第一話 人材確保
虫が嫌いな方はご注意下さい
村田アキラがこの世界に迷い込んで半年が過ぎた。
季節は晩秋となり、冷たい風が吹く季節。
冬を前にして、蚕の養殖は一区切りとなっていた。
元々、秋に生まれた卵は『休眠卵』と言って、冬を越さないと孵化しない性質を持っている。
これはおそらく外気温による蚕の反応だろうという考えから、環境をやや低温に保つことで意図的に休眠卵を産ませる手法もあるのだ。
そして今、2万を超える休眠卵が保存用の魔法道具『魔法式保存庫』の中で眠りに就いていた。
「やることは山積みだなあ……」
アキラは与えられた『離れ』の中で机に向かって、これからの計画を練っているところだ。
「あまり根を詰めないでくださいね?」
アキラの目の前にお茶が差し出された。
「あ、ああ、ありがとう、ミチア」
そして、そんなアキラをサポートしているのがこの屋敷……前侯爵フィルマン・アレオン・ド・ルミエの『蔦屋敷』に務めるメイドであるミチアだった。
この夏から正式にアキラ付きとなり、メイド兼秘書としてサポートしているのである。
「……うん、美味い。これも産業になるな」
「ふふ、ですね。……健康にもいいのでしょう?」
「うん、そういう話だった」
アキラが飲んでいるのは『桑の葉茶』だ。
桑の若葉を摘んで天日で乾燥し、フライパンで炒めたもの。
実際には『ほうじ茶』と同様、『焙烙』などで焙じるのがよいのだろうが、今はまだ試行錯誤中なのである。
因みに、桑の葉には糖分の吸収を妨げる成分が含まれるため、桑の葉茶や桑の葉汁を食前に摂ることで血糖値を下げる効果があるという。
カフェイン、タンニンも含まれていないので、そういった成分が駄目な人にもお勧めなのだ。
「桑畑は順調なようですよ」
フィルマン前侯爵の指示で、近くの草山に桑の若木を移植したのである。
桑は挿し木でも増やせるらしいので、これはミチアに頼んで実験中だ。今年伸びた若い枝と1年経った枝とで比較もしている。
「蚕用の桑畑を増やして、こうしたお茶にも利用していけば、収入アップに繋がりますからね」
それは領民の暮らしが豊かになることだから、とミチアは嬉しそうに微笑んだ。
「そうだな。あとは桑の実でジュースやジャムを作れば、それも産物になるだろうし」
この世界に養蚕を根付かせると共に、関連する産業も振興させていけたら、とアキラは思っている。
過去にもアキラのような『異邦人』は何人もいて、それぞれが文化の発展に寄与していたという。
『時計』しかり、『調味料』しかり。
そう、この世界にも少量ながら『味噌』『醤油』『マヨネーズ』などがあったのだ。
それらは、アキラ以前に迷い込んだ『異邦人』が遺していったものだ、という。
「俺も頑張ろう」
桑の葉茶を飲み終えたアキラは、再び計画書作成に取り掛かった。
「まず必要なのは人員と資材の確保、それから機材の準備……か」
人員は蚕の世話をする要員と、将来的には繭から糸を作る職人、糸から布を織る職人となる。
資材というのは、桑の葉はもちろん、蚕室、蚕種紙(=種紙)、蔟、産卵床なども含む。
そして機材。繭から糸を取り出し、撚り合わせて実用的な糸にする糸繰り機や機織り機。実はこれが一番の難物である。
アキラは研究生ではあっても職人ではないため、そうした機材を作れないのだ。今はフィルマンの家宰を務めるセヴランに頼んでいるが、将来的には専属の職人がほしいところである。
「そういえば今日、魔法技師の方がいらっしゃるそうですよ」
「そうだったっけ?」
「はい、お昼過ぎに」
魔法技師というのは、魔法を使ってモノを作り出す技術者全般を指す。
木材の加工に魔法を使うという者、魔法道具を作る者、どちらも魔法技師と呼ぶ。
それというのも、そうした技術者は数が少ないため、わざわざ分類をしていないことと、通常の魔法技師なら多少の得手不得手はあれどもどちらもこなせるからであった。
