第十一話 将来への展望
虫が嫌いな方はご注意下さい
翌日の朝になると、オスが7匹、メスが19匹羽化していた。
「これで交尾させられるな」
「こ、交尾、ですか? そ、それを、さ、させる!?」
ミチアが頬を染めて聞き返した。
「うん、そうなんだ。蚕は脚も弱いから、こっちでお相手を決めて上げた方が繁殖率が高くなるんだよ」
そう言ってアキラはメスを指差した。
「ほら、メスは蛾尿を出したあと、こうしてフェロモンっていう、蚕同士にしかわからない匂いを出してオスを呼ぶんだ」
その蚕の成虫……カイコガは、尻を持ち上げ、その先端から小さい黄色い袋状のものを露出させていた。
「この袋の中にフェロモンが入っているんだ。……ほら、オスの動きが活発になったろう」
「あ、ほんとです」
ほとんどのオスが羽をばたつかせているのが見える。
「このままにしておいてもいいんだが、一番元気そうなオスを近づけてやると話が早いんだよ」
余計な体力を使わせないためでもある、とアキラは説明した。
「そっとつまんで……」
選んだオスをメスのそばに近づけると、もぞもぞ動いた末に雄と雌は尾部の交接器をくっつけ合った。
「わあ……」
顔を赤くしながら、ミチアはその様子を見つめていた。
その間に、アキラは残りのカップルをくっつけていく。全部で19組。
「明日には残りの繭も羽化するだろうかな」
その際、どうしても余りが出るのは致し方ない。オスメス比がぴったり1:1であるはずがないのだから。
およそ3時間後、アキラは交尾中のカイコガを、指で摘んで引き離した。
「え、何やってるんですか!?」
びっくりするミチア。
「カイコガは長いことくっついているから、こうしてやらないと弱ってしまうんだよ」
アキラは説明する。
「これを『割愛』っていうんだ」
「割愛、ですか……」
『割愛』は仏教用語で、出家する際に執着を捨て去るため、愛する家族や故郷の地を惜しみながらも手放すことだったという。
また、交尾中の蚕をこうして分けてしまうことから来たともいう。それほど昔から蚕は人間の生活と結びついていたのである。
『割愛』されたメスのお腹の中には十分な受精卵がある。
アキラは、『割愛』したメスを、麻布の上に置いた産卵床の中へ入れていった。
「ああ、あの『種紙』にまあるく卵がくっついていたのはそうやって産ませたからなんですね!」
ミチアが納得した、という顔でアキラに言った。
「うん。もっと産卵するカイコガが増えてきたら、この丸の下に日付を書いておくと、孵化までの日数がおおよそ見当付くようになるんだ」
「はあ、すごく考えられてるんですねえ……」
溜め息をつき、感心するミチア。
そんな説明をしながら、アキラは19匹のメスを産卵床に入れていった。
翌日は15匹のオスと21匹のメスが羽化。
翌々日は6匹のオスと5匹のメス。
残念ながら、6個の繭はそのままであった。
それでも、45匹のメスが産卵してくれたのである。
カイコガは卵を3日間くらいかけて産む。1匹当たりの産卵数は500個から700個くらい。
間を取って600個とし、45倍すれば27000個にもなる。
1回で育てるには多すぎる数だ。
「さあて、難しくなってきた」
受精卵を保存するには冷蔵庫などの冷暗所で保存するらしいことが、『絹研究会』の調査でわかっている。
まずは1000匹を目安に飼育し、他は保存しておきたいところだ。
古い文献によると、やはり生物であるだけに、1年以上の保存は不可能らしい。
「『魔法式保存庫』で試してみるしかないか……」
アキラとミチアが協力しても、2万匹以上の蚕を世話することは不可能だ。
「次からは絹を取るものと卵を取るものを分ける必要があるな」
そう考えたアキラは、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵に報告と相談に行くことにした。
* * *
「ふむ、繁殖は成功したというわけだな」
「はい」
「それは重畳。これで第一歩は踏み出せたというわけだ」
上機嫌でフィルマンは言った。
「次の段階、というわけか」
「はい、そうです」
アキラは、卵の保存、桑の葉の確保、そして場所の確保について相談したい、と言った。
「そして大事なことですが、人手の確保です」
後々産業として発展させていくためには、アキラ1人では絶対的に人手が足りない。
今のうちから一緒に作業をして、知識と技術を身に着けたメンバーが最低5人は欲しい。
そうすれば、その者たちに指導をさせて次の技術者を育成できるからである。
これを繰り返すことで養蚕技術者が増えていくことになる。
「そうすれば、自分に……絹糸を作り、そして布を織るといった技術を展開する余裕が生まれます」
「ふむ、なるほど。よくわかった」
フィルマンは頷いた。
「ではまず、近隣の農家の次男坊三男坊を募ってみよう」
「ありがとうございます!」
こうして、異世界における絹織物産業が産声を上げた。
そんな中、アキラにとって予想外なことが1つあった。
『魔法式保存庫』である。
この中に入れたものは、時間の流れが幾分遅くなるようで、桑の葉が萎れなかったのみならず、蚕の卵の保存にも非常に役立ったのだ。
「魔法様様だなあ……」
こればかりは現代日本の技術でも実現できていない。
生き物であるだけに、蚕の卵の保存は難しいのである。
それが『魔法式保存庫』であれば、推測ではあるが3年くらいまでなら保存が利きそうなのだ。
「これで準備がゆっくりできるよ」
ほっとした顔のアキラが言った。
「飼育小屋は分けて建てたいし、桑畑も作っていかなければならないしな」
伝染性のある病気のことを考えると、1箇所でまとめて飼うことは避けたかったのだ。
それに加えて、飼育記録をまとめたり、いろいろな情報を文書化する仕事もある。
「大変だが、やり甲斐はあるな」
書き物をする手をふと止めて、アキラは窓の外を眺めた。
そこには夏の青空が広がり、白い綿雲がぽっかりと浮かんでいる。
「……この世界に、絹産業を広める。それが俺の、これからの道だな」
「アキラさーん! 次の繭ができはじめました!」
ミチアの声が響く。
「あの人も、いい人だしな」
そう呟いたアキラの顔には、わずかに朱が差していた。
これは、異世界で絹の王(Silk Lord)と呼ばれるようになる、ムラタアキラの若き日の物語。
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次回更新は3月3日(土)予定です。