第三十話 浴衣の君
下駄の用意ができたアキラは、浴衣の方はどうかな、と、縫い物をしているミチアとリゼットの様子を見に行った。
「……どんな感じだい?」
2人が縫い物をしているはずの『離れ』の扉を開けたアキラは、
「え……きゃあああああ!」
というミチアの悲鳴に出迎えられた。
ちょうどミチアは、縫い上がったばかりの浴衣に袖を通してみようとしていたのだ。
「わ……ご、ごめん!!」
つまり、下着姿で。
バタンと大きな音で『離れ』のドアを閉めたアキラは、冷や汗をかきながらも顔は赤かった。
ミチアはちょうど浴衣の前を合わせようとしていたところだった。
胸にはサラシのような布を巻いていたが、無防備な白いお腹をもろに見てしまったのだ。
(……綺麗だったな……)
などと思い出していると、寄りかかっていたドアが開いた。
「……もういいですよ」
「……ちゃんとノックしてくださいね」
(俺の部屋なんだけど……)
とは思ったが、口には出さず、アキラは『離れ』に入り、浴衣を着たミチアを見た。
「……」
いつも、仕事中は頭の後ろで縛っている栗色の髪をアップにまとめており、白い襟元が眩しい。
初めて袖を通した浴衣。恥じらうように少し俯いた姿が、何とも艶めかしかった。
絵柄はユリ、いやリリウム。
(……歩く姿は百合の花、か)
アキラの脳裏にそんな言葉が浮かんで消えた。
「アキラさん、どうですか?」
「アキラ様、何か言ってあげてください」
その言葉にはっと我に返るアキラ。
気が付くと、俯いたミチアが、上目遣いにアキラを見つめている。何も言ってくれないアキラに、少しむくれているようだ。
「え、ええと、す、すごく似合っているよ。あんまり綺麗なんで見惚れてしまった」
「……本当ですか? 私、おかしくないですか?」
「おかしくないおかしくない。着付けもうまいよ」
『携通』を見てその画像のスケッチをしてくれているミチアは、浴衣の着付けも文句なしだった。
「……もう、そうじゃなくてですね」
「あいたっ」
気が利かない言葉に、リゼットは脇腹をつねった。
「ちゃんとミチアを見てあげてください」
「……」
言われなくてもわかっていた。ただ、気恥ずかしくて面と向かって口に出せなかっただけで。
「……綺麗だよ、ミチア。とっても素敵だ」
「アキラさん……」
そしてアキラは、手に持っていた下駄を床に置いた。
「サンダルじゃなく、これを履いてみてくれ」
「あ、『げた』ですね。ありがとうございます」
ミチアはサンダルを脱ぎ、下駄を履こうとして……。
「こう、ですか?」
「そうそう。左右の区別はないからな。小指が少しはみ出してもいいんだ」
「ええと、かかともはみ出ていいんでしたっけ?」
「そうそう。着物の裾を自分で踏んづけないようにな」
そしてミチアは赤い鼻緒の下駄を履いた。
「きつくないか?」
「ええ、大丈夫です。……なんだか、ちょっと歩きにくいですね」
「慣れだと思うよ。ちょっと歩いてごらん」
「はい」
ゆっくりとミチアは歩き出した。
「ええと、少し足を回しこむように、でしたっけ」
「そうそう」
下駄は履き慣れないと、くるぶしをぶつけることがあるからだ。
「少し歩きにくいです」
からん、からん、と下駄の音をさせてミチアは歩いていく。
「あ、きゃっ!」
下駄の歯を引っ掛けてバランスを崩す。
着物なので足を広げて踏み止まることができず、そのまま倒れ込んでしまうところを、
「おっと」
アキラが支えた。
「ご、ごめんなさい、アキラさん。ありがとうございます……」
「気を付けてくれよ。いつもよりもっと歩幅を小さくしないとな」
「はい……あ、あの……」
「どうした?」
「もう、大丈夫ですので、その、腕を……」
「あ、ごめん」
ミチアを抱きかかえたままだったアキラは謝って手を緩めた。
「……」
(じれったいなあ)
そばで見ていたリゼットはそんな想いを抱いたが、当人たちはどこ吹く風と、
「もうちょっと背筋を伸ばした方がいいかな」
「こ、こうですか?」
猫背だと着物は似合わないので、あまり足下ばかり見つめないようにとアキラはアドバイスした。
「そうそう。……うん、随分よくなった」
「少し慣れたみたいです」
(……ま、これがこの2人らしくていいのかもね)
リゼットは心の中で溜め息をついた。
「よし、外を歩いてみようか」
「え、ええ!?」
「大丈夫。転ばないようについているから」
「それでしたら、あの……手を、握っていてください」
「……うん」
(おお! その意気よ、ミチア!)
鼻息も荒く、リゼットは心の中で2人を応援した。
そして2人は『離れ』の外へ。
「少し寒いです……」
「だな。『蔦屋敷』へ行こう」
このまま、前侯爵に見せに行くぞ、と言うアキラに、ミチアは少しだけ躊躇ったが、
「大丈夫。ミチアは素敵だよ。この浴衣を見せて、閣下に助力を感謝したいんだ」
と言われ、諦めた。
「お、アキラ、それが浴衣か!」
「ミチア、似合ってるわよ。とっても綺麗」
「いいなあ。アキラ、次は私の作ってね」
折から、作業が一段落したので『離れ』にやって来ようとしていたハルトヴィヒ、リュシル、リーゼロッテと出会い、一緒に向かうことになった。
さらにリゼット、ミューリも呼んで、7人でフィルマン前侯爵の執務室へ向かう。
「おや、アキラ様、その衣装が?」
「はい。完成したので閣下にお見せしようと」
家宰見習いのマシューに取り次いでもらう。
「少々お待ちください」
そして待つこと2分。
「どうぞ。大旦那様がお待ちです」
いよいよお披露目である。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は9月7日(土)10:00の予定です。
20190831 修正
(誤)あんまり綺麗なんで見取れてしまった」
(正)あんまり綺麗なんで見惚れてしまった」
(誤)着物なので足を広げて踏み泊まることができず
(正)着物なので足を広げて踏み止まることができず
(誤)気が効かない言葉に、リゼットは脇腹をつねった。
(正)気が利かない言葉に、リゼットは脇腹をつねった。