第十五話 天秤ばかり
分銅ができあがったので、いよいよハルトヴィヒは天秤本体の製作に取り掛かった。
天秤は、左右の腕の先に皿を下げ、片方の皿に載せた物の重さ(質量)と釣り合うように、反対側の皿に分銅を載せて重さを量る。
つまり、左右のモーメント(=質量と腕の長さの積)を比較するわけだ。
「……質量の差がモーメントの差になるなら、腕が長いほど、わずかな質量差も増幅されることになるな」
1グラムの誤差があったとして、腕の長さが0.2メートルならモーメントは0.2グラムメートル。1メートルなら1グラムメートル。
「……その差がはっきり現れるわけだ」
ハルトヴィヒはさらに考える。
「腕木を支える部分の摩擦が小さいほど、腕は軽く動くわけだから……」
軸受け部分を工夫しようという考えに行き着くわけである。
「焼きを入れた鋼の刃の上に腕木を載せるか」
摩擦を減らすため、接触面積が小さいほど感度がよくなるだろうという考えだ。
高級な機械式腕時計の軸受け部に、サファイアやルビー(モース硬度9)を使っているのも同じ思想からだ。
だが同時に、皿に載せた測定物や分銅の重さがモーメントに影響を与えるということは、腕木の重さは小さいほどいいということでもある。
「長ければ、それだけ丈夫に作らなければならなくなるから重くなる。従って、強度と重さと長さのバランスが大事だな」
腕木が長すぎると、たわんだり折れたりしないように、太くする必要が出てきて、その結果重くなってしまうわけだ。
ハルトヴィヒの真骨頂は、こうした、製作に必要な要素を見つけ出し、検討するセンスである。
「剛性は高い方がいいな。だが、腕木と皿の重さは軽い方がいい」
理想の腕木の重さは0である。逆に、腕木の重さが大きすぎると、0.1グラムを量ることはできなくなる。
100グラムを量るための秤の腕木が1キロもあったのでは使いづらいだろうとハルトヴィヒは考えたのだ。
「左右長は……50センチでいってみるか」
測る物は主に絹糸であり、上限が100グラムということなので、試作品は全幅50センチと決めた。
「構造は……『とらす』といったっけ。あれを使おう」
『携通』にあった、構造力学の初歩。
『トラス』とは、三角形の構造物を繋いで作る方式である。
この場合、構造物を歪ませようとする外力に対し、部材には引っ張りもしくは圧縮の力が掛かるのみで、曲げる力は掛からない。ゆえに部材を細くすることができる。
さらに、引っ張り力だけで外力に抵抗できるように構造を工夫すれば、針金のような細い部材でも構成できることになる。
もちろん、想定外の方向から外力が加わる場合を除く。
このとき、部材の結合部(三角形の頂点部分)はピンなどで止め、可動部としておく。
余談だが、トラスに対して、部材の結合部を外力で歪まないようしっかりと固定する構造を『ラーメン』という。
ドーム状建築によく使われるのがトラス構造で、東京都のお茶の水橋はラーメン構造である。
* * *
ハルトヴィヒは、持ち前の直観とアキラからの知識で、トラス構造を用いた腕木を作り上げた。
軸受け部は焼きを入れた鋼材を使い、摩擦を軽減している。
「おお、これがそうか!」
天秤ばかりを見せられたアキラは、大喜びだった。
欲を言えば『上皿天秤』、つまり皿の上に何もないタイプが欲しかったが、どういう構造になっているのかわからなかったので、ないものねだりだとわかっていたのだ。
「1号機としてはいいものができたと思うよ」
「うんうん、ありがとう」
絹糸の太さを『デニール』で表そうと考えただけなのに、随分と大ごとになったなあとアキラは内心で苦笑していた。
とはいえ、この精密な天秤があれば、9000メートルではなく900メートル、あるいは90メートルの重さを量ってデニールの値を決めることができるわけで、大いに助かることになるのだ。
* * *
「ふうむ、これは王家に献上する必要があるな。ご苦労だが、もう1台作ってもらわねばならん」
精密天秤を見たフィルマン前侯爵はハルトヴィヒにそう言った。
「わかりました」
一度作っているので、2台目以降を作る時間はずっと短くなる。構造に悩む時間がなくなったからだ。
おまけに、前侯爵からの明確な指示であり、王家に献上するものなので、より質のいい材料も使える。
ハルトヴィヒはこの機会に、精密天秤の改良版を作ろうと考えた。
「分銅も、金だと軟らかいから使っているうちに減っていく可能性があるんだよな」
そういう理由で、前回作った分銅は『グラム原器』のような扱いをすることにした。
つまり、別の金属で分銅を作り、その校正にのみ金の分銅を使う、という考え方である。
分銅を摘むピンセットも、先端にゴムを塗布し、軟らかい金の分銅に傷を付けないよう工夫した。
「ハル、楽しそうね」
喜々としてそうした作業を進めているハルトヴィヒを見て、リーゼロッテは少し羨ましそうに言った。
「そうそう、リーゼにも頼みがあるんだ」
「あら、なにかしら?」
「錆びにくい金属ってなんだろう? あるいは、金属を錆びなくさせるにはどうしたらいいだろう?」
「うーんと、それって、分銅につかうのよね?」
「そうだ」
「なかなか難しい話ね……」
ハルトヴィヒの相談内容に、リーゼロッテは少なからず悩んだ。
一応、この世界には水銀を使った『めっき』はある。
液体金属である水銀は、金などの貴金属も溶かしてしまうのだが(これをアマルガムという)、それを対象物に塗りつけ、加熱すると水銀だけが蒸発し、溶けていた金などの貴金属が残る。これがめっきである。
ちなみに、金が溶けてなくなったように見えるから『滅金』、それが転じて『めっき』になったという説がある。ゆえに『めっき』は日本語である。
だがこの『アマルガム』法は、有毒の水銀蒸気が発生するので、それを吸入すると水銀中毒になるというリスクがある。
過去の日本でも、東大寺の大仏に金めっき(鍍金とも言った)した際、付近が水銀で汚染され、中毒患者も大勢出たであろうと言われている。
「めっきねえ……」
金めっきをすれば錆は防げるが、めっきされた金は軟らかいので、扱っているうちに磨り減るだろうとリーゼロッテは考えた。
「結局、硬い金属をめっきすることになるし、それなら最初からその金属で作ってしまう手もあるわよねえ」
「それもそうか」
「硬い金属で錆びないといったら、ほら、あれよ」
「偽銀か……」
偽銀というのは、砂金を採取する際にまれに見つかる銀色の粒である。
これは、軟らかいものもあるが総じて硬く重く、加工ができない。また炉に入れても溶けないという、使いものにならない金属であった。
* * *
「それって……聞いたことがあるぞ」
ハルトヴィヒとリーゼロッテが相談すると、アキラは何か思いだしたようで、『携通』を検索し始めた。
「あった。これだ!」
アキラは『携通』の画面を、2人に見せたのである。
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