第十三話 デニールの話
ドレス作りの打ち合わせが一段落したあと、『離れ』で雑談中にアキラは提案をしていた。
「ストッキング……ですか?」
「そう。是非作りたいんだ」
やはりアキラは、絹の靴下は外せない、と思っている。
「そっちは『携通』に画像があっただろう?」
「ええ、ありました」
ミチアが答えた。
「でも、同じものを作れるかどうか……」
アキラの足下を見ながらミチアは答える。
別に、足下を見るといってもアキラの弱みにつけ込もうというのではない。履いている靴下に目をやったのだ。
アキラが履いている靴下は、ナイロンとアクリル、綿の混紡。メンズ用のグレーのソックスだ。
この世界に迷い込んだ時から履いており、さすがにそろそろ穴が空きそうである。
「これだけ細かい編み目は人の手じゃ無理かなあ……」
アキラも、ミチアの視線の意味を悟って答えた。
「アキラさんのシャツだって再現できませんよ」
下着として着ているTシャツもまた綿のメリヤスである。これも、この世界にはないものであり、当初からアキラの世話をしているミチアにはお馴染みの生地であった。
洗濯するため、初めて手にした時の衝撃はまだ鮮明に覚えているミチアであった。
ちなみに下穿きはブリーフではなく綿のトランクスなので、他の衣類に比べたら驚きは少なかったミチアである。
「俺の国では『足袋』というものもあったな」
「たび、ですか? ……ああ。あの二本指の靴下ですね?」
「……まあ、そうだな」
草履や下駄など、『鼻緒』のある履き物は、足の第1指と2指(親指と人差し指)の間にその鼻緒を挟む必要があるため、指の股がある靴下が必須なのだ。
もちろん高級品は絹製もある。
だが、足袋をこっちの世界に普及させるにはいろいろ問題があった。
「毛糸の靴下を編める人は多いですが、もっとずっと細い絹糸で編める人がいるのかどうか……」
ミチアも難しい顔をしている。
「それでも、これを見るとエリザベス女王の時代に手編みのメリヤスがあったらしいからな……」
画像はないが、服飾の歴史の1つとして資料があったのだ。
それによると、編機は手編みメリヤスが栄えていたエリザベス女王時代、1589年にイギリスの牧師であるウイリアム・リーが発明したとある。
「ううん……そうだなあ……」
それまで黙っていたハルトヴィヒが口を開いた。
「最初だけでも、手編みのやり方を見せてもらえれば、何か思いつくかもしれないがな……」
やり方をまるで知らないのに編み機を作るのは不可能だから、と言った。
それを聞いてアキラは、まずは手編みから進めていこうと提案する。
「それはもっともだな。……ちょうど今は農閑期だから、編み物のうまい人を1ヵ月か2ヵ月、臨時に雇い入れられないか聞いてみよう」
「ええ、それがいいでしょうね」
ミチアもそれに賛成してくれた。
* * *
「なるほど、職人捜しか」
「はい」
さっそくアキラはフィルマン前侯爵に『編み物の上手い職人』の話をしていた。
さすがに『蔦屋敷』の奉公人にも、そういう人材はいなかったのである。
「できれば2人、春まで雇いたいんです」
その結果次第では、引き続き……ということもあり得る、とまでアキラは話した。
「うむ、いいだろう」
絹のストッキングの素晴らしさを先日聞かされていた前侯爵は二つ返事で承認したのだった。
* * *
「さて、編み物職人が見つかるまで、糸を作るぞ」
アキラは宣言した。
そこに、ミチアが質問を投げかけた。
「アキラさん、糸の太さの単位で『デニール』ってありますよね?」
「あるな」
「あれって、どういうこと……といいますか、どうして直接の太さで表さないんですか?」
『デニール』とは、糸の太さを表す単位である。
『キログラム毎メートルの900万分の1』であるが、わかりにくいため端的に言うと、『9000メートルあたりの質量』がデニールという単位の定義になる。
例えば、9000メートルで100グラムなら100デニールということだ。
「理由までは『携通』になかったんですよね」
そんなミチアに、アキラは言う。
「俺も詳しくは知らないけど、糸の太さを直接測るのが困難だから、長さあたりの重さで表すという話は聞いたことがあるな」
0.何ミリという太さであり、針金と違って軟らかいので測定器で挟むと潰れてしまうため、正確な太さ(直径)の測定が非常に困難だと言う理由でこういう表記になったらしい、とアキラは説明した。
「確かに頷けますね……」
「まあ、単位というものは慣れだから、使っていれば直感的にわかるようになるよ」
そう言いながら、アキラはストッキングやタイツの『デニール表示』がいまだに訳がわからないでいる自分を棚に上げていた。
「それにしても、1万メートルじゃなくて9000メートルってどこから来たんでしょう?」
ミチアの素朴な疑問。だがアキラも、明確な答えは持ち合わせていない。
「さあなあ……ただ、布の長さに『ヤード』を使うことが多くて、1ヤードは3フィートで約91.4センチなんだ。そのあたりからじゃないのかな?」
「1万ヤードってことですか……」
「今となっては調べようもないけどな」
だからヤードはやめておくにしても、デニールは使っておいた方がいいだろうとアキラは言った。
「一度決めたら変更するのは大変だからな」
ミチアは頷いた。
「そうですね。布の長さ、幅、糸の長さなんかはメートルで決めていればいいですからね」
糸の太さというより規格、というように捉えておけば混乱もしにくいだろうとアキラは言った。
「で、話を戻すけど、ストッキング用の糸を紡がないといけないと思っているんだ」
「そうですよね」
「ちょうどいい機会だから、一巻きが900メートルになるように糸を巻いていこうかと思ってる」
その時の糸の重さを量って10倍すればデニールになるからだ。
「そうしますと、精密な秤が欲しいですね」
「だな。それこそハルトヴィヒに相談してみよう」
* * *
「なるほど、精密な秤か」
「できれば0.1グラムまで量れるといいんだが。あ、最大値は100グラムでいいと思う」
「そうすると天秤か……わかった。やってみよう」
ハルトヴィヒは精密な天秤秤を作るべく、構想を練るのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は12月14日(土)10:00の予定です。
20200120 修正
(誤)「だな。それことハルトヴィヒに相談してみよう」
(正)「だな。それこそハルトヴィヒに相談してみよう」