第四話 雪眼鏡
アキラにとって、1週間はあっという間だった。
だがゴルド村へ行こうとしたら、
「アキラさん、ご自分で行かなくてもいいのでは?」
とミチアに止められてしまう。
「大丈夫だよ。1度行っているし、今度は1時間早く出発するから。それにハルトヴィヒに強力ライトと魔法瓶の試作を作ってもらったし」
そう、この1週間で、ハルトヴィヒはステンレス……ではないが、ガラスで二重構造の魔法瓶を作ることに成功していたのである。もちろん中の空気は抜いて。
これにより、お湯の保温がより楽にできるようになったのだ。
それまでは、羊毛フェルトのカバーで包むくらいしか保温方法はなかったのだ。
なので、冬になると1日中火の上にヤカンが湯気を立てているわけだ。
もっともこれは湿度を増して喉の保護をするという意味では有効であるが。
それから、明かりの魔法道具。
こちらは、従来の明かりに反射鏡を付けたものだ。
四方八方に散っていた光を1方向に向けるだけでも相当明るくなるが、光源も工夫されて従来の倍の明るさになっているので、夜道を照らすには十分な明るさだった。
「あとは毛布を1枚余分に持っていくから」
と言うアキラだったが、
「……やっぱり心配なので、私も付いていきます!」
と主張したミチアであった。
「ま、まあ、いいけど……」
と渋々了承したアキラであったが、内心は一緒に行けて喜んでいるのだった。
* * *
「1週間経つと、雪も増えるのな」
「そりゃあ、あれから2回、雪が降りましたから」
降ったといっても2センチほどの雪が2回だが、それでも前回見えていた土の色はすっかり覆い隠され、一面の銀世界になっていた。
前回と違い、今日は快晴。雪の反射が目に痛いほどだ。
「……こりゃあ、サングラスも作らないと雪目になるな……ハルトに作ってもらうか」
今でも目が少しチカチカするので、雪目にならないよう目を瞑るアキラであった。
もちろんミチアにも注意を呼びかける。
雪目は雪眼炎、雪盲ともいい、紫外線によって起こる表層角膜炎のことである。
電気溶接時にもアーク火花から強烈な紫外線が出るので、それが原因の場合は『電気性眼炎』とも呼ぶ。
症状は数時間後に出るので、目をやられたことに気付きにくい。
また、曇りの日でも多くの紫外線が降り注いでいるので、スキー場などでも要注意である。
「イワノフは、目の方は大丈夫か?」
今回御者をしてくれているのは、ゴドノフの弟のイワノフだ。
兄のゴドノフは、前回は思いがけなく里帰りできたので、今回は弟に譲ったのである。
「アキラ様、大丈夫でやんす。雪の中は慣れておりやすんで」
イワノフは目を細く開けて対処しているようだ。
「あ、イヌイット式の雪メガネならすぐ用意できるな……アザロフに作ってもらおう」
イヌイット式の雪メガネとは、スリット式の遮光メガネである。
ボール紙で作ることもできる。
目の位置に幅1ミリ、長さ4センチくらいの細いスリットを空けたものをメガネとして装着すればいい。
かの有名な遮光器土偶の目のようになるが、光量を絞るという意味で十分実用的だ。
目を閉じてそんなことを考えていたらうとうとと眠ってしまったようで、
「アキラさん、村に着きますよ」
というミチアの声で目が覚めたアキラであった。
「まあイワノフ、今度はあんたかい。アキラ様、いらっしゃいませ」
「奥さん、イワノフ、ゴドノフには頑張ってもらっています。これは手土産です」
と言って、アキラは持参した紅茶の茶葉を差し出した。
「まあまあアキラ様、これはどうもどうも」
紅茶の茶葉は高級品だ。普通の村人では、滅多に口にできない。
イワノフの母親は礼を言って土産を受け取った。
イワノフはそのまま家に残し、アキラとミチアはアザロフの工房へと向かった。
「こんにちは」
ミチアが挨拶してドアを開けると、
「おう、アキラの旦那、待ってたぜ!」
と、アザロフ。
「できてるぜ、見てくれよ!」
と、作業台の上を指し示した。
「お、いいな!」
そこには注文通り大・中・小の箱が置かれていた。
注文通り、蓋の上面には麦わら織りが貼られていて、華やかさを演出している。
そして、側面には飾り彫りが彫られていた。
「いいな、これ」
こうした彫刻による加飾こそが、アキラが職人を捜した理由だ。
ただ正確に箱を作るだけでなく、箱そのものも美術品的な価値を付与できる、そんな人材が欲しかったアキラである。
「こっちはクルミ材、こっちはカヤ材、これはナラ材だ」
大はクルミ、中はカヤ、小はナラだという。
「クルミは磨くといい艶が出る。カヤは木に香りがある。ナラはちょっと狂いやすいが木目が綺麗だ」
狂う、というのは木材用語で、製材したあとに伸び縮みして反ったり曲がったりすることをいう。
寸法が狂う、というくらいの意味である。
「どれもいいな。これなら売り物になるぞ」
「そいつは嬉しいな!」
実際のところ、箱だけを見れば、このレベルの職人は他にも大勢いるだろう。
だが、そこに『麦わら織り』という他にはないものをプラスすることで、優位性が増すわけだ。
「これ、全部もらっていくよ。……これが、約束の手間賃だ」
「お、すまねえな」
約束の手間賃を払ったアキラは、用意してきた布で箱を1つずつ包むと、それを袋にしまった。
「それから、革でこういうものを作れそうな職人を知らないか?」
アキラは持参したメモ用紙に、イヌイット式の雪メガネの絵を描いて見せた。
「何だこれ?」
アキラが雪メガネだというと、アザロフはやる気を見せた。
「そういうことか! 革なら、椅子に張る奴があるから、俺が作ってやるよ」
と言って革用の工具を取り出し、椅子の座面用の革を使って、10分ほどで3つの雪メガネを作ってしまったのである。
「こいつの手間賃はいらないぜ」
「おお、ありがとう」
両端に穴が開いていて、そこに紐を通し、顔に装着するようになっている。
「これで帰る時に目を傷めなくて済むよ」
「気を付けて帰ってくんな」
ということで、このあとまた1週間後に正式な契約をしたいと告げ、アキラとミチアはアザロフの工房を後にしたのであった。
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次回更新は10月12日(土)10:00の予定です。