「大旦那様のお眼鏡にかなった方らしいです」
つまりは99パーセント一緒に仕事をすることになるということだろう。
最終的には自分が決定していいと言われたアキラは、楽しみであると共に、初めて会う魔法技師という人種が少しだけ心配だった。
そしてその日の午後。
アキラは件の魔法技師と対面していた。
第一印象はひょろっとした人物だな、であった。なにしろ身長は180センチに迫ろうとしているのに、体重はやっと60キロを超えたくらいというのだから。
それでも、髪の毛と同じ茶色の目には、若干の悪戯っぽい光を帯びてはいるが、知性が感じられた。
「はじめてお目に掛かります、私はアキラ・ムラタ。『異邦人』です」
「僕はハルトヴィヒ・アイヒベルガーだ。ハルトと呼んでほしい。アキラ、よろしく頼むよ」
その姓名は、アキラが今いるガーリア王国のものではなく、隣接するゲルマンス帝国のそれであったが、アキラは気がついていない。ただドイツ語っぽい響きだな、と思っただけである。
だが、同席しているミチアはそのことをすぐに感じ取り、一抹の不安を抱いていた。
「……実は、僕の遠い祖先にも『異邦人』がいたそうなんだ」
ハルトヴィヒ、ハルトが言った。
「へえ」
「だから、本物の『異邦人』には会ってみたかったのさ。いやあ、感激だ!」
その仕草は無邪気で、裏はなさそうに見える。ミチアは警戒心を少しだけ解いた。
「まずはその『絹』っていうものを見せてほしい」
「そうだな、これがそうなんだが」
ハルトの求めに応じ、アキラは絹のハンカチを手渡した。
それを受け取ったハルトはまずはじっくりと手触りを確認していたが、
「魔法で調べてもいいかな?」
と言い出した。アキラはもちろん、と許可する。
「よし。……《アナリューゼ》……ほう?」
ハルトが何か詠唱したかと思ったら、ハンカチが淡く発光した。初めて見る魔法らしい魔法に、アキラは身を乗り出した。
「……うーん、これはすごい。生命力を感じる……」
「えっ?」
首を傾げるアキラに、ハルトは説明を始めた。
「今の魔法は分析の魔法なんだが、この絹というものは、生き物が作った素材なんだね?」
「あ……ああ、そうだ。……ということは、フィルマン様から何も聞いていないのか?」
ハルトは頷いた。
「ああ。面白い仕事があるということ、それは『異邦人』がもたらしたものであることしか聞いていない。僕にはそれで十分だったしね」
ハルトは、『異邦人』と一緒に仕事ができるなら内容は問わないつもりだった、と言ってのけた。
「最悪、気に食わなかったら出て行くだけだし」
そう言って悪戯っぽくにやりと笑ってみせるハルト。
「そうか。……で、まだ話を聞く気はあるのかい?」
とアキラが聞くと、
「言うには及ばない。もっと詳しい話を聞かせてほしいね!」
と、目を輝かせてハルトは答えた。
「この布は、素晴らしいものだ。この布を作り出す手伝いができるなら、こんなにやり甲斐のある仕事は滅多にないと言いきれるよ」
「そうか。そこまで言ってもらえて光栄だ」
そこでアキラは、ひととおりの説明を行っていく。
「ふうん、なるほどなるほど。では、その『蚕』という虫が出した糸を紡いで、布に織った物がこれなんだね」
ハルトの理解力は高く、1度の説明で要点を呑み込んでしまったようだ。
「是非協力させてほしい!」
アキラは、熱っぽくそう言ってくるハルトの手を取った。
「よろしく頼むよ、ハルト」
「こっちこそ」
そんな2人の様子を、ミチアは複雑そうな顔で見つめていたのであった。
こうして、アキラの望む人材がまずは1人、現れたのである。
お読みいただきありがとうございます。
明日3月4日(日)も更新します。
20180303 修正
(誤)メイド件秘書
(正)メイド兼秘書
(誤)桑の葉茶や桑の葉汁を食前に摂ることで高血糖値を下げる効果があるという。
(正)桑の葉茶や桑の葉汁を食前に摂ることで血糖値を下げる効果があるという。