがえのない女性、友人、仲間、同僚、上司ができた。
アキラは運命の不思議さを今更ながらに思うのだった。
見上げた青い空には白い雲が浮かび、そこを雲と同じように白い鳥が横切っていった。
「白い鳥……サギかな? 白鳥かな? それとも鶴か……」
そう呟いたアキラだったが、どうやら何かを思いついたようで、急いで王城内の自室へと取って返した。
「ミチア、いるかい?」
「はい、なんでしょう?」
「実は1つ思いついたことがあるんだが……」
「はい」
アキラは空を飛ぶ鳥を見て思いついたことをミチアに説明した。
「え、紙で、ですか? ……ええ、確か……多分、覚えてます」
「そうか。じゃあさ、手の空いた子に手伝ってもらえるかな?」
「そうですね、リリアとミューリなら……声を掛けてみましょうか?」
「うん、頼むよ」
そうしてミチアは侍女仲間2人を呼びに行った。
アキラは、4人いればなんとかなるだろうとほっとしたのだった。
* * *
そして昼過ぎ。
「まあ、綺麗よ、ミチア」
「そ、そう?」
仕立て上がったウエディングドレスの、最後のチェックを行うミチア。
「これなら明日、出席者みんな驚くわ」
「大袈裟よ」
「そんなことないわ……」
仕付け糸を外しながらリゼットが、少し涙ぐんだ声で言った。
「幸せに、なってね」
「うん……ありがとう」
答えたミチアも涙声であった。
* * *
アキラはアキラで、スーツの仕立てを確認していた。
「俺の方は問題ないな。……ああ、ポケットチーフを入れたらどうかな?」
ポケットチーフはスーツの胸ポケットに飾る装飾品であり、実用的なものではない。
「絹のポケットチーフ……需要が増えれば、産業振興になるしな」
絹でなくても、カラフルなポケットチーフを入れる習慣ができることで、織物産業が潤うだろうとアキラは考えたのである。
「白いスーツに合う色か……」
白に白では装飾品の意味がない。赤では派手すぎる。紫は王家の色なので恐れ多い。
「ここは、青にするかな」
青いハンカチはまだ在庫があったはずなので、それを1つ使わせてもらうことにした。
「こんなものかな」
適当な形に折り、胸ポケットに入れて鏡で確認していると、ハルトヴィヒがやって来た。
「アキラ、何をしているんだい?」
「ああ、ハルトか。……これ、どうだ?」
アキラはハルトヴィヒにポケットチーフの装飾効果を確認して貰った。
「うん? ……ほうほう、なかなかオシャレじゃないか」
「こういうのって、別にマナー違反じゃないよな?」
これもまた気になった点だ。
が、考えてみるとこのデザインのスーツで結婚式に臨むのはアキラで2人目。前例らしい前例がないのだから、マナー違反もなにもないわけである。
「流行るかもな」
ハルトヴィヒもまた、そう言ったのであった。
* * *
「あのミチアが、嫁に行く、か……」
午後の空の下、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵は1人呟いた。
ここは王都郊外にある共同墓地。
その中にある、小さな無名の墓石に、ワインを掛けながら、
「ルシアン、お前の孫娘は、立派に成人したぞ。明日、私が見込んだ男に嫁いでいく」
と小さな声で報告していた。
ここに葬られているのはミチアの実の両親と祖父母。
祖父であるルシアン・フィシャー・ド・ラマーク伯爵はフィルマン前侯爵の親友であった。
謀反の嫌疑をかけられ、処刑されたので、このような共同墓地に葬られているのだ。
それを知っているのは前侯爵だけで、ミチアさえ知らないのである。
前侯爵がド・ラマーク伯爵と親友だったことは公に知られていることなので、こうして彼が墓参りすることはおかしなことではないが、ド・フォーレの娘ということになっているミチアが参るのはおかしいからだ。
「お前との約束、果たせたと思うぞ……」
女児ということで唯一人処刑を免れたミチアは、前侯爵の侍女として育った。
前侯爵はミチアを侍女として扱う傍ら、様々な教養も身に着けさせた。そう、貴族としても恥ずかしくないほどの。
それが今、実を結ぶ。
「明日、公にはできないが、ド・ラマーク家は再興される」
ミチアを妻にしたアキラは、『アキラ・ムラタ・ド・ラマーク男爵』となり、その時点でミチアは『ミチア・エノテラ・ド・ラマーク男爵夫人』となるのだ。
その時点でド・ラマーク家は再興されたことになる。
公には全く血の繋がりがないことになっている。『ド・ラマーク』というのは領地の名称なのだ。
かつてのド・ラマーク家の血が辛うじて続くことになったのを知っているのは当の2人と前侯爵だけであった。
* * *
「いよいよ明日、か……」
「明日ですね」
王城のベランダで、星空を眺めながらアキラが呟き、ミチアが和した。
「アキラさん、後悔してませんか?」
「してない。嬉しい」
変な緊張の仕方をしているアキラは、返答もおかしな口調になっていた。
翌日の式を思うと、否が応でも緊張してしまうのである。
元日本人の一般庶民であるから致し方ない。
「私も、嬉しいです。……今、とっても幸せです」
肩を寄せ合う2人を、満天の星が見つめていたのだった。
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