第二十九話 下駄
帯が完成し、浴衣も縫い合わせるだけとなった。
「あとは履き物か」
浴衣に靴は似合わない。
やはり下駄か草履が欲しい。
「……ここは下駄かな」
草履の作り方がよくわからないのだ。
その点、下駄であれば外見から想像できる。
「ここはミューリの出番だな」
「はい?」
アキラの呟きにミューリが反応した。
「何でしょうか?」
「ああ、えっと、木材について聞きたいんだ」
植物に詳しいミューリが頼りだ、とアキラは言った。
「ええと、クルミの仲間だけど、ああいう実が生らない樹ってないかい? 成長が早くて、やや湿ったところを好む……」
『携通』の記述を見ながらアキラは説明した。
「うーん……心当たりはあります」
「ほんとか! やったぞ!」
「え、ええと、その樹かどうかわからないので、喜ぶのは待ってください」
アキラを抑えるミューリ。
「それもそうだな。で、どんな木材だい?」
「ええと、クルミに木目は似ていますが、ずっと軽いです」
「それだ!」
アキラが探していたのは『サワグルミ』。
クルミの仲間であるが、食べられるような実は生らない。
その材は軽量で、下駄材にも使われる。その際の名称は『やまぎり(山桐)』。
本来ならキリかホオノキが欲しかったが、すぐ見つかるかどうかわからないので、クルミ科で見つけやすいのではないか? と思われたサワグルミをミューリに尋ねたのだが、どんぴしゃだった。
「それって、木材として使っているかな?」
「はい。まな板に使ってますね」
軽く、軟らかいので包丁の刃先を痛めづらいから、という。また、高さ30メートルにもなる大木になるので、板がたくさん取れるという理由もある。
「まな板用の材でしたら、丸太にして乾燥させたものが村にあるはずです」
「よっしゃ」
用途は下駄なので、長い板は必要ない。むしろ厚めの板が欲しいとアキラは思っていたので、丸太の状態なら理想的だ。
「セヴランさんに相談してみる」
と告げ、アキラは『離れ』を飛び出した。
* * *
「ほうほう、『下駄』ですか。この図にあるような形を、サワグルミから切り出せばいいのですね?」
「はい。お願いできますか?」
ちょうど手が空いていたセヴランは、すぐにアキラの要求を聞いてくれた。
「そうですな……3足分なら明日の朝にはお渡しできるでしょう」
「よろしくお願いします」
最終的には、大きさを少し変えた10足分を頼むことにしたアキラであった。
* * *
浴衣はミチアとリゼットで仕立てている。
さすがのリゼットも、初めて見る服なので、ミチアに説明を聞きながら慎重に進めているようだ。
そして帯は、リーゼロッテが薄い茜色に染めてくれていた。
「確かに無地の白じゃ手抜き過ぎたか」
反省したアキラである。
そしてハルトヴィヒとリュシルはといえば、
「もう少し、細い方が持ちやすいです」
『糊置』用の道具を作っていた。場所は当然、ハルトヴィヒの工房だ。
「穴が大きい時は少しだけ糊の粘度を上げた方がいいですね」
リュシルはそう言って、最適な糊の粘度をどうやって調べるか考えている。
そこへアキラは、
「ヘラかスプーンで掬って、5秒とか10秒で何滴垂れるか、という方法もあるよ」
とアドバイスする。
塗料の希釈時の目安として、説明書に書かれている方法である。
「あ、それいいですね」
リュシルはさっそく試し、ハルトヴィヒと共にデータ化していっている。
この口金の時はこのくらいの粘度で、という具合にだ。
これがあるとないとでは、汎用性が違ってくるだろう。
いずれ、大勢の職人が育ってくれるといいな、と思うアキラであった。
* * *
「アキラ様、これでいいでしょうか?」
夕方、セヴランが試作の下駄を持ってきた。
アキラはそれを確認し、
「凄くいい出来です」
と絶賛した。
木口も毛羽だっておらず、左右の大きさも綺麗に揃っている。
ちなみに、下駄の音を『からんころん』と表現するが、これは左右で音の高さが違っていることになり、それは重さ(削り方含む)や材質(木の堅さ、木目含む)が違うことになるので、余りよい下駄ではない、という説がある。
よい下駄というものは左右で奏でる音がほぼ同じなのだそうだ。
「あとは鼻緒を通す穴を開けてください」
アキラは紙に実物大の絵を書いて説明した。
「ええとアキラ様、これを見ますと、左右の別がないように見えますが」
セヴランが怪訝そうな顔をした。アキラは答えて、
「はい。下駄は左右がありません」
『携通』によると、粋な下駄の履き方とは、小指とかかとを少しはみ出して履くことだそうだ。
「はあ、そういうものですか。わかりました」
実物を見たことのないセヴランは、一応納得して戻っていった。
「あとは鼻緒を用意しないとな」
リーゼロッテが研究のためということで、さまざまな生地、さまざまな織りのサンプルを集めている。
アキラはリーゼロッテの研究室に足を運び、素材を選ばせてもらった。
「どれを使ってもいいわよ。量はないけれど」
「ああ、いいよ。これを貰えるかな?」
今回はその中から選んで使わせてもらうことにした。
絹で作ったビロード(ベルベット)が高級品とされているようだが、さすがにそれは作れないので、木綿で作られた、日本では『別珍』と呼ばれているものを採用。
『別珍』は簡単にいうと、『パイル織り』にした緯糸の出っ張り部分を切って毛羽立たせたものである。
さらに蛇足を承知で書くと、ベルベットは縦パイルをカットしたものだ。
「へえ、変わった履き物ね」
リーゼロッテはアキラの手の中の下駄を興味深そうに見た。
「女の子用は赤にするか」
男物は黒で、とアキラは生地を用意していく。
量は必要ではないので、リーゼロッテが集めた生地サンプル分で間に合ったのだった。
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次回更新は8月31日(土)10:00の予定です。