第十七話 春近し
雪が降り、景色が白一色になったかと思うと、日差しがその白を溶かして針葉樹の深緑が顔を覗かせる。
そしてまた世界は白くなり……。
そんな繰り返しが幾度となく行われているうちに、庭の片隅、日だまりに待雪草の白い花が1輪咲き始めた。
「ああ、この花が咲くと、少しだけ春が近づいたなと思います」
屈み込んで待雪草を見つめるミチア。
傍にいるのは同僚のミューリ。
「あたしもこの花、好き。……あと1月もすれば、もっといろいろな花が咲き出すわ」
ミチアは頷いた。
「そうね。そしてもう1ヵ月で花咲く春が……」
「ふふ、ミチアの春も早く来るといいわね」
「…………? ………………!!!!」
ミューリの言葉の意味を時間差で理解して真っ赤になるミチア。
「あら、このあたりの雪だけ溶けそうね」
「……ミューリ!」
「あははー」
晴れた朝の、そんな一時。
* * *
また別の日。
鉛色の空から、ほとほとと雪が落ちてくる。
「牡丹雪だな……」
曇った窓ガラスを掌で擦りながらアキラが呟いた。
「ぼたんゆき? ぼたんって何よ?」
アキラの呟きを聞きとがめたリーゼロッテが尋ねる。
「え? ああ、花の名前だよ」
そういえばこっちには牡丹ってないのかな、とアキラは思った。
それで、『携通』に牡丹の花の画像データがないか探してみると、小さな画像が1つ見つかったのでリーゼロッテに見せてみる。
「ああ、『ピオニー』に似てるわね」
「ピオニー?」
「ええ。春になると伸びてきて、晩春に花を付けるのよ」
「ふうん……」
そうすると木じゃなくて草だな、とアキラは思った。
(牡丹に似ていて、草の花があったよな……なんだったっけ?)
それで『携通』で検索してみると。
「ああ、『芍薬』だ」
「しゃくやく?」
「そう。こういう花」
これも小さな画像であったが、『携通』に表示させてリーゼロッテに見せるアキラであった。
「ああ、確かにピオニーね」
得心がいったらしいリーゼロッテ。
「……あれ、何の話だったかしら?」
「ええと……そう、牡丹雪だ。牡丹の花びらのようにふわっとして大きな雪だから牡丹雪だってさ」
これまた『携通』を見ながら答えるアキラ。
牡丹雪がほとほとと降る昼下がりであった。
* * *
「うーん、『白金族元素』か……」
ハルトヴィヒは1人工房に籠もって、実験を繰り返していた。
「確かに硬いよな……《フォルメン》でも加工しづらいくらいだから」
精密天秤用の分銅を作るため、『イリドスミン』を使う予定なのだが、どう加工するかで悩んでいたのである。
「分銅の形を作るのはいいけど、微妙な重さの調整は……削るしかないよなあ」
プラス誤差で分銅を作り、少しずつ削って所定の重さにし、表面を《フォルメン》で滑らかにする、という手順を考えているのだ。
それで予行演習として、リーゼロッテから譲り受けた『イリドスミン』でいろいろ試しているのだった。
しかし、削るにしても金属用ヤスリでやっとという有様。
「時間が掛かりそうだな……」
そこにリーゼロッテがやってくる。
「ハル、どんな具合?」
「ああ、リーゼか。なかなか手強いな。加工しづらいよ」
「ハルがそう言うなんて、やっぱり硬いのね」
「ああ。でも、これを利用できるようになれば、人類にとって大きな利益になるだろう」
その大袈裟な言い方がおかしくて、リーゼロッテはくすくすと笑った。
「フフ、『人類にとって』ね。壮大な話ね」
言った当のハルトヴィヒも赤面する。
「あ、いや、言葉の綾というか……」
「いいのよ。アキラの話によると、『白金族元素』は金属としての用途の他に……んーと、なんだっけ……そう、『しょくばい』としても役立つそうだから」
「そうだったな……寒くないか?」
外は雪が降っている。ハルトヴィヒはリーゼロッテの身体を気遣った。
「あら、ありがとう。大丈夫、寒くないわよ。あなたこそ、風邪を引かないようにしなさいな」
「そうだな。人のことを気にして、自分が風邪を引いたら間抜けだもんな」
「ほんとよ」
雪の降る夕暮れだったが、ハルトヴィヒの工房内は暖かだった。
* * *
「実に有意義な1年間だったな」
「そうね。これで王都に帰って、陛下に胸を張ってご報告できるわね」
王都から派遣された技術者たちも、雪降る日ということでのんびり語り合っていた。
「ちょっとだけ、ここに留まりたい気もしているよ」
「ああ、俺もだ」
「私も」
「アキラ殿の知識はまだまだ尽きないだろうからなあ」
「『異邦人』という人物は、皆ああなのだろうか?」
「時と場合によっては、武人だったこともあると聞いたぞ」
「なるほど。どのような人物がやって来るかはわからないということなのだな」
「いずれにせよ、もうすぐ春が来る。そうなったら王都に帰らねばな」
「もし希望を出せるなら、またここに来たいわ」
「ああ、同感だ」
* * *
「よく降るな」
窓の外に降りしきる雪を見ながら、『蔦屋敷』の主、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵は呟いた。
「はい。ですが、アキラ殿の故郷世界では、雪の多い年は豊作、という言い伝えがあるそうです」
家宰のセヴランが答えた。
「ほう、それは嬉しい内容だな。今年も豊作であれば言うことなしだ」
その時、雪がやみ、雲の切れ間から一筋の光が差した。
蔦屋敷のあるリオン地方に、春は少しずつ近づいてきているようであった。
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次回更新は1月25日(土)10:00の予定です。