第三十一話 抱負
アキラたち7人は、アキラとミチアを先頭に、フィルマン前侯爵の執務室に足を踏み入れた。
「おお、アキラ殿、それが……ええと、『ゆかた』という衣装なのだな?」
「はい、閣下」
「ううむ、シンプルで、それでいて趣がある。……ミチア、くるっと回って見せてくれ」
「あ、はい」
ミチアはその場でゆっくり一回転して見せた。
「ふうむ、その腰の『おび』というのか? 結び方でいろいろ形を変えられるのだな?」
「はい」
前侯爵には『携通』から書き起こした資料も事前に見せてあるので、多少の予備知識がある。
「見たところ、激しい動きには向かないようだな?」
「そうですね。このままですと腕は上まで上がりませんし、脚も大きく開けません」
和服は、袖をまくらない限り、脇に引っ張られるので所謂『バンザイ』ができないのだ。
それで、そうした作業をする場合は『たすき』を掛けて腕をまくり、同時に袂も邪魔にならないよう抑えるのである。
まあ、浴衣の場合は生地が薄いため、手を上げていくと自然に袖が下がる傾向にあるのでたすき掛けをする人はあまりいないだろうが。
「逆に、ドレスよりもさらにお淑やかに見えるわけであるな」
「あ、そうもいえますね」
この『浴衣』はあくまでも『和服』の前段階で、最終的には『絹織物』で和服を作り、普及させることが目標である。
もちろん、こちらのドレスはドレスとして尊重する。『駆逐』するつもりは毛頭ない。
「アキラ殿の国の文化と共に、この『着物』を普及できれば、より我が国の文化も華やかになるであろう」
「はい、そう願います」
フィルマン前侯爵はアキラの狙いを正確に理解してくれていた。
あらためてアキラは、この人物と出会えたことに感謝するのであった。
* * *
「はあ、緊張しました」
「俺もだよ」
『離れ』に戻ったアキラとミチアはほっと溜め息をつき、顔を見合わせて微笑みあった。
他の5人は気を利かせたのか、この場にはいない。
そんなことにも気が付かないほど、2人は浮かれていた。
「大旦那様にも認めていただけましたね」
「ああ。さまざまな衣装を見てきている閣下が褒めてくれた。これなら、本格的な和服を作れば……」
「その日が楽しみですね」
「うん。……まだまだ、越えるべきハードルは多いけどな」
「頑張りましょう、アキラさん」
「これからも頼むよ、ミチア」
2人はしっかりと手を握りあったのだった。
* * *
握った手を引き寄せようとアキラは力を込めようとした、その時。
「……そろそろいいかな?」
と声がして『離れ』の扉が開いた。
アキラとミチアはぱっと離れる。
「なにミチア、まだ着替えてなかったの?」
入ってきたのはリーゼロッテ、ハルトヴィヒ、リュシル、リゼット、ミューリ。
「……着替えもしないでなにやってたのかなあ?」
微妙に赤くなっているミチアの顔を見て、リゼットが冷やかすと、
「な、なにもやってない!」
と、なぜかアキラが慌てながら答えた。
それで察したリゼットはさらに畳み掛けるように、
「……お邪魔だったかしら」
と言えば、
「…………」
「……」
真っ赤になるミチアとアキラだった。
* * *
そのくらいにしとけよ、とハルトヴィヒが窘めたので、ようやく場が収まる。
「……で、これからどうするんだ?」
「もちろん、メインは絹産業の隆盛だよ。でもそのために、基礎となる文化を育みたいな」
「基礎となる文化?」
ハルトヴィヒがオウム返しに尋ねた。
「うん。つまり平たくいえば、絹を売るために、絹の使い道を増やそう、ということなんだけどな」
そんなアキラの言葉にリーゼロッテは、
「ああ、ドレスだけじゃなく、浴衣……ううん、『和服?』……それも普及させたい、っていうことね」
と正解を口にした。
「そうそう。そういうことさ」
さらに言うなら、和服とマッチする周辺文化も少しは普及して欲しいと考えているわけだ。
「下駄とか草履とか、あ、灯籠なんてのも風情があるかもな」
かつて地球でも、東洋文化を取り入れた絵画が流行したことがある。
それは『ジャポニスム』(英語ではジャポニズム)と呼ばれ、19世紀にヨーロッパで流行した。
似たような流行を起こせないか、とアキラは考えたのである。
とはいうものの、流行というのは起こそうとして起こせるものではない。
「ゴリ押しはしないでね」
とリーゼロッテに釘を刺されたアキラは、少し焦りすぎたか、と反省したのであった。
* * *
「とにかく、『養蚕』『製糸』『製織』『縫製』『染色』といった、一連の工程が可能になったことは喜ばしいよ」
アキラがまとめた。
「そうすると、次は量産体制だな!」
ハルトヴィヒが意気込む。
「そういうことだ。養蚕については職人の養成は順調だし、桑畑もどんどん造成している。製糸も目処が立った。次は機織り職人の養成だな」
「なるほど。そうすると僕は、織機を改良していけばいいのかな?」
「ああ、そうだな。ハルトヴィヒの主な仕事はそれに尽きるだろう。……いや、製糸の方の機械も見てくれ」
「わかった。やり甲斐があるよ」
「私は染色ね。色落ちしにくい染料の開発かしら」
リーゼロッテが言う。
「そうなるな。色鮮やかで褪色しにくい染料や顔料の開発を頼む。併せていろいろ化学薬品の相談もすると思うけどな」
「任せておいて」
「あたしはもっとこの『友禅染』の腕を磨きますね。それにデザインも」
「頼むよ。そして行く行くは弟子を育ててほしい」
「が、頑張ります」
リュシルにも期待しているアキラである。
「もっともっと縫製の腕を磨いていきますね。そう、ウェディングドレスも縫ってみたいし」
リゼットはアキラとミチアの顔を見ながら言った。
その意図がわからないほど、アキラも鈍感ではない。
「き、期待しているよ」
そう言って少し苦笑を浮かべた。
冬の足音が近くに聞こえ、『蔦屋敷』も冬支度を始める頃のことであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は9月14日(土)10:00の予定です。
20190907 修正
(誤)冬の足跡が近くに聞こえ、『蔦屋敷』も冬支度を始める頃のことであった。
(正)冬の足音が近くに聞こえ、『蔦屋敷』も冬支度を始める頃のことであった。
orz
(誤) 他の5人は気を効かせたのか、この場にはいない。
(正) 他の5人は気を利かせたのか、この場にはいない。