第十八話 救荒作物
救荒作物とは、一般的な農作物が不作のときでも成育して、比較的よい収穫をあげられる作物のことである。
ならばなぜそちらをメインで栽培しないかというと、味の点でやや劣るからであろう。
「そう言えば、『オリザ』が手に入った、って聞かないな」
オリザとは、おそらく『稲』であろうとアキラは思っている。以前、前侯爵に入手を頼んでいたのだが、何の音沙汰もないのだ。
その理由はミチアが教えてくれた。
「ああ、きっと南の国々で紛争が起きているらしいから、きっとそのせいです」
「え、そうなのか? よく知っているな」
「ええ。えっと、お屋敷で大旦那様とセヴランさんが話しているのを聞いてしまったんです」
大丈夫なのか、それ、とアキラは思ったが、
「特に機密ではないようですので大丈夫だと思います」
と、先回りしたミチアに保証されてしまった。
「稲……オリザは連作障害が起きないんだよな」
「え? 何でですか? そんなすごい作物なんですか?」
「稲自体が、じゃなくてさ。それを栽培する『水田』の仕組みのおかげらしい」
「すいでん……水田……あ、わかりました!」
『携通』内の重要データを筆写してもらった際に読んだことを思い出しました、とミチアは言った。
「確か、水と一緒に栄養が流れてきたり、泥土がかき回されたりするから、でしたっけ?」
「そんな感じだったと思う」
アキラも農業については素人である。水田の効用についても聞きかじった程度しか知らない。
『携通』内の資料には、
『河川や用水から水田に流れ込む水には養分……山の落ち葉や窒素・リン酸など……が含まれている。つまり水を入れることで毎年多くの養分が水田に補給されることになる。
また、水の影響で土中に溜まる有害物質が洗い流され、過剰な成分や有害な成分を流し出し、雑草の発生を抑える効果もある。さらに、水田内では土壌中の酸素が微生物によって使われてしまい、土の中は酸欠状態となり、有害な微生物や菌類が死滅することになる。
それによって酸性だった土が次第に中性になり、稲が育ちやすい環境になるわけだ。
微生物の活動が鈍くなり根や葉などの有機物の分解がゆっくり進むため、長い時間養分が行き渡るということになる』
と書かれていたはずである。
「オリザについてもあとでセヴランさんに確認してみますね」
「うん、頼むよ」
* * *
オリザ=稲 についての検討は一時凍結することにしたアキラ。
「それじゃあ、救荒作物について検討していきたいな」
ここでミチアから意見が出た。
「あ、それでしたらミューリにも声を掛けた方がいいのではないでしょうか?」
ミチアの侍女仲間であるミューリは植物に詳しいのだ。
「あ、そうだな。……呼んできてくれるかい?」
「はい、わかりました。多分、今は手が空いているはずです」
時刻は午前11時半頃。
午前中の仕事はあらかた片付いている頃であった。
リーゼロッテの助手に任命されているミューリであるが、特に手伝うことがないときには侍女としての仕事もしているのだ。
で、この日は洗濯物の『火のし』、つまりアイロン掛けをしていたところだった。
「あ、ミチア。……用事?」
「ええ、アキラさんが、相談したいことがあるって」
「わかったわ。あと2枚だからちょっと待ってて」
ということで、シャツ2枚に火のしを掛け終わるまで5分ほど待ち、ミチアはミューリを連れて『離れ』へ戻ったのである。
「ええと、アキラさん、何でしょうか?」
「ミューリに、『救荒作物』について相談したくてさ」
「救荒作物、ですか?」
アキラは救荒作物について説明した。
「なるほど、非常時に食べ物になる植物ですか」
「うん。……大抵は美味しくないか、収穫に手間が掛かるか、収穫量が少ないか、あるいは食べられるように加工するのに手間が掛かるかで、一般に栽培されていない植物なんだと思う」
例えばドングリ類は集めるのは容易いが、殻を剥くのに手間が掛かることと、強いアクを抜くのにも手間が掛かるため、栗のように栽培されることはない。
また、カタクリ粉の語源となったユリ科植物のカタクリは、デンプンを含んだ根が地中深くにあることと、育つのに7年から10年は掛かること、そしてその根も小さいことなどから、今の日本で『カタクリ粉』というのはたいていがジャガイモから採ったデンプンである。
ソバも救荒作物に数えられることがあるが、年2回収穫できることや、そば切り(日本ソバ)として食べられることから、一般的な穀物になっている。
閑話休題。
「やはり豆類ですかね……」
考え考えミューリが言う。アキラはそれに頷いて見せた。
「うん。豆はいいだろうな。このあたりで作れそうな豆は何だろう?」
これにもミューリはすらすらと答えてくれた。
「インゲンマメでしょうか」
「あ、その名前なんだ」
聞き覚えのある名称が出てきてアキラはほっとすると共に、果たして同じものかという疑問も湧く。
それで、インゲンマメについてミューリに詳しく説明してもらい、ほぼ同じものだと確信が持てた。
「春播きで夏から秋に収穫なら、冬の影響を受けにくいからいいかもな」
秋に播いて冬を越し、春に花が咲かせて初夏に結実するエンドウマメの類だと、冬の寒さ対策が必要になる。
冷涼な土地なら春に播いて秋に収穫もできるが、エンドウは連作を嫌うので、やや扱いづらい。
なにしろ、4〜5年空けた方がよいと書かれている農業資料もあるほどだ。
「よし、インゲンマメは候補に挙げておこう。……豆以外ではどうだろう?」
「そうですね、カラスムギというのがあります」
これもまた、アキラが聞き知っている名称で、同じ植物のようであった。
(過去の『異邦人』に植物学者がいたのかもなあ)
などと考えるアキラ。
「カラスムギの栽培品種が『オート麦』ですよ」
「あ、そうなんだ」
収穫量はあまり望めそうにないな……と思いながら、
「それから何か思い付くかな?」
と、更なるリストアップを頼むアキラ。
「そうですねえ……」
考え込むミューリ。
その時ミチアが発言した。
「アキラさん、豊作の際に穀物を長期保存する、というのは駄目なんでしょうか?」
「あ、その手があったな!」
逆転の発想、というほどでもないが、食料の長期保存は重要である。
「この世界には魔法があるんだものな」
その時、アキラの腹がぐう、と鳴った。
ミチアは笑って、
「続きはお昼ご飯のあとにしませんか?」
と提案する。
アキラは頷き、賛成した。
「そうだな。貯蔵というならハルトヴィヒとリーゼロッテも呼ぼう」
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月15日(土)10:00の予定です。
20190608 修正
(誤)それによって酸性だった土が次第に中性になり、稲が育ちやすい環境にるわけだ。
(正)それによって酸性だった土が次第に中性になり、稲が育ちやすい環境になるわけだ。
(誤)また、カタクリ粉の語源となったユリ科植物のカタクリは、デンプンを含んだ根が地中不深くにあることと
(正)また、カタクリ粉の語源となったユリ科植物のカタクリは、デンプンを含んだ根が地中深くにあることと