第二話 養成開始
ハルトヴィヒが仲間になった翌日、アキラはフィルマン前侯爵から呼び出しを受けた。
「アキラ殿、前々から話をしていた、『スタッフ』が今日、やってくるぞ」
「そうですか!」
スタッフ、というのはすなわちアキラの部下になる人々である(ハルトヴィヒは部下ではなく協力者)。
農家の2男坊・3男坊といった、家を離れて独立せざるを得ない立場の者から、厳選してくれたという。
「新しい仕事に意欲のある者を選んだそうだぞ」
もちろんフィルマン前侯爵が自ら選ぶはずもなく、有能な家宰であるセヴランの仕事だそうだ。
さらに口が堅く信頼できる者、という条件もあったので、人選には苦労したという。
「農閑期になった今が引き抜きのチャンスなのだよ」
とはフィルマン前侯爵の言葉。どこの世界でも、冬は農閑期となるらしい。
(いずれ、農閑期にもできる産業を作っていきたいものだな……)
そんなことも思うアキラであった。
だが、まずは目の前の仕事である。
昼過ぎに、5人の若者がやってきたのだ。
皆近隣の村の出で、顔見知りらしい。
彼等の名は、ゴドノフ、イワノフ、モーリス、カドモス、レレイアと言った。
ゴドノフとイワノフは兄弟で、ゴドノフが兄とのこと。またモーリス、カドモス、レレイアはゴドノフ・イワノフ兄弟の隣村出身で、レレイアは女性だ。
「みんな、よく来てくれた。俺はアキラだ。みんなの雇い主……になるのかな」
実際にお金を出すのはフィルマン前侯爵だが、と心の中で付け加えておくアキラ。
年齢を聞いてみると、ゴドノフが19歳で一番年長。レレイアが16歳で一番年少。あとの3人は18歳で同い年であった。
その他にも少し話をしてみる。
少しだけ訛りがあるが、5人とも素直な性格らしいことがわかった。
とはいえ人生経験が短いアキラの印象だから、どこまで当たっているかはわからないが。
「とりあえずは年長ということでゴドノフに5人のまとめ役をやってもらおう」
「わかりやした、アキラの旦那」
「だ、旦那!?」
「ええ、雇い主だから旦那でがしょう?」
「旦那は止めてほしいなあ……」
「じゃあ、アキラ様、で」
弟のイワノフが言う。アキラは頷いた。
「……まあそれでいい。じゃあ、仕事についてだが……」
アキラは簡単な説明をした。
「『高級な布を作るために』『布の原料となる糸を吐く虫を飼う』わけだ。これは、多分この国でも初めての試みになる。だから当分は絶対秘密だ。辞めるなら今のうちだぞ」
そう言って5人の顔を見回してみるアキラ。そうして一人一人の目を覗き込んでいく。
だが、誰も目を逸らさない。やる気は十分なようだ。
「よし。それじゃあ、詳しい話をしよう」
当面の目標は絹糸を紡ぐことだ。そのために必要なことは、既にまとめてある。
アキラは第一段階として、蚕を飼う、ということについて説明していった。
「……はあ、確かに虫の中には糸を出すやつがおりやすね」
「そういう虫を飼って糸を集めるってことでがすね」
「そりゃ確かに初めての試みだあね」
皆、興味津々といった様子だった。
「俺としては、最終的にはこれを世界的に広めたいと思っているんだ。……何十年か先のことになるだろうが、な」
「はあ、すごいでがすねえ」
ゴドノフがわかっていないような相槌を打ったものだから、アキラはにやりと笑って告げた。
「他人事じゃないぞ。お前たちは、この国一番の専門家になってもらうつもりなんだから」
それを聞いて5人は慌て出した。
「お、オラたちが!?」
「俺たちが専門家に?」
「あたしたちにできるんでしょうか……?」
そんな5人にアキラはぴしりと言い放つ。
「できるとも。まずはきちんと作業を覚えてほしい。覚えてもらったら、来年には君たちが後輩を指導することになるんだからな」
* * *
「……うああ、疲れたあ……」
「ふふ、お疲れ様です、アキラさん」
『離れ』でぐったりとソファにもたれるアキラを労い、ミチアがお茶を差し出した。
