第七話 大浴場にて
昨年とは異なり、今回は1泊しただけでモントーバンの町を発った。
次はド・ロアール伯爵領に入り、プロヴァンスの町となる。
そこには領主のバスチアン・バジル・ド・ロアール伯爵がおり、彼はフィルマン前侯爵の子息の友人なのである。
「閣下、ようこそお出でくださいました」
「うむ、今回も世話になる」
武官肌のバスチアン伯爵は、今回もフィルマン前侯爵を自ら出迎えていた。
そして一行はバスチアン・バジル・ド・ロアール伯爵邸へと案内されたのである。
* * *
与えられた部屋の窓から夕焼け空を見上げながらアキラが呟いた。
「前回到着した時は雨に降られたが、今回は晴れだな」
「そうでしたね」
同室のミチアが相槌を打つ。
ミチアと雑談を交わしながら、アキラは部屋で寛いでいた。
そしてもう一つ、アキラが楽しみにしていたこと。
「……お風呂、楽しみですね?」
ニヤニヤするアキラの横顔を見上げ、その心を読んだのか、ミチアが見事に言い当てた。
「よくわかったな」
「だって、アキラさんはお風呂大好きですものね」
「そうなんだけどさ」
前回ここ……領主バスチアン・バジル・ド・ロアール伯爵邸に泊まった際、お湯が溢れる大浴場に感激した記憶が鮮明に蘇ってくる。
それこそ、現代日本にある温泉地の大浴場と比べても遜色のない大きさであったのだ。
いや、総大理石作りで、そこかしこに装飾彫刻がちりばめられた浴室は豪華そのものであった。
そして、さっそく入浴するアキラ。もちろん男性用の浴室だ。
「ああ、いいお湯だ」
「うーん、これだけ広いとのびのびするな」
今入浴しているのはアキラとハルトヴィヒの2人。
浴槽は10人入ってもまだ余裕があるほどの大きさなので、がらがらだ。
「泳げるな」
とアキラが言えば、ハルトヴィヒは感心した。
「へえ、アキラは泳げるのかい」
「まあな」
「僕も故郷の湖ではよく泳いだっけなあ」
どうやらハルトヴィヒも泳げるようだった。
「だけど風呂で泳ぐのはマナー違反だからな」
「そうだろうね」
ここは温泉旅館ではなく伯爵邸の浴室であるからなおさらである。
アキラとハルトヴィヒは互いに戒め合った。
「話は変わるけど、このお湯って魔法道具でお湯を沸かしているんだってなあ」
「うん。一流の魔法技術者が作った湯沸かし器だそうだよ。あとでよく見せてもらおうと思っているんだ」
「ほどほどにな」
そんな会話を交わしながら、のんびりと旅の疲れを癒やす2人であった。
* * *
一方、女性用の浴室では、ミチア、リュシル、リゼット、リリア、ミューリ、そしてリーゼロッテが入浴していた。
「……いいんでしょうか、あたしたちが先に入って……」
リュシルは侍女が先に入浴することを気にしている。
「いいのよ。今回は侍女というより、アキラの『チーム』の技術者という扱いなんだから!」
リーゼロッテがそれを宥めていた。
そう、ミチアは『シルクマスター』であるアキラの婚約者であり相談役として。
リュシルは絵付け担当として。
リゼットはお針子頭として。
リリアは看護師として。
ミューリは栽培指導員として、それぞれこの旅に参加しているのであり、侍女は兼業という建前であった。
「アキラさんの世界では男女同権とか、男女平等とか、身分の差がないとか、いろいろ信じられないような制度があるんですよ……」
さすがのミチアも、『知識』として知っているだけで、『理解』したわけではなかったので、そこがどんな世界なのかは想像すらできなかった。
「それでアキラさんはこの世界で、女性の社会的地位をもう少し向上させたいとも仰ってました」
「ああ、それで技術を磨いてほしいと言ってたのね」
ミチアの言葉に納得したらしいリーゼロッテが頷いた。
「ええ。絹産業には女性の職人や技術者が大勢必要らしいですから」
ミチアが説明した。
「そっかー、それじゃあ王都でも頑張んなきゃね!」
リゼットが気炎を揚げた。
……蛇足だが、女性職人のことをミチアに説明した際にアキラの頭の中に浮かんでいたのは明治から昭和にかけて信州や飛騨地方で苦労した女工の話である。
あんな苦労は絶対させたくない、と密かに決意していたアキラなのであった。
* * *
「ああ、いいお湯だった」
湯上がりの火照った身体を、窓からの風で冷ますアキラ。
「湯冷めして風邪を引かないでくださいね?」
と言いながらも、自分もアキラの隣に寄り添って風に当たるミチア。
「アキラさん、頑張りましょうね」
唐突にそんなセリフを口にしたミチアに、アキラは少し驚いた。
「え、どうしたんだ?」
「いえ、ふふ、『絹産業』を振興させて、大勢の人々の幸せに繋げたいなと思いまして」
「ああ、そうだな。桑の栽培、お蚕さんの飼育、製糸、紡績、機織り、仕立て、デザイン……たくさんの専門家と雇用が生まれるぞ」
今までになかった産業を立ち上げるということはそういうことだ。
「……ド・ラマーク家も再興できたらいいな」
「アキラさん、それは……」
ド・ラマーク家は、ミチアが最後の1人である。
アキラが貴族に列せられ、ド・ラマーク領を継ぎ、ミチアを娶り、子供が生まれれば……。
「……ありがとうございます」
この世界の常として、『家』『血筋』の存続に対する想いは大きい。
ミチアはそれを察してくれたアキラに、改めて感謝の念を抱いたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は3月14日(土)10:00の予定です。
20200307 修正
(誤)そう、ミチアは『シクルマスター』であるアキラの婚約者であり相談役として。
(正)そう、ミチアは『シルクマスター』であるアキラの婚約者であり相談役として。
orz
20210923 修正
(旧) ……蛇足だが、女性職人のことをミチアに説明した際にアキラの頭の中に浮かんでいたのは明治時代に信州や飛騨地方で苦労した女工の話である。
(新) ……蛇足だが、女性職人のことをミチアに説明した際にアキラの頭の中に浮かんでいたのは明治から昭和にかけて信州や飛騨地方で苦労した女工の話である。