第二十三話 模型
空いた時間に、アキラは例の『養蚕資料館』の構想をフィルマン前侯爵に持ちかけてみた。
「ほう、少々気が早い気もするが、準備には時間が必要だからな」
「はい。そしてこれは、『養蚕』の苦労と、そこから生まれる素晴らしさを知ってもらうためのものです」
アキラは、養蚕には大勢の人が携わってもらいたいだけに、こうして理解を深めてもらえる施設が必要ではないか、と主張した。
「言いたいことはわかる。が、すぐにほしいということでもないのだろう?」
「はい、もちろんです。……とりあえずですが、養蚕の様子を説明する模型を用意しようか、と思っています」
この提案に、前侯爵は頷いた。
「なるほど、展示物だけは用意しておこうと思ったわけか」
「はい」
「来春までには用意できるな?」
「はい。ですが、なぜ来春なんですか?」
「それはだな。今、王都から来ている技術者たちがそのタイミングで帰るからだ」
「あ、そうでした」
最近までは『養蚕』を中心に教育してきたが、これから冬の間、『製糸』『織り』『染め』、そして『縫製』も教える予定である。
「彼らに模型を託すこともできよう」
「あ、それができたらいいですね……」
王都往復は時間のみならず精神も消耗させるので、できれば避けたかったアキラである。
(それとは別に、ハルトヴィヒには乗り心地のいい馬車を開発してほしいな)
と思ったアキラは悪くないだろう。
* * *
「アキラさん、どうでした?」
『離れ』に戻ると、ミチア、リーゼロッテ、ハルトヴィヒがいた。
「うん、閣下は認めてくれたよ。建物はまだずっと先だけどな」
そう答えたアキラに、ハルトヴィヒが、
「『養蚕』の模型について考えてみたんだけどな。浅い箱を幾つか作ってガラスの蓋をして、その中にお蚕さんの模型を入れていったらどうかと思うんだ」
埃も付きにくいし、持ち運びも便利。展示するのも楽。
「うん、いいな、それ」
アキラは賛成だった。
「よし、作ってみるか」
ハルトヴィヒは大乗り気のようだ。
「粘土で作って、塗料を塗ればお蚕さんは作れるだろう。桑の葉も和紙で作れるしな。成虫のあの毛はどう再現するかな……」
羽は和紙で作れるだろうが、とハルトヴィヒは言った。
「ハル、フェルトで作ったらどうかな?」
リーゼロッテが助け船を出す。
「フェルトでできるのか?」
「あ、ハルはやったことないんだね」
ここでリーゼロッテが言っているのは『羊毛フェルト』である。
ニードルを使って羊毛を刺していくことで、羊毛が固まる。この性質を利用して人形を作ることができるのだ。
現代日本なら100均でもキットを売っているくらい一般的な手芸である。
「あ、私はやったことあります」
「へえ、ミチアも?」
この世界においては、貴族の子女が趣味でフェルト細工、というケースが多い。
つまるところ、裁縫や編み物に比べ、実用性があまりない趣味だからだろう。
「じゃあ、ミチアとリーゼでやってみてくれ。そうだな……5頭も作ってもらえばいいだろう」
「わかりました」
ここでハルトヴィヒが疑問を投げかけた。
「アキラ、お蚕さんはどうして『頭』で数えるんだい?」
普通、虫は1匹2匹で数えるのに、とハルトヴィヒ。
「ああ、それはな。……お蚕さんは『家畜』扱いなんだよ。だから豚や牛と同じく1頭2頭と数える……らしい。まあ俺はちょいちょい間違えて『匹』で言ってしまうんだが」
アキラにしても、聞いた話であるが、妙に納得できた説だったのだ。
そしてそれはハルトヴィヒも同じだったらしい。
「なるほど、そういうわけか」
と、頷いてくれたのである。
* * *
「話が逸れたけど、絹の方は、いよいよ織りに取り掛かる」
アキラが仕切り直す。
「うん、『織機』は3台、完成しているよ」
「おお、さすが」
ハルトヴィヒは、夏頃から少しずつ準備していたのだという。
「部品さえできていれば、組立は速いからな。……これも、アキラが教えてくれた『規格化』のおかげだよ」
歯車製作の時に少し話した『規格』について、ハルトヴィヒは自分なりに噛み砕いて考え、自分のものにしていたようだ。
「今のところ、試作の織機は別にして、今回作った3台の織機は、基本的に部品は互換性があるんだ」
「凄いじゃないか!」
互換性があるということは、部品を互いに交換して使っても問題なく動作するということである。
現代日本の工業製品であれば常識であるが、『家内制手工業』である世界の出身であるハルトヴィヒが『規格化』を進めよう、いや実践しているということは、とんでもなく進んだ思想である。
「主要な部品は、全部治具を作って加工したんだ」
治具とは、同義の英単語 『jig』 に漢字を当てたものである。
加工時に工具の位置合わせをする道具のことで、これを使うことにより、手作業でも同じものを量産することができる(手作業の精度の範囲内という制約は付くが)。
おにぎりをたくさん作る時の『型』も、ある意味治具の一種である。
「試作の織機を納得がいくまで改良したからな。あとはそれと同じ構造のものを量産すればいいわけで、そのためになら治具を作った方が効率がいいわけさ」
何でもないように言っているが、ハルトヴィヒのやり方は同時代の職人よりも数段先を行っていた。
「今更だけど、ハルトヴィヒが仲間でよかったよ」
としみじみ言ったアキラのセリフに少し照れるハルトヴィヒであった。
「……で、今回は全部『平織』でいこう」
シンプルだが基本である。
「織ってから染めるのね?」
とのリーゼロッテの質問に、
「うん。今回はそれで行こうと思う。ちょっと考えていることもあるし」
とアキラは答えた。
「考えていること? どんなこと?」
リーゼロッテは知りたそうだ。
アキラも、準備には時間が掛かることを知っているから、秘密にするつもりはないので、すぐに答える。
「友禅染を試してみたいのさ」
「ゆうぜんぞめ?」
「友禅染、ですか」
『携通』のデータを筆写してくれているミチアだけは、それが何かすぐに悟ったが、ハルトヴィヒ、リーゼロッテ、ミューリは首を傾げている。
「その中でも『手描き友禅』というものになるな」
アキラは友禅染について説明を始めたのである。
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次回更新は7月20日(土)10:00の予定です。
20200916 修正
(旧)だから豚や牛と同じく1頭2頭と数える……らしい」
(新)だから豚や牛と同じく1頭2頭と数える……らしい。まあ俺はちょいちょい間違えて『匹』で言ってしまうんだが」