「ああ、ありがとう、ミチア。……君の言うとおりにやったけど、あれでよかったのかな?」
「ええ、とっても格好良かったですよ」
「そうか? ……いやいや、それよりもミチアの方が凄いよ……」
実は、5人を前にしてアキラの振る舞いや喋ったセリフはミチアからの演技指導によるものだったのだ。
アキラ自身、人を使ったことなどなく、自信がないとぼやいたためミチアからの助言となったのであった。
「いいえ、昔ちょっと聞きかじっただけですから」
謙遜するミチアであるが、聞きかじっただけであのような人心を掴む台詞回しを考えられるはずはない、とアキラは思っている。
だが、なんとはなしにミチアはそれを隠したがっているような気がしたので、それ以上の追究はやめたのだった。
「お、アキラ、ここにいたのか」
そこへハルトヴィヒがやってきた。
「やあ、ハルト。今日、蚕を飼うために5人を雇ったんだ」
「お、そうか。こっちも用意できたぞ」
「そ、そうか! 早いな!!」
「僕を誰だと思ってるんだ。こんなていどの魔法道具なんて簡単さ」
「じゃあ、さっそく明日から開始しよう」
「楽しみだな!」
そんな2人の会話に、おずおずとミチアが割って入った。
「あ、あの、アキラさん、開始って、何をなさるんですか?」
「ああ、ごめん、ミチア。ハルトには、『エアコン』を作ってもらっていたんだよ」
「えあこん? ですか?」
そうアキラは、優秀な『魔法技師』であるハルトに、一年中蚕を飼えるようにするための『エアコン』、つまり空調の魔法道具作りを依頼していたのである。
暖房用の魔法道具、というものは既に存在する。
だがアキラがほしかったのは、温度と湿度を同時に管理できるエアーコンディショナー、『エアコン』なのだ。
天才的な魔法技師であるハルトヴィヒは、アキラから『エアコン』が何をするものか、ということを聞いただけで、僅か1日でそれを作り上げてしまったのである。
3つに増えた『蚕小屋』の1つにそれを設置して、起動してみるアキラとハルト。
温度計も湿度計もないので、体感で調節していくことおよそ2時間。
内部の温度は、蚕を飼う上で最適とされている25℃、湿度70パーセントくらいになった……と思われた。
(温度計や湿度計は今後の課題だな……)
心のメモに明記したアキラであった。
「まずは20匹くらいを孵化させてみるか」
夏の間に桑の葉をたっぷりと採集してあるとはいえ、何万匹も飼えるほどではない。それは桑畑を増やしてからになる。
まずは新たな仲間に蚕を飼うということを知ってもらわなければならない。
アキラは『魔法式保存庫』から、貯蔵してある蚕の卵を20個取り出した。
『休眠卵』は黒いのですぐにそれとわかる。だいたいにおいて、秋に産んだ卵はほぼ全部が休眠卵になる。
これは、気温と日照時間からそうなるらしい。つまり、気温が下がり、昼の時間が短くなることで蚕は来たる冬を感じ取って休眠卵を産むわけだ。
これは冬を越すことで孵化するのだが、その性質を利用して、冷蔵庫などで寒さに当ててから暖かい室内に出してやることでもっと早くに孵化するようになるのだ。
産業的にはより確実性を増すために、低温に当てたあと希塩酸に浸し、浸酸処理して目覚めさせることもするようだ。
* * *
「これが卵だ。よく見ておいてくれ」
「はい旦那」
こうして蚕を飼う技術者の養成が開始されたのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
次回更新は3月10日(土)10時予定です。
20180304 修正
(誤)ゴドノフとイワノフは兄弟で、イワノフが兄とのこと。
(正)ゴドノフとイワノフは兄弟で、ゴドノフが兄とのこと。
orz
20190805 修正
(誤)(温度計や湿度計は今度の課題だな……)
(正)(温度計や湿度計は今後の課題だな